阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

人生の岐路 決断?勇断?判断?

2018年07月18日 | 楠康夫 理事長
毎年のことではありますが、インターハイへの道、関東、全中への道、最終決戦が終了するこの時期になってくる、考えなければいけない人生の岐路 第一弾 第二弾
人生の少し先の判断をしなければならない時期になると思います。
もちろん、その時その時は随分、心を戦わせる決断と本人も思っていますが、後になってくると当時は、決断であり、勇断であっても、単なる判断レベルだったり、でもね~その時代は一所懸命に考えたこと・・・んんんんんん~~~よく決めたなとか・・・・あるものです。

私の場合は
60歳還暦を迎え、今考えると
中学三年生の時に自分なりに考えた高校進学の決断
龍ヶ崎一高の受験を考えたこと、
学校の三者面談の会話は、忘れもしない。模試のような試験があまりにも私が低いので、レベルを落とした方がいいのではないかと言われました・・・・あの試験はまじめに受けてません、まず、学校の中間、期末試験で学校は決めるものだと思っていますからと竜一受験と言い切りました。
家族からは、英夫兄からは、陸上をやるんなら土浦三と言われ・・・大学のことを考えて両親は竜一と言われ・・・ちょっと悩みましたが、結論として陸上は自分で強くなる、学校は勉強も頑張ると決め進学しましたものでした。
そこで、私にとって大きく人生を左右する人との出会いがありました。

陸上競技は、香取先生が茨城国体の関係で竜一の新任教員として赴任してきました。そして、陸上競技の面白さを教えてくれました。それからずーと先生とはお世話になっています。
一つ下に入ってきた、重原朱実さん、高校の時はこの人とやがて結婚するとは思いませんでしたが、気になる存在になっていきました。

んんんんん~~~もし、あの時、違う道を選んでいたらと思うと
阿見アスリートクラブ、今のような思いはなかったんだろうなと思います。
そういった意味でいうと、私の人生の最大な決断は、ここだったかもしれませんね。
それは後になって、大事だったと思います。

後は、やっぱり
阿見アスリートクラブを2006年、本気で大きくするためですかね。
ヤクルトを辞める時の勇断
父ちゃん明日から収入0だよねと、何回も言うんだよね・・・小学6年生の康成に言われたこと、心配するなお前たちを路頭に迷わせることはないと・・・中学3年の康平は父ちゃんなら大丈夫だと励ましてくれた。

実は、この6年前にやめようといったときに亡くなった父に、言われたこと、辞めるのは自由、しかし、海のものとも山のものともまだ、目安の立たないアスレッコクラブ、そのために収入をたつことは時期ではないと、その自信ができた時になら、会社を辞めてもいい。それをやりながら準備をできないか?と・・・・結局その意見を尊重して6年仕事とクラブを命を懸けてやりました。そして、6年後、父も納得して会社を辞めました。自分の立っている状況をどう判断するか?今考えると勉強でした。

こうして書くと重く思いますが
人の話に耳を傾け、一番いい選択をしていく、長く身近にいる人たちの話を大切にする。
私の学んだことでしょうかね。

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