もんくうさぎのブログ

もんくばかりでごめんなさい

不公平な交通事故

2015-05-29 20:53:47 | ニュース
 以前ある知人から交通事故にあった父親の話を聞いたことがある。
 彼女の父親は自家用車を運転しているとき、停車中に追突され、ケガを負った。追突してきたのは市バス。(名古屋市) 彼の車は停まるべきところできちんと停車していた。そこへ勝手にバスがぶつかってきたのだから、悪いのは100%市バスのほうだ。治療費や修理代、すべて市バス側(名古屋市交通局)が支払ってくれるんじゃないのかと思いきや、彼女の話を聞くとどうもそうでないらしい。
 「市バスとは絶対事故起こしちゃだめよ。こっちが悪くなくても手続きおそろしく大変だから」
 彼女がはき捨てるように言った言葉が耳奥に残っている。
 結局、交通局との交渉は長引きこじれ、結論がでないまま、彼女の父親は事故の後遺症が原因で亡くなった。
 先日、俳優の萩原流行さんがバイク事故で亡くなった。最初、自損事故っぽく報道されたが、どうもそうでないらしい。萩原さんは左方から車線変更した警視庁護送車に接触し、転倒したという。だとしたら護送車がきちんと交通ルールを守っていたのか、まず明らかにすべきだ。
 ところで、警察関係車との事故で浮かんでくるのが2006年高知で起こった白バイとスクールバスの衝突事故。この事故の場合、バスに乗っていた生徒や目撃していた校長のバスは違反走行していないという証言にもかかわらず、バスの運転手は有罪になった。
 だから今回も、目撃情報集めや防犯カメラの検証などきちんとしたうえで公平な調査が行われるか、ちょっと疑問だ。警察に「身内」の非を認めさせる調査は、東電にフクイチ周辺の放射能汚染測定と構図的には同じなんじゃないのか、そうふと思ってしまう。
 市バスとは別の意味でいろんな困難がありそうな警察車との事故。 ここまできて思うのは、日本の道路上で法律が公平に適用されないことがあるらしいということ。法の下に平等でないパターンがある、言い換えれば身分制度が残っているんじゃないのかということ。憲法14条にすべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、・・・によって差別されないとあるが、道路の上(下ではない)でときとして、身分制度が出現するとは驚きの事実だ。公営交通や警察という社会的身分。交通事故という特殊な場合にその隠れた身分による差別があぶりだされてくるのである。
 やっかいさの中身は異なる、ということを承知で、日本国内でぶつかったらやっかいな車、向こうに非があっても泣き寝入り大の相手を、うさぎが認識してる範囲で順不同であげてみたい。
① 市バス(公営交通)
② パトカーや白バイ(警察)
③ Y・E・A・ナンバーの車(米軍関係者)
 日本って身分制度あったのは江戸時代までと思っていたけど今も形を変えてちゃんと残っているんですね。調べていけば、交通事故以外にも、他の事象によって出現する差別もありそうだ。で、それによって社会に潜むいろんな「身分制度」が浮き彫りになりそう。アメリカの保険会社も日本で儲けたかったら、米軍関係車とぶつかったとき専用の自動車保険を売り出したらどうだろう。

世界平和は実現可能か?

