阿見AC日記

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箱根駅伝予選会の思い出

2008年10月19日 | 楠康夫 理事長
 久々に予選会の生中継をスカパーで午前中真剣に見ました。各校の思いがいろいろ出ていましたね。初出場を果たした上武大、花田監督5年目での出場、関係者はうれしいでしょうね。
 
 名門法政大学が、6秒差で予選会落ち、ガックリした選手達の姿、放心状態、思いが駆けめぐるでしょうね。監督の成田さんは個人的には面識があるので、何か人事とは思えず、残念です。

 一方、青山学院大学が33年ぶりに本戦出場、関係者の皆さんおめでとうございます。
 実は青山学院が33年前、10区のラスト300mぐらいでゴールできなかった悔しい箱根駅伝になった昭和51年1月の大会の時、私は龍ヶ崎一高3年生でした。箱根駅伝が走りたくて何とか大学に行きたいと思っていたその時、夏休みに陸上部勉強合宿に参加しませんかと青山学院から資料が届き、本気で考えたのですが、同級生が「英語が青山は難しから楠は駄目じゃん」とひと言。一気にさめてしまい。いろいろと考えた結果、これから強くなりそうな駒沢大を選び進学しました。

 結果的には、私が入学してから青山学院は箱根に出れなくなりました。後で思いましたが、もし、本気で青山学院に行っていたら人生は変わっていたと思います。箱根駅伝4回出場、実業団ヤクルト、阿見アスリートクラブは無かったのでしょうね。いや、俺がエースで引っ張り青山予選会突破が早まったかも?しれませんね。まあ冗談ですが。

 予選会、私は3回、大学2~4年と走りました。個人成績は2年(48位)3年(10位)4年(5位)でした。特に3年、4年は同級生の阿部文明君と共に絶対に失敗はできないというプレッシャーの中で走らせてもらいました。まあ1年間、箱根のために頑張っているのだから、命をかけて1年1日と妥協しないように考えやりましたから絶対に失敗はしない自信はありましたが......

 しかし、予選会は予選会です。本番で走れなければ何にもならないのもこの世界です。1回の失敗は何年経っても余り語りたくなく......

私も1年生の時に6区を走りましたが、区間14位、当時は15校ですから、後ろから2番目ということでした。1年生の時から走りたかった箱根駅伝に走れてうれしかったけど、本番で一番悔しい思いや、情けない思いをしたのもこの時でした。自分の力の無さに1/3の駒大箱根の打ち上げ会の時に、トイレで独り涙が出たのもこの時でした。


 まあ、現役時代のあまり思い出したくない、悔しい思い出の一つですが、私のランナーとしての本気を引き出してくれたのは、この時だったかもしれませんけど。



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