阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

私のオリンピックの思い

2010年02月26日 | 楠康夫 理事長
 アスリートをやっていれば、必ず夢を抱くのが、オリンピックに出たい、メダルを取りたいと一度は思うものだと思います。

 私も恥ずかしながら、そう思った時代がありました。まあ、前にもブログに書いたことがあったかもしれませんが、中学生の時から思い25歳であきらめました。当時は、誰にもいえなかったですが・・・・・。

 もちろん、親にも、他人にも、恥ずかしいからいえませんでした。自分ぐらいの力で、オリンピックなんて、言えませんでした。

 私が、オリンピックが近くに見えて、遠かったのは、実業団ヤクルトになってからです。

 1980年 モスクワ(日本はボイコット)小生(駒沢大学4年)

 1984年 ロサンゼルス        小生(ヤクルト4年目)
 
 1988年 ソウル           小生(引退2年目 ヤクルト営業修行中)

 この時代は、日本のマラソン・長距離界にはスーパースターが多くいました。私より年が上では、瀬古さん、宗茂さん、宗猛さん、伊藤国光さん、喜多秀樹さんを中心に世界ナンバーワンを争い、年下には、中山竹通くん、谷口浩美くんなどがいました。
 
 皆さんも、聞いたことのある方も多いかと思いますが、今も、解説や監督などで陸上界を支えている方々です。

 名前を書いた人は、時代の代表的な選手でありますが、それに近づこうとしていた選手が、これまた沢山いました。

 コニカミノルタの酒井監督、駒沢大学の大八木監督、法政大学の成田道彦監督、城西国際大学の大塚正美監督(当クラブ運営協力)、山梨学院大学の上田監督などなど・・・・。

 私の駒沢大学の同級生、阿部文明君(アジア大会銀メダル)や阿見アスリートクラブでトレーナーを10年やってくれている近藤孝志(専修大学コーチ)も強かったな。

 書いているうちに、レースや試合で戦い痛い目に合ったことを思い出してきました。やめましょう・・・・。

 このような皆さんに、私のひそかな夢は打ち壊されていきました。

 でも、ヤクルト2年目に安田大監督の下、素晴らしい練習を人三倍やった時に体が変わったことを感じた時、ひょっとしたら俺、強いかも・・・・・。と少し思えた事は、今も忘れられません。

 私のオリンピックの夢は、こんな感じで消えていきました。

 オリンピックに出ることの大変さ、難しさ、まして活躍となると、どれだけ間口が狭くなるか、そのためには・・・・・。どうチャレンジし続けるか!・・・・・。

 まさか、阿見アスリートクラブを通して育て上げている選手の皆さんが、もう一度、世界にチャレンジしてくれる可能性を持っている事、それを育てているこ事、嬉しく思っています。

 センターポールに日の丸が上り、君が代を歌う、そして、しっかり見つめながら、一筋のうれし涙を流す。そんな、オリンピックを夢見ています。


 頑張れ、アスレッコ、阿見アスリートクラブアスリートの皆さん、夢に向かって発進

 これも、私の中の夢、目標の1つです。


 
 

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2 コメント

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オリンピックランナー (頑張れ王者駒大)
2010-02-28 12:05:43
箱根の王者駒大。まだひとりのオリンピックランナーを輩出をしていません

藤田敦史が踏ん張りなさい(笑)

歴代マラソンランナーに佐藤信之(中京大中京-中大-旭化成)も名前だけ覚えてください。

トヨタ紡織で監督をされて糟谷悟(駒大)の憧れとなっています。

糟谷もなぁ~
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これからに期待しています (監督)
2010-03-01 08:02:19
 駒沢大が箱根で優勝を争うようになり10数年、長距離を目指す子達が、駒沢に入学して強くなりたいと希望を抱く大学になってきています。
 土壌は整って来ているので、駒沢指導陣の努力の成果が、OB,現役でこれから出てくることを期待しています。
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