もんくうさぎのブログ

もんくばかりでごめんなさい

元旦のある光景

2015-01-05 19:05:21 | 日記・エッセイ・コラム
 新年早々にたまげた光景に出くわした。
 実家からバスでアパートに戻るときのことである。栄の繁華街にさしかかり、元旦なのにすごい人混みやなあ、と窓から外を見てると、なにやら少々異様な光景。
 道端に人がずらーっと座っているのである。それもみんなお揃いの折りたたみ式の簡易イスに、秩序正しく行儀よく座り並びをしてる。一瞬、何なのかよくわからなかったが、行列の先頭の前にアップルのビルがどんと立っているのを見て合点がいった。
「こ、これが噂のラッキーバックゲット行列かぁ・・・」
 この重装備な行列、いったいどこまで続いているのやら。日ごろ見慣れないものにもう目は釘付け。ちょうど行列の後方に向かってバスは走っていく。イスは、何か行列の掟でもあるのか、大きさ、形、みんないっしょ。で、全員、寒いから防寒対策はばっちりしている。傍らには大きな荷物。生活必需用品でも入っているのだろうか。こうなったら並んでいるというより、滞在していると言ったほうがいいかもしれない。みんな路上の傍らのせまい空間で、大晦日から元旦にかけて生活しているのだ。ひえぇ。(後から聞いた話によると、1週間ぐらい並ぶ人もいるとか。・・・絶句・・・!)イスとイスの間に寝袋にくるまってでかいイモムシが如く「転がって」いる人もいる。小さなテントをはってる人もいる。
「うわあ、すげえ・・・」
 あっけに取られているうちに、バスはデパートが立ち並ぶ交差点にさしかかる。すると、行列は進行方向から90度左に曲がって、その最後尾を確認することができなくなった。
「何なんだ、これは。彼らのエネルギーはどこからくるんだ。うーん、うーん。理解できーん」
 この寒空の大晦日から元旦にかけて(名古屋では夜半過ぎから雪が降った)こうやって新年を過ごす人たちがいるという紛れも無い事実。混乱しながら、自分なりに考え(感想)をまとめてみる。で、頭の中に残ったのは、「忍」と「超個人的享楽」の2つ。ただ、ひたすら忍の一字で並び続ける。自分だけのの満足、喜びのために。
 いつから日本の正月ってこうなっちゃったんだろう。昔は元旦から開いてる店なんかほとんどなかった。だから元旦に福袋を買うなんて習慣はなかった。それがいつの間にか、元旦営業の店がぽつりぽつりと増えはじめ、後は雪崩のごとく多くの店がそれ従っていく。個人商店までも元旦営業してる姿を見るのは痛々しい。無理しても元旦に店を開ける理由はひとつ。とても儲かるから。元旦は1年のうちで一番客が入る日とも言われている。
 万事がすべて経済アップの方向へ流されていく今の日本。過去、正月ってみんな自分ひとりだけの楽しみのために過ごさなかったような気がする。家族でゆっくり過ごしたり、友達どうしで他愛ない遊びに興じたり・・・。ところで、行列の人々も行列仲間と交流するんだろうか。みなさん1列に並んでるから、ちょっと難しそうだ。隣近所マニア同士で「また、会いましたねー」とか軽い会話もあるかもしれないが、それ以上人間関係が深まってく可能性は低そう。少なくとも私が見たかぎりは、あまり和気あいあいといった様子は感じられない。そりゃそうだよな。行列参加者は福袋ゲットに関してはライバル同士だもん。やっぱ、寡黙な「忍」と、それを耐え抜いたあとにゲットできる「個人的喜び」なんだよね。「こんなんゲットした」と後で戦利品見せ合って盛り上がる場面もあるかもしれないが、それも一過性のもの。基盤にあるのは、あくまで個人的な享楽だ。
 過去のあの、1年の中で日本国中がしんと静まり返った聖域のような元旦はもう戻ってこないんだろうか。あくまでまわりの雰囲気に流されやすい日本人。目下のところ、うさぎができるささやかな抵抗は、元旦に何も買わないことかな・・・。
 いやはや仮想空間とは比較ができない、とっても濃いバーチャルな光景でした。
 

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