今日、山ノ内町の中を聖火ランナーたちが走った
やはりオリンピックが開催されるんだ、そんなことを考えながら
路傍の見学者の一人として眺めていた
賛否両論はあると思うが、宿六は開催については賛成だ
多くの人々がかかわりを持つオリンピック、選手はもちろんだが
大会関係者の数は相当なものだろうし、いろいろな関係する業者も
半端な数ではないはずだろう
宿六、長野オリンピックの時にアルペンスキーのスラローム種目と
スノーボードのアルペン種目の旗門員としてコースの中にいたんだ
志賀高原でオリンピックを開催するためには、まずワールドカップの開催が必要で
ワールドカップを開催するためには、FISのコンチネンタルカップの開催が絶対条件となる、宿六このコンチネンタルからかかわってきたんだよ
国際旗門員の資格を取り登録を済ませる
何よりもつらいのは、大会前のバーン作りイメージとしてスケートリンクを傾けたように仕上げるのだ、スキーのエッジを剃刀の刃のように研いでいないと立っていることすら出来ない
ゲレンデに水をまき、スキー靴で踏み込んで全員スキーをつけて
横滑りで磨き上げるのだが、これスキーの技術が未熟だとまっすぐ降りていけない
最初の大会の時は朝3時集合ですぐに作業開始、しかも手弁当で朝と昼2食持参
大会前、何日もこれを続けるわけだから体力的にも相当堪える
無事に数回のコンチネンタルを成功させて高い評価をいただき
ワールドカップの開催にこぎつけたのだ
この成功がのちのオリンピックにつながった
宿六はオリンピックとパラリンピックの成功と共に
アルペンスキーのゲートのジャッジはやめた
次の若い世代に頑張ってもらおう
この経験から、オリンピックの大変さや辛さは十分理解しているが
同時に大きな夢があると思う
未来ある子供たちに大きな希望と夢を与えることができるはずだ
人生最後の国内開催、いろんな意味で楽しみたいと宿六は考える
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