もんくうさぎのブログ

もんくばかりでごめんなさい

花粉症の季節です

2016-04-20 18:56:09 | 日記・エッセイ・コラム
 
 ということで、シェアいたします。友人の天使から教えてもらったのですが、実際、私はこれでかなり緩和しました。鼻だけガードしてるはずなのに、不思議と目も痒くないです。
 くれぐれも、鼻の穴の中に塗りたくって窒息しないように。

トイレそうじ

2016-04-03 14:35:45 | 日記・エッセイ・コラム
 トイレそうじは苦手だ。
 最近、ロボットや人工知能にとって変わられる仕事というのが話題になっていていて、こういう仕事こそ真っ先にとって代わられてほしいと思っていたのだが、消える職業一覧を見ても、トイレそうじというのはない。
 トイレそうじは、ビミョーかつ臨機応変に取り組まねばならない作業だ。パターン化されているかと言えばさにあらず。ルーチン化できないかと目論んでも・・・ダメである。トイレそうじにはいろんな落とし穴が待っている。
 便器を外から内へ拭いていき、ときどきは隙間にたまった汚れを、ブラシで集中的にこする。昔はこれつけときゃ自然に汚れがおちると宣伝されてたグッズを取り付けたことがあったが、何のことない。むしろやっかいなことになった。油断してほっといたら、そのグッズから漏れ出る液体でみごとに便器が着色。たわしの親戚みたいな硬い毛のブラシでこすってもとれなくなったのだ。人間の排泄物とは比較にならない強力な化学物質が含まれているらしい。
 人間の排泄物や、トイレですごすひとときがパターン化、ルーチン化すればロボット投入も可能になるだろうが、たぶん無理だろう。そうじってトイレそうじもそうだけど、さまざまな生身の人間の観察や手作業がないと成り立たない繊細な仕事だと思う。清掃業って最後の最後まで残るかもしれない。
  一方であっさり消えていく仕事は。人工知能の特徴を考えると、高度な専門知識をあやつる職業が危なそうだ。医者は残るとされているが、人工知能の方がビッグデータから的確な情報分析するから「世界に3例しかない症例」みたいな奇病も直ちに診断してくれるだろう。AI(人工知能)の方が頼りになるのなら、医者という職業は消えないにしても変質するにちがいない。あと、弁護士、高校、大学の教師。知識ばっか持て余していると、AIに仕事がくわれていく。
 が、それらの専門職の前にあっさりAIにとって変わられそうな職業がある。政治家である。先日、国会答弁見てて強くそう思った。答弁はだいたいパターン化している。質問内容に回答する。はぐらかす。同じことを繰り返す。議論によって、よりよい結論にたどり着くということは、限りなくゼロに近いし、みんな望んでないようだ。よってAIにもできる。国会答弁以外のことも、支持者や役人との打ち合わせぐらいだったら楽勝だ。出来ないことは料亭で飲食することぐらいか。
 
 トイレそうじに話を戻そう。ラクしようと科学技術は発展したが、最終的にラクできない仕事がそうじだとしたら、あまりにも「道徳」的結論だ。うさぎはトイレに神様がいるとは思ってないが、人間は毎日排泄するわけだし、本来毎日そうじすべきところなのだろう。
 で、うちのトイレとは比較にならないが、現在最大そうじすべきというか、そうじしないと「日本死ぬぞ」とされてるのが福島第一原発事故処理作業だ。
 ロボット投入と言われながらロボットは役に立たず、結局は生身の人間の手が頼りだ。メルトした核燃料の場所は未だ特定できず、取り出すのはいったいいつになることやら。それまで日本は汚染水と共存しなければならない運命で、人間そっくりのロボット作るぐらいだったら、すべての研究を死に物狂いで原発事故処理につぎこんでくれ、と思うのはうさぎだけか。
 科学技術がお手上げなのに、未来の科学技術による解決を期待して原発を容認する人たちは、ひょっとして自分でトイレそうじをしたことがない人かもしれない。