2015-05-06 13:09:05 | 読書
 ヒマなゴールデンウィーク。
 思い切ってカント「永遠平和のために」を読むことにする。
 部屋の隅でほこりをかぶっていたこの本、このヒマ時を逃したら、一生読まずに終わってしまうかもしれないと思ったから。
 世界平和をめざすためには国際連盟が必要と書かれてあるこの本、その理念が今の国連に引き継がれていることはよく知られている。カントは言う。人間の自然状態は戦争状態である。無策で何の工夫もなく、ほっといたらすぐ戦争おっ始める。ほんとその通り。その際いろいろ難癖(宗教、領土、カネ、テロ、大義と正義、大量破壊兵器、etc.)つけるのはおてのもの。
 じゃあ、戦争のない世界中平和な状態を作り出すにはどうしたらいいのか。具体的方法は第2章に書かれてある。それは、世界中のすべての国が国際連盟に加盟し、戦争を未然に防ぐような法秩序を作っていくこと。
 世界をひとつの国にしちゃえば話しは早いじゃん。そう考える人もいるだろう。が、だめなのである。カントに言わせるとそれは「魂のない専制政治」を生み出すようなものだとか。
 平和連合に加盟する国は必ず共和国でなければならない。なぜなら自分たちが決定したことに責任とれる体制でないといけないから。戦争するしないに関しても同じ。共和国内の市民どうしのこの関係は国と国の関係でも成り立つ。よって、国際連合は共和的体制(自由、法の下の平等)を国の外へ広げていったようなものともとれる。
 言いたい事はしごくシンプルでまっとう。だから第2章まで読み終えた人はこう感じるだろう。こんなの理想論じゃん。言うは簡単行うは難し。まずもって今、世界の国すべてが共和国じゃない。よって、この理想、第一段階でつまづいてる。また、国連あるけど常任理事国はおしなべて武器輸出大国。実際、集団的自衛権とやらで戦争状態容認してるし。こんなんでほんとに世界平和実現できるんかい。そんな人々(うさぎ含む)にカントは付録でしっかりフォロー。
「あなたの格率が普遍的法則となることをあなたが意思をもって行いなさい」
 そう、これは本物、まっとうだと思ったら、それに向けて努力しなきゃだめじゃん!
カントはその意味において、政治は道徳にあわせていく努力、その過程がとても大切、と言っている。一方でその逆はご法度と釘を刺す。だから、ゆめゆめ道徳を政治に利用することは許されないのである。(付録1)どきっ。ここんとこ今の日本の首相に見せたらどういう反応示すのか。で、驚いたことに、さらに付録2では、今の日本政治状況をもろ表現しているような箇所が・・・
 偽政治とは。①公的な契約を締結するとき、その時々に自分に有利な解釈ができるような表現を用いる ②他国が悪い意図を持っているようにこじつけたり、他国が強力になることを平和を覆す根拠とする ③小さな国を併合することによって、よりよい福祉が実現するのなら併合なんて些細な問題とみなす  いずれも、秘密保護法や集団的自衛権容認閣議決定の文面、及びその成立過程の動機、沖縄基地問題の背景にあるものを表現しているようだ。がーん。ということは今の日本は偽政治やってんのかよ。200年以上前から道徳的努力無くした政治がどうなってくか、ちゃんとお見通しとは、恐るべしカント先生。
 あと、付録には官僚政治の弊害や、アメリカの日本支配の手口をそれぞれ言い表しているような箇所があって、ごもっともでございますとひとりで深く頷いてしまった。
 ところで一昨日は憲法記念日。ちなみに第1章でカントは、常備軍は段階的に廃止すべきと言っている。軍隊があることが戦争の原因になるらだという。この考え方、かなり日本国憲法の9条と近い。でも一方的に攻められたら困るから、国民全員がいざとなったら武器をとって戦えるようにすべしとも言っている。現在、スイスが国民皆兵制度をとっている。それがカントの理想の姿かどうかわからないが、自分や祖国を守る気概を持ったうえでの戦争放棄の方が、他国の戦争に加担しながら口パクで平和唱えるよりホンモノに近いと感じるのはうさぎだけか。
 9条死守(2項含めて)で平和が守れるという護憲主義と、9条ねじまげて戦争できる普通の国になろうとする勢力のせめぎ合いの日本の今の現状は、ホンモノの戦争放棄、世界平和を求める姿とは程遠い。
 今必要なのは、みんなしっかり勉強して、冷静に議論する場をいろんな所で持つ。そして、少なくとも偽政治状態から脱却する。そういう地道なことなのかもしれない。