もんくうさぎのブログ

もんくばかりでごめんなさい

宮田村その後

2016-02-20 08:03:55 | 原発
 放射性物質を含む廃棄物最終処分場の建設計画がある長野県宮田村。持ち込まれるのは北関東で発生した放射性廃棄物のようだ。 
宮田の環境を守る会
 去年の11月、反対署名14185人分を長野県知事に提出したものの、知事には面会できず、担当者は「事務的に処理する立場です」と繰り返すだけだったとか。
 環境省は指定廃棄物の線量が低下したら一般ごみ扱いできるというルールを提示したばかり。まさかこの伊那谷に元指定を持ち込むハラじゃないだろうな。
 とにかく危ない。汚染物質が漏れたら天竜川流域全体が汚染される。そしたらいったい誰が責任取るのか。金銭的保障されても失った自然は取り戻せない。
 天竜川水系で生活してる人、特に浜松市、磐田市の人たち。もっと危機感もってくれ~!!

私見「女性が輝く社会」

2016-02-18 12:28:08 | 社会
朝まで生テレビ「女性が輝く社会とは」
 話題にのぼったのは、女性就労の現状(非正規ばっか増えて女性リーダーが育たない)、専業主婦の地位(いまだに税制、社会保障で優遇されてる)、子育てや老親介護(保育士や介護福祉士の給与制度の矛盾)、シングルマザーの困窮(男性が養育費から逃げられる現行親権制度)、あと夫婦別姓や男性の育休、クオーター制など内容は盛りだくさん。なかなか見ごたえがありました。
 が、番組最後で男性アナウンサーが、「この議論は20年、30年後につながるものですね」的発言で締めくくったことにプチショック。たぶん彼は、みなさん時代の最先端的議題でよう議論なさった、この議論は無駄にはなりませんよみたいな気持ちをこめて締めくくったのだろう。けどさ、女性リーダー問題以外はほとんど30年前にも問題にされてた事柄じゃなかったっけ。よく覚えてないけど。したがって、この言葉、うさぎ的に解釈すれば、この議題は永久先送り的性格を持っている、みなさんムダな徒労によくつきあってくれましたね、ごくろうさん、といった意味あいになってしまう。で、後からしみじみ思いました。そうだよなこんな議論してても20、30年後、これらの諸問題が解決してるとは考えられないよな・・・
 なぜならこの種の差別問題に関しては、本質論と現象論の2本立てで論じる必要があるからです。この番組では、文化論っぽいのがちらほら出てきたものの、ほとんど現象的枝葉論に終始していたような気がします。
 では、本質論とは何か。この日本においてそれは天皇制です。憲法第1条に「天皇は日本国の象徴で男性日本国民統合の象徴」とあります。一方で天皇は男性しかなれません。(皇室典範)よって日本という国は、国民の半分が女性であるにかかわらず男性によってしか象徴されないのです。こんなん究極の性差別です。この取り決め背景には男系に限るという伝統?があり、これは男性の血筋によってしか系譜はつながらない、つきつめれば女の腹は借り腹という発想があります。
 番組最後で田原総一郎氏がやっとこさ女性宮家の話題を出してきました。これだけ女性がいても誰も天皇制について口火を切らず、最後の最後で黒一点の田原氏が言い出したのは皮肉です。女性宮家を作ることは、必然的に女系天皇、ひいては女性天皇につながります。この問いかけに対し、辻元氏以外はみんな歯切れが悪かった。女系はなぜだめなのか。歴史上男系だったのだから男系に限る、だめなものはだめというトートロジーは言うに及ばず、天皇に職業選択の自由の権利はなく、天皇の気持ちをないがしろにして我々が都合よく論じることは問題があるという意見にはうんざりです。昔からあった天皇と人権論によってやんわりと議論を避ける手法。では天皇の立場に問題あるのなら、次に皇室典範は改正すべきか否かという指摘がなぜ出来ないのでしょうか。人権概念の俎上に乗せるか乗せないかも議論することなく、天皇の人権欠如を理由に天皇制の議論ができない。これはとりもなおさず、都合いい前提の設置によって、あらゆることに議論不可能な領域ができることを意味します。
 現行天皇制と女性差別は別、という伝統・文化尊重に丸めこまれ、枝葉論的議論に終始し続けるのなら、この番組で一番若い女性がババアになったときも、同じ議題で話し合っているでしょう。いいかげん日本国民は、借り腹制度(男系)で繋いで来た天皇制をわれらが象徴と位置づけていることを自覚すべし。これって少なくとも男性は許容できても女性の立場からすればできんでしょう。よって、天皇制を論議することのない性差別問題論議は、味噌の入ってない味噌ラーメンのようなもんなんです。
 もうひとつ気づいたことは、比較的年齢が上の方がリベラルだったのに対し、若手が保守的だったこと。特にある30代女性論客(?)が、この安倍政権によって初めて女性問題がクローズアップされたような発言をしてたのには、びっくり。昔のリブの渦中にいた人はもとより各分野で共同参画に取り組んでた人は「何すっとぼけたこと言ってんだ」とかどのある豆腐をぶつけたかったんじゃないでしょうか。
 過去の日本におけるリブやフェミニズム運動、性差別撤廃運動のスピリットは次世代に引き継がれなかった。過去、性差別運動に取り組んだ人は、そこらへん腹くくって受け入れたほうがよさそうです。またリベラルと言っても、比較的年齢が上の方も、自分の夫のことを主人や旦那と言っていたのにはがっくり。たぶん自然に口から出ちゃうんでしょうね。人を差別する言葉には敏感なのに、自分を差別する言葉には鈍感なのはいかがなものでしょうか。で、世の中変えるにはまず自分から変わらなきゃ。「私の夫は・・・」と自然に口から出るよう毎日練習しましょうね。
 奴隷はその立場にどっぷりつかっていると、だんだんと奴隷であることが自覚できなくなるといいます。また、自覚してても、ラクな奴隷の立場から抜け出したくない奴隷もいることでしょう。この日本に性差別はないと主張する女性もそんな奴隷の一種なのかもしれません。
 

