阿見AC日記

阿見アスリートクラブで起こった出来事、試合速報、お知らせ、などなど

東日本実業団駅伝 康成は1区

2015年11月02日 | 楠康夫 理事長
いよいよ俺のところにきたな! 康成

なんちゃって

そんなにかっこいいことでも何でもありませんが・・・

何度か書いたこともあるかと思いますが

実は、

東日本実業団駅伝では、私は

ヤクルト2年目と3年目で1区を努めました。

そこの思い入れは人一倍強いです。


実は、その前年、私がヤクルト1年目、全日本実業団20000mで8位入賞した勢いで

当時の最長エース区間4区24kmを任されました。

しかし、思うように走れず結果的に区間11位の惨敗、ヤクルトは全日本実業団駅伝の出場はできませんでした。

それは、それは、23歳の青春 責任を感じたものでした。


安田大監督が就任3年目、勝負の年

ここで、全日本実業団駅伝に出場できないと大変なことになると・・・・

それはそれはプレッシャーがかかったことを思い出します。

そのスタートの1区に指名され、更に自分は崖っぷちに、もし、失敗したらそう思うのも人間

もし、このプレッシャーの中で全日本実業団駅伝に出場できなかったら、俺も責任を取って引退だなと覚悟も決め日々の練習をしていました.

当時、練習もできて、勢いが出てきた時代でしたから、自信もありましたが・・・

結果的には、胸差で区間2位、2区にタスキリレー、チーム4位で全日本実業団駅伝の切符をつかみました。
安田大監督就任3年目、指揮官になっての初出場に貢献できたことは、うれしいというか・・・ホッとしたが本音でしたね。

その翌年も1区を任され区間3位 2年連続全日本実業団駅伝の出場権を獲得しました。
(当時、茨城大洗方面で開催されていた東日本実業団駅伝は6位までが全日本実業団駅伝出場権獲得でした。場所は伊勢~賢島折り返し 開催月日は12月中旬の日曜日)

だからというか

東日本実業団駅伝1区は、私にとって深い、深い、深い、意味のある区間です。


まあ、このことは私の思い出ですので

康成には、まったく関係のないことではありますが

ここは父としての思い

そこに息子が走るようになるとは、うれしくも思うものです。


クラブの代表としての思いは

しっかり1区の仕事をしてほしい。トップから離れずいい位置で2区にタスキを渡す。

世代間育成システムの申し子として成長し

大学に行かず、実業団に行きました。

年齢にすれば大学4年生の年ですが、

立派に小森コーポレーション実業団駅伝チームの柱の一人として戦う姿

1500mでは、すでに日本トップクラスの力

クラブに夢を与える存在として光り輝いて欲しいと思います。

そして、オリンピックで戦うことをめざし頑張ってほしいと思います。

クラブとしても応援、支援していきます。


東日本実業団駅伝11月3日スタート

がんばれ!康成


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。