ロボットと人間の違いって

2016-01-15 16:37:57 | 日記・エッセイ・コラム
 人工知能がどんどん進化しているらしい。
 先日、TVのニュース番組が最新AI技術ディープランニングについて特集していた。ディープランニングとは、画像認識して自ら「判断」し、動く人工知能のこと。人間の作業より正確かつミスなくやってのけるので、これからいろんな分野の仕事がこのディープランニング搭載ロボットに入れ替わっていく可能性があるのだとか。
 ではロボットに取って代わることができない分野、人間に出来てロボットに出来ないことは何だろう。
 番組内で専門家は、それは「目的を持つこと」、と述べていた。現在のところロボットは自ら目的を設定して動く、ということはできないらしい。示されたことはできるけど、人間からの命令がない限り永遠の指示待ち状態。
 ならば次の疑問、人間が目的を定める背景には何があるのか。目的は強い動機がなければ出てこない。それは願望、夢、希望といった言葉で表される。だから人間とロボットの違いは「夢や希望を持つこと」、に言い換えることができるのかもしれない。すなわち人間のように何かをしたい、あれが欲しい、こうなりたい、そういった心のトキメキみたいなもんをロボットは持つことはできないのである。
 とは言っても、人間ならば誰でも簡単に目的持てるわけじゃない。現在まわりを見渡しても、目的失って漂流している人、けっこういる。目的を持って生きることって、人間の究極的テーマのひとつだ。専門家の言葉は狭い範囲での目的を意味してるのかもしれないが、小さな目的でも大きな目的の一部ととらえることができる。そう考えていくと私たちは今、自分で目的を設定して生活してるのか・・・ わが身をふり返ってみるとこれがかなり怪しい。これまでの人生で定めた目的の数かずは、本当に自分が心から望んで決めた目的なのか、世間体や常識、他人の価値観で目的設定してんじゃないのか。一人で自問自答してると、けっこうあせる。とにかくロボットと人間との対比でこのような問いが出てくるのは興味深い。ロボットの進化は真に人間がすべきことを浮き彫りにさせるのかもしれない。
 一方でこんな不安も。ロボットがこれから自己学習能力に長けていき、かつ膨大な情報処理を瞬時に行えるようになったら、いずれはそこから何か方向性を示せる「動機」のようなものが生まれてくるかもしれない。目的を持つとは、けっこうしんどいことだ。全能?ロボットXが登場して、Xに人生の目的設定してもらってそれに従って黙々と生きる人間、そんなSF的未来図がアタマをよぎってちょっとぞっとなった。

文章内容とはまったく関係ありません。

父の日に思う

2015-06-19 18:52:43 | 日記・エッセイ・コラム
 5月には父の日が、6月には母の日がある。
 この種の記念日、はっきし言って苦手だ。誰が決めたか知らないが、そういう日が命名されていること及びそれに乗じた商業行為・活動ほどおせっかいなものはない、とうさぎは思う。
 日ごろありがとうが言えないお父さんやお母さんに感謝の気持ちを伝えよう。そんなん自分の心の機が熟したときにやればいいわけで、それは毎日かもしれないし、一生に一度かもしれない。そこには他人が計り知れない親子の事情があるはずで、1年に一度ボタンを押したら雪崩のごとくみんな親に感謝を表明し始めるといった光景はちょっと不気味だ。
 この思い、父親が亡くなってから決定的なものになった。
 いたるところで目にとまる父の日の宣伝文句が超むなしい。母の日も同様であろう。母を亡くした人にとって、母の日の騒ぎ、宣伝キャンペーンはちょっとした拷問のようなものなんじゃないのか。
 それでも人のいい人たちは、この思いやりの無いコマーシャルを許しちゃうんだろか。にわか親孝行商業主義現象の期間中彼らの思いはどうフォローされるのか。ゴマンといる彼らを思いやるより、父と母の日の売り上げ、経済効果の方が優先されるのは、日本社会がカネ儲け優先社会だから?
 そんな日本人の思いをカネでつってる自民党は、数年前自前の憲法改正案を出した。その中の24条が家族について書かれてある。

24条  家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助けあわなければならない。

 2文目が父・母の日以上におせっかいだ。国民にこんなこと「命令」すべきじゃない。家族の幸せをどう作り上げていくかは各家族で決めること。たぶん自民党議員の頭の中には親孝行にはげむ旧態依然の家族像が鎮座していて、憲法に扶養義務なんかも盛り込みたかったと思うのだが、自分が一番幸せを感じる家族の形・像はそれぞれ違うはず。
 一方で家族の幸せ条件に日本特有(?かどうかわからないけど)の共通項があるのは否定できない。共通するのは「人並み」という価値観。で、「人並み」よりちょこっと上の位置にいると日本の親子はどうも至上の喜びを感じるみたい。
 先日、TVで両親が好きな国ランキングをやってた。日本の順位はというと、ほとんどドベ。うんわ、と思うと同時に、そうかもしれんと複雑な気分になった。
 乱暴な言い方かもしれないが、親子が仲良かったら、人間の幸せ度合格点(60~70点)はクリアする。うさぎの同年代のいい大人も、親にほめられると幸せいっぱいの顔してるやつがいる。子供は単純だ。いつもどんな理由でも親から評価されるとうれしい。「人並み」になったな、偉い! ノーベル賞とったな、偉い! ちゃんと生きてるな、偉い! だから、その逆は恐ろしい。日本家庭内殺人や傷害事件の多くは、親が子に「人並み」価値観の土俵で、無理難題押し付けたあげく起こっているんじゃないのか。そこまでいかなくてもこの「人並み」呪縛は、日本の子が親をキライになる決定要因となり、両親が好きな国世界ランキングをほとんど最下位まで押し下げているのでは、と思う。
 日本の家族も「人並み」という価値観を捨てたら、もっと幸せになれるのかもしれない。
 そのためには時間的ゆとりを持つことが必要だ。「人並み」一直線の縛りから自由になり、ゆっくり自分の家族と向き合うこと。まわりをチラ見しながら滅私奉公的労働をするのではなく、自分や自分の家族の幸福を基準に働くこと。だから、派遣労働改正や残業ゼロ法、同一労働・同一賃金推進法案骨抜きなんてもってのほかだ。自民党も日本を親孝行大国にしたかったら労働者にやさしい法律をがんがん作ったほうがいい。
 今、しみじみ思う。自分の家族の幸福の形を見つけるってことがいかに大切なことか。今の日本人にとって最も重要な課題のひとつかもしれない。が、これがけっこう難しいんだよね。父・母の日に何の疑問も感じない日本人にとって、国や企業が描いてきた理想の家族像から抜け出すことは至難の業かもしれんなあ。
  

