全国大会の打ち合わせも済み、明日は交通事故防止のキャンペーン参加を控え、
桜咲く四月もまた多忙である。
一月は「往ぬ」二月は「逃げる」三月は「去る」と、慌しく過ぎ去ったものの
その中でどうやら全国大会への出場はこの演劇部関係者の生活スタイルをも変えつつあるようで、これはやはり嬉しい悲鳴と言わねばなるまい。
例年この時期は滝二祭に向けての脚本が決まって、ひたすら稽古に打ち込んでいた
ものだ。もちろん、今年も稽古漬けではあるのだが、どこかしら『違う』のである。このことを一番肌で感じておられるのは、創部されたおスミ先生ではないだろうか。
喜怒哀楽、さまざまを受け取るには
「卯月」
という名は可愛らしすぎる。
ひょっとしたら
「疼き(うずき)」かもしれないし
「嘔吐き(えづき)」かもしれないが、それでは余りにも後ろ向きなので、
新たな役者が誕生する
「卵月」とでもしておくとしよう。
さて、今回は日々ケイコ・マナブの出囃子について語ろうと思う。
そもそも寄席には「出囃子」と「受け囃子」、それに「儀礼囃子」と
呼ばれるものなど様々なお囃子がある。
儀礼囃子などはあまり耳にする機会がないかもしれないが、
寄席の開演前や中入りなどで聞くことが出来るので、個人的な意見ではあるが
ぜひ寄席に足を運んで欲しい。
特に私作の落語の上演日に。
軽快なリズムと風情を合わせ持つ、この出囃子は
「春藤」
という名前がついている。
へぇ、出囃子にも曲名があるんだと思われた方もいるかもしれない。
特に噺家にはそれぞれ一人前になれば、それぞれに決まった出囃子がつく
ことになる(たいていの場合、噺家自身が選ぶようだ)。
例えば桂米朝師匠だと「三下がり鞨鼓(さんさがりかっこ」
故桂枝雀師匠は「昼飯(ひるまま)」
故桂文枝師匠は「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」
故古今亭志ん朝師匠は「老松(おいまつ)」
といった具合だ。
だから、好きな噺家の出囃子が聞こえたときに
「おっ、次は○○師匠の出だな」と
寄席通などは分かるようだ。
色物(落語以外の芸人さんを、朱塗りでメクリに表記することから
「色物」と呼ぶ)の師匠連も決まった出囃子があるが、その多くの場合
TV放送や企画によってその形態を変えるため、耳にすることは私の経験上
少ない。
では「春藤」は、現在どの噺家の出囃子か、ということになるが、
これは上方では「桂つく枝」師匠の出囃子である。
なぜ、「上方では」と書いたかといえば、同じ出囃子を
東西、江戸落語・上方落語の噺家がそれぞれ持つことがあるからだ。
簡単に言えば、「春藤」をつく枝師匠以外にも東京で使っている噺家さんが
いるということになる。
実際に、「野崎」という曲を使っている噺家が
東西交流落語会などで一緒の舞台で演じることになって、格下の片方が
遠慮して別の出囃子を使った、という話もある。
では、何故「桂つく枝」師匠の出囃子を使用したか、だが
多くの関係者は「脚本家の落語を演じてくれた噺家だから」と
思っているようだ。
確かに、つく枝師匠は「脚本家の落語を演じてくれた噺家」ではある。
懇意にしてくださっている上方落語家で、私自身大ファンの噺家だ。
ちなみに宣伝でも何でもない・・・ことはないのだが、
『FAX幽霊』という拙作を2005年夏に演じてくださっている。
だが、出囃子となると、芝居の雰囲気とも合うかどうかは演出次第であるし
そこまでのゴリ押しはいくら私でもしない。
というより出来ない。
とはいえ候補には推した。
しかし、私もケイコも当時のマナブも、一同に推したのは
「宮さん宮さん」
という出囃子であった。
ところが、いつの間にか「春藤」で芝居の練習が続き、定着し
今では「春藤=ケイコ・マナブの出囃子」となってしまった。
記憶が正しければ、初期のころの何かの練習のときに
「宮さん宮さん」の音源がなく、「春藤」を使った結果、それ以降
それをかけて練習が続いたように思う。
これが真相である。
結局「宮さん宮さん」の出囃子は作中に一度も登場しないが
機会があればどこかで耳に触れてもらいたい曲ではある。
さらに書けば、桂つく枝師匠に「師匠の出囃子、使わせてもらっています」
と伝えると、我がことのように喜んで下さったので、こちらまで嬉しい話である。
ざっと、読み返してみたが、公演日前に書く分量ではない気がする。
桜咲く四月もまた多忙である。
一月は「往ぬ」二月は「逃げる」三月は「去る」と、慌しく過ぎ去ったものの
その中でどうやら全国大会への出場はこの演劇部関係者の生活スタイルをも変えつつあるようで、これはやはり嬉しい悲鳴と言わねばなるまい。
例年この時期は滝二祭に向けての脚本が決まって、ひたすら稽古に打ち込んでいた
ものだ。もちろん、今年も稽古漬けではあるのだが、どこかしら『違う』のである。このことを一番肌で感じておられるのは、創部されたおスミ先生ではないだろうか。
喜怒哀楽、さまざまを受け取るには
「卯月」
という名は可愛らしすぎる。
ひょっとしたら
「疼き(うずき)」かもしれないし
「嘔吐き(えづき)」かもしれないