阿見AC日記

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福島からの避難者が今月、1家族が戻られます。

2011年09月09日 | 楠康夫 理事長
 4月上旬から、阿見町の高齢者福祉センター『まほろば』が5月まで避難所として、2ヶ月。

 6月からは、借り上げアパートで避難生活をされています。4ヶ月目に入っています。

 2家族5人の福島原子力発電所から20km圏内の皆さんです。

 私は、阿見町民活動センターのセンター長として、NPO法人の人間として、ボランテアを協力してくれている皆さんと約半年、活動を継続して行っております。

 『まほろば』を活用した、コミュニテイー、身体ケアー、体操などを火・水・木の午前中に

 『町民活動センター』を活用した、パソコン教室、陶芸講座などを水・木の午後に

 続けております。

 これも、ボランテイアの皆さんの協力があってのことです。

 その避難者の南相馬市小高区のTさんが、20km~30km圏内の原町へアパートを借りて、仕事に復帰されるとのこで、福島に戻る決断をされました。

 81歳のお祖母さんもいるので、そっちに戻ると親戚関係、友達関係も多いので、年寄りのためにもなるし、奥さんと共に3人で戻られます。

 話を聞くと、原町も若い方、小さな子供さんがいるご家庭で、自宅をそのままにして帰ってこない方達もいるそうです。

 学校もこの地区では、家からは、通学時はバスが向かいにきて、隣の30km以上離れる鹿島地区に通学しているとのことです。

 小学生は、25%ぐらいしか生徒がいないとのことです。

 もう半年が経ちますが、変わる感じはなく、町の活気はすっかり落ちてしまっているとのことです。

 Tさんも子供さんのご夫婦とお孫さんのご家族4人は、勝田の方に仕事の関係で避難され住んでおられるとのことです。

 福島にお住まいの時は、1家7人で住んでいたそうです。家を増築して数年、このまま幸せに行く予定だったのですが。

 今回の震災で、バラバラの生活をする状況になってしまいました。

 近くには、戻るんですが、

 家には、自由には行くことはできない状況は変わらないとのこと・・・

 Tさんが、時々、お祖母ちゃんに『ばあちゃん、俺らは、生きている間に家に帰れないかもしんねいな』て、冗談ぽく言うんですが、本当に重たい言葉です。

 どうか、日本政府、専門家の皆さんは、いつ頃戻れるのか? そのためには何をどのように進めるのか? 確実な予定を早く出して欲しいと思います。

 人の命の問題になります。希望、目標をしっかり見せることが大切かと思います。

 避難生活で亡くなった方の話も聞くことも多くなりました。体調が更に悪くなってしまったお年寄りのことなど・・・

 私の接している2家族5人の皆さんは、お元気でこの期間、体調を崩すこともなく生活されています。それが何よりも私は嬉しく思います。

 そんな中、Tさんが、今、福島に戻られるのは、いろいろな想いがあってのことです。 

 私もズーと、かかわっているので、痛いほど葛藤の気持ちが伝わってきます。

 ダメだったら、楠さん阿見に戻ってきますから、その時は、また、頼みますって・・・・

 明るく、笑いながら言われるから、よけいに、重たかったり、つらかったり、嬉しかったり、私も葛藤しますね。

 残り少なくなった阿見町での生活を楽しんで欲しいと思います。

 

 

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