元旦のある光景

2015-01-05 19:05:21 | 日記・エッセイ・コラム
 新年早々にたまげた光景に出くわした。
 実家からバスでアパートに戻るときのことである。栄の繁華街にさしかかり、元旦なのにすごい人混みやなあ、と窓から外を見てると、なにやら少々異様な光景。
 道端に人がずらーっと座っているのである。それもみんなお揃いの折りたたみ式の簡易イスに、秩序正しく行儀よく座り並びをしてる。一瞬、何なのかよくわからなかったが、行列の先頭の前にアップルのビルがどんと立っているのを見て合点がいった。
「こ、これが噂のラッキーバックゲット行列かぁ・・・」
 この重装備な行列、いったいどこまで続いているのやら。日ごろ見慣れないものにもう目は釘付け。ちょうど行列の後方に向かってバスは走っていく。イスは、何か行列の掟でもあるのか、大きさ、形、みんないっしょ。で、全員、寒いから防寒対策はばっちりしている。傍らには大きな荷物。生活必需用品でも入っているのだろうか。こうなったら並んでいるというより、滞在していると言ったほうがいいかもしれない。みんな路上の傍らのせまい空間で、大晦日から元旦にかけて生活しているのだ。ひえぇ。(後から聞いた話によると、1週間ぐらい並ぶ人もいるとか。・・・絶句・・・!)イスとイスの間に寝袋にくるまってでかいイモムシが如く「転がって」いる人もいる。小さなテントをはってる人もいる。
「うわあ、すげえ・・・」
 あっけに取られているうちに、バスはデパートが立ち並ぶ交差点にさしかかる。すると、行列は進行方向から90度左に曲がって、その最後尾を確認することができなくなった。
「何なんだ、これは。彼らのエネルギーはどこからくるんだ。うーん、うーん。理解できーん」
 この寒空の大晦日から元旦にかけて(名古屋では夜半過ぎから雪が降った)こうやって新年を過ごす人たちがいるという紛れも無い事実。混乱しながら、自分なりに考え(感想)をまとめてみる。で、頭の中に残ったのは、「忍」と「超個人的享楽」の2つ。ただ、ひたすら忍の一字で並び続ける。自分だけのの満足、喜びのために。
 いつから日本の正月ってこうなっちゃったんだろう。昔は元旦から開いてる店なんかほとんどなかった。だから元旦に福袋を買うなんて習慣はなかった。それがいつの間にか、元旦営業の店がぽつりぽつりと増えはじめ、後は雪崩のごとく多くの店がそれ従っていく。個人商店までも元旦営業してる姿を見るのは痛々しい。無理しても元旦に店を開ける理由はひとつ。とても儲かるから。元旦は1年のうちで一番客が入る日とも言われている。
 万事がすべて経済アップの方向へ流されていく今の日本。過去、正月ってみんな自分ひとりだけの楽しみのために過ごさなかったような気がする。家族でゆっくり過ごしたり、友達どうしで他愛ない遊びに興じたり・・・。ところで、行列の人々も行列仲間と交流するんだろうか。みなさん1列に並んでるから、ちょっと難しそうだ。隣近所マニア同士で「また、会いましたねー」とか軽い会話もあるかもしれないが、それ以上人間関係が深まってく可能性は低そう。少なくとも私が見たかぎりは、あまり和気あいあいといった様子は感じられない。そりゃそうだよな。行列参加者は福袋ゲットに関してはライバル同士だもん。やっぱ、寡黙な「忍」と、それを耐え抜いたあとにゲットできる「個人的喜び」なんだよね。「こんなんゲットした」と後で戦利品見せ合って盛り上がる場面もあるかもしれないが、それも一過性のもの。基盤にあるのは、あくまで個人的な享楽だ。
 過去のあの、1年の中で日本国中がしんと静まり返った聖域のような元旦はもう戻ってこないんだろうか。あくまでまわりの雰囲気に流されやすい日本人。目下のところ、うさぎができるささやかな抵抗は、元旦に何も買わないことかな・・・。
 いやはや仮想空間とは比較ができない、とっても濃いバーチャルな光景でした。