阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

東日本大震災 あれから2年

2013年03月11日 | 楠康夫 理事長
2011年3月11日忘れる事はありません。

あの時の地震の大きさ

その後、起こったことは、今も鮮明に記憶しています。

福島、宮城、岩手があまりにも被害が凄くて・・・・

茨城県は、報道も少なく、しかし、大変な被害にあっていて・・・

橋本知事が茨城も被災県だと、国に怒ったことも・・・

それから、

水郷体育館の避難所を見てビックリして

何が起きているんだと???

福島第一原子力発電所の大事故による放射能の影響で多くの皆さんが避難されてきました。

阿見町にも、避難所を開いてもらい。

Tさん、Fさん、Aさんとの『まほろば』での避難所生活を支えて、その後のアパート生活を見守り、半年~1年かけて皆さん、福島にお戻りになりました。

今も、時々、ご連絡を頂いています。

楠さん、あの時のご恩は一生忘れません。と、言ってくれます。

ボランテイアリーダーとして、自分のできる範囲で最大限に動いたあの時、やらないと気が済まなかった。

人として・・・

クラブとしては、何ができるのだろうと・・・・

2011年度は、皆さんの夢、目標、生き甲斐が、それに向かう努力する姿が、元気を作る。その事が、地域を元気にする。社会に貢献できることと思い進みました。

2012年度は、11年度の思った事を計画的に形にしながら、Tシャツを作成してクラブのパワーを現して地域の貢献、社会貢献を意識して進みました。

そして、2013年度は、阿見アスリートクラブは地域を社会を元気にする、だからこそ後世に残す。そう思い本格的に経営基盤の整備を進めていこうと決意する事に至りました。

もちろん、思いだけは100年以上続くクラブでしたが、思いが先行して、実はなかなか成り立っていませんでしたが、やることは決断しました。

私の東日本大震災からの2年は、地域貢献、社会貢献活動とは、阿見アスリートクラブは何ができるか?それをはっきり決めること、そして、実行していき、後世に残す思いが強まった2年間でした。

福島に戻られた、Tさん Fさん Aさんもクラブの活躍を楽しみにしてくれています。

2013年度は、更に感動を楽しみましょうと・・・・

まだまだ、復興は遅れていますが、1日も早い地域が発展することを祈ります。




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