心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

飯豊山(7) 三国岳から剣ヶ峰を下って御沢へ

2020年12月07日 | 東北の山


飯豊山(2,105m) ((6)のつづき)


 「~ 福島、新潟、山形の三県が接する地点に、摩訶不思議な県境が走っている。福島県の西北端にそびえる三国岳から、新潟と山形両県の境目を割り裂き、飯豊山頂を目指して、並行した二本の県境がニョキニョキと伸びているのである。その幅はおよそ三尺というから、一メートルにも満たない。ということは、ひと跨ぎで新潟県から福島県を通り越して、山形県に着地できるということである。 ~」
 (『知らなかった!驚いた!日本全国「県境」の謎』浅井建爾(実業之日本社))


 長い「摩訶不思議な県境」が2本も走る登山道を歩いて、大きなリュックサックが留守番している切合小屋へと戻ります。新潟県から山形県へ、またその逆へ、無意識のうちに何回も行ったり来たりしています。ユニークな県境が、登山道と並行しているのも貴重です。

 1泊お世話になった切合小屋まで戻ってきました。荷物の大きさは元通りになりましたが、食事や水を消費した分だけは軽くなっています。
 さらに下って三国小屋まで来ました。ここから西に下れば、昨日と同じ道を逆にたどり弥平四郎登山口まで戻りますが、反対に東へ下ると御沢野営場から川入に出ることができます。
 今日は御沢へ下ることにし、しばらく進むと、岩がむき出しになった尾根に出ます。高い二等辺三角形のような形をした岩場があり、頂点から左右両方に向かって鎖が下りています。どちらか片方を下ればいいという岩場でした。
 さらに下ると、剣ヶ峰の標識が立っていました。下り切った場所で「剣ヶ峰」を見るのは、逆な感じがしました。大きな山の頂点にある方がいいような標識でした。
 ようやく岩場が終わり、標高が下がったので紅葉の色づきも戻ってきました。谷地平へ向かう登山道との分岐点を南に向かいます。飯豊山頂から長く続いた県境線とも、ここでお別れです。
 水場がありました。持参した水はまだ余っていますが、それでもこんこんと湧き出る透明な水は有り難く、ペットボトルの水よりずっとおいしいです。

 今日最後の急坂の下りに入りました。地図には「長坂」とあり、まさに名前の通りの坂です。途中に、「上十五里」「中十五里」「下十五里」ときれいに名前の揃ったポイントがあり、一息つけます。そこだけ、樹木の雰囲気、まわりの雰囲気が他の場所と違います。中十五里や下十五里では、立派な杉の木が印象的でした。


 登山口で立派な杉の木、栃の木を見上げました。御神木の風格たっぷりでした。
 
 初めての避難小屋泊は、眠れないほど寒かったこと、細い線のような夜景が見えたこと、1年たっても思い出すことがたくさんあります。
 たった2日分の生活そのものすべてを背負って山に登るくらい、一度はしておいてよかったと思います。
 これで、百名山の残りが那須岳1座になりました。最後は那須にしようと、ずっと登らずにとっておいた山でした。いつ登りに行こうか、計画するだけで楽しみな日々がしばらく続きました。






◆◆◆◆◆
【飯豊山(登り:弥平四郎登山口・下り:御沢野営場)】
(1日目)弥平四郎登山口8:57→上ノ越11:09→三国岳・三国小屋14:15~14:30→切合小屋16:13
(2日目)切合小屋5:20→御秘所6:20→飯豊山頂7:43~8:00→切合小屋9:50~10:28→三国小屋11:50~12:00→地蔵山下分岐13:16→水場13:35→上十五里14:38→中十五里15:03→下十五里15:23→御沢野営場16:08
 
※飯豊山は稜線に出るまでが急坂の連続です。
 弥平四郎登山口の方が傾斜は緩めですが、地面が柔らかくて安定しない感触の場所がいくつかあり、倒木をくぐり抜けたところもありました。
 もし御沢から登る場合、初めからかなりの急坂です。また、三国小屋の手前に剣ヶ峰の岩場・鎖場があります。全体的に岩が平らで、足の置き場が少ない感じがしました。
 飯豊山登山は、寝袋などの荷物が多い分、同じ鎖場でもほかの山より難しさが増します。
 三国小屋から頂上までにも岩場はいくつか出てきますが、剣ヶ峰ほどは難しくないと思います。
 (体力●●●●● 技術●●●●○) (登頂:2019年10月下旬)



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