放射性廃棄物が一般廃棄物に

2016-02-16 09:59:07 | 原発
 先日、環境省が指定廃棄物を普通のゴミとして捨てられるようにすると発表した。どの自治体も受け入れを拒否している指定廃棄物(福島原発事故で発生した核のゴミで放射性セシウム濃度が8000ベクレルを超えるごみ焼却灰や下水汚泥)。保管場所において置けば、時間の経過とともにセシウム濃度は低下する。それを基準値に達しないからただの廃棄物というラベルに張り替えて、一般の廃棄物と同じようにに捨てられるようにするというのだから、なんと大胆かつ最後の手段的方策だろう。あまりにもあからさますぎて、みんなすんなり納得するとは思えない。7999だったら安全なのね、ああよかった受け入れますなんて言える? 必ず出てくるであろう抵抗を乗り越えてこの方策を国民に押し付けたいのなら大臣含め環境省の職員自らこのゴミの上で仕事してほしい。もちろんゴミは厳重にコンクリでブロックしてさ。できる? そもそもこの8000っていう基準誰が決めたんだ。
 7日、丸川環境相が「国が除染長期目標とした年間被ばく線量1ミリシーベルトは何の科学的根拠もない」と発言。一瞬、放射線管理区域という単語がアタマをよぎる。あれはいったい何だったんだ。(今もあると思うんだけど)暮らしの放射線Q&A これによると放射線管理区域に関する取り決めは放射性物質を計画的に扱うときのものであり、福島原発事故は突発的な事故だからこれらの規則は適用されない・・・そうだ。げろげろ~。計画的放射線と突発的放射線のどこに違いがあるんだよ。ダブルスタンダードもここまでいったら笑うしかない。また、放射線管理区域から放射能汚染物質を勝手に持ち出すことは禁止されていた(る)。それだけまわりに危険を及ぼす恐れがあるからだ。その基準は4bq/平方cm。一方で福島原発事故のよる汚染に関してはスクリーニングの基準は120bq/平方cm。一挙に30倍。事故なんだからがまんしろってか。くどいようだけどこの120と8000、いったい誰が決めたんだ。そこに科学的根拠とやらはあるんかい。
 原発を動かす論理の中には大きな特徴が2つある。ひとつめ。高浜原発再稼動もそうだが、ゴミの問題が白紙であること。ふたつめ。国家は放射線障害リスクの基準を勝手に決めることができ、それを国民に押し付けることができること。
 実は年間被ばく線量1ミリシーベルトに科学的根拠はない、という丸川大臣の言葉はある意味正しい。この基準で安全が保たれるという確証はないからだ。この数値はICRP(国際放射線防護委員会)の勧告を受けて設定された。ICRPはしきい値(放射線障害があらわれる最小の線量)はないとしている。だからこの1ミリシーベルトはあくまで予防的数値。そこを超えたら必ず影響が出るわけではなく、それ以下でも影響が出ないとは言い切れない。したがって問題は科学的根拠がなければ除染努力を軽減してもいいのか、それとも今以上に努力すべきなのかということになってくる。
 大臣の考えが後者だったらこんなに騒がれなかっただろう。が、丸川大臣の講演内容を読むと、そういう文脈で使われてない。放射能に心配しすぎる人たちの声がうざい。1ミリシーベルトにこだわってるようだけどこの数値に科学的意味ない。だから、あまりこれを根拠に騒ぐな。明らかに前者である。とにかく国が安全と言ってんだからつべこべ言わずに故郷に帰れ。そこまで言ってないけどそんな思いが見え隠れしている。
 許容量が定まらない場合の安全論。ひとつの答えとして竹谷三男編「原子力発電」内に次のような言葉がある。
 障害の程度を正確に科学的に推定することが不可能な場合、こと安全問題に関しては過大な評価であっても許せるが、過小な評価であることはあってならない。この原則的立場に立てば、「しきい値」の存在が科学的に証明されない限り比例説を基礎において安全問題は考えなければならない。(引用終わり)
 まったくその通りだと思う。科学的根拠がなくても食べたら10人中1人が腹痛を起こすものを大丈夫だから食えと万人に勧めるわけにはいかない。原因が解明されるまで、食べさせない努力をすべきなのだ。放射線は腹痛どころかDNA損傷を起こし、何年か後にがん発症の危険性があると言われているのだからなおさらだ。こう考えていくと政府(本当は東電)がやるべきことは1ミリなんてせこい目標は立てず、限りなく年間被ばく量を減らすよう努力することではないのか。人工放射線はゼロが原則で、レントゲンなどやむをえないときだけ照射を許されるもの。なんびとも無意味に放射線にさらされる義理も人情もないのである。
 3.11前は放射線管理区域から汚染物質を持ち出すと罰せられたが、今はそれより格段に安全じゃないブツをどうかあんたの町や村に置かせてくれと頼み込んでくる。前は危険だ気をつけろと言っていた環境を安全だと言いはり、そこに住めと強要してくる。平和時、殺人は厳罰に処せられるけど戦争になったら人を殺せと強要してくる国家と戦争の関係とよく似てると思いませんか。