さっき見たカエルは二度嗤う

ちょっと一言いいたい、言っておかねば、ということども。

●ポテトチップスになれなかったポテト。それがどうした!

2006-09-03 02:30:03 | ●CM放談
最近、気になっているのは、『結婚できない男』の隣に住んでいる女(国仲涼子)が白ホリバックにポテトチップスのパッケージを持ってストレートトークをするやつ。

ジャガイモにキスして、パッケージの袋に戻すと、ポテトチップスになるかと思いきや、あれ、ならない、というもので、これが見ていられない。これなん、はるか昔のセブンイレブンの名作CMハンバーガーUFO「今日はとびませんねえ」のまねに違いないが、なんともはや、パロディにもなりきれず、どう反応していいかわからなくさせられる後味の悪いCMにしあがっている。

実は、カルビーはこの手ははじめてではない。例を上げたいが不覚にも失念してしまっておるため、あげられないが、とにかく、このストレートトークスタイルがいたくお気に入りらしい。
それはおそらく、この会社の数少ない成功作の一つである、「100円でカルビーのポテトチップスは買えますが、カルビーのポテトチップスで100円は買えません。悪しからず」(藤谷美和子)のヒットが忘れられないのだろう。

が、それはおいといて、ここではポテトチップスにならなかったじゃがいもと、飛ばなかったハンバーガーについて考えたい。まねしてるぐらいだから、似ていると思われるかもしれないが、実は作り方の緻密さにおいて両者には雲泥の差がある。

セブンイレブンの方は、斉藤祐子という、めがねをかけたおとぼけキャラを使っており(何かふざけたことを言うぞきっと)、手のひらに載せたハンバーガーが飛びますと始めに宣言する(やはりぶさけたことをぬかしやがる)。見ている方は「え?!」と一瞬驚くが、まあ、CMのことだからさもあらん、特撮なり、CGなり使って飛ぶのであろうと、待つ。すると、同じように待っていた斉藤祐子が絶妙な間をとってから「……今日は飛びませんねえ」とくる。なるほど、やられたわい、と。ちょっと驚かされ(驚くというほどではないがふんふんと興味をいだかせておいて)何も起きないことで、逆に肩すかしを食らわせられるわけだ。テレビ番組における手品の失敗や、愛犬の芸の失敗シーンのパロディになっているのだが、そこに工夫があり、インパクトがあった。

ところが、カルビーの方はいきなり「じゃがいもに愛情込めてこうすると」と言って、じゃがいもにキスしてパッケージの袋に入れて袋をゆさぶるが、まだ何がおこるか言ってないし、視聴者もわからない。けれどもポテトチップスのCMなんだからじゃがいもがポテトチップスに変わるんだろうぐらいに想像しようとする。するが、彼女は「おいしいポテトチップスに……」と間髪をいれずしゃべり始めており、しかも、その時すでにポテトチップスにならなかったじゃがいもを袋から取り出しているのである。そして、元の姿のままのジャガイモを恨みがましくみつめる間をとっている。この間は何の間だろう。
ハンバーガーが飛ぶのを待つ間と、このポテトチップスにならなかったじゃがいもを見つめる間とは、全然異質のものである。

前者の間には視聴者を引き込むための仕掛けがあるが、後者の間には何もない。もちろん理屈的にはポテトチップスにならなかったことへの国仲のショックを表しており、それを視聴者と共有していると思っているところが大間違いで、視聴者にはショックでも何でもないことなのだ。だいたい、じゃがいもがポテトチップスになったからって、それが何だというのだ! と人は思ってしまう。視聴者が待ったのは、そのとき国仲が何を言うかであり、ショックを受けて沈黙している姿なんかではないのだ。

ここに、欠けているのは、視聴者に与える<反応する時間>である。どこでどうリアクションをとればいいのか、構えているうちに勝手に終わってしまうのだ。そして、恥ずかしさだけが残る。これやまさしく机上オチ、考えオチというもの。視聴者不在のCMになりさがっている。
まあ、とにかく、カルビーのCMは失敗作が多いが、見ている人に恥ずかしい思いをさせるようなCMはやめてほしいものだ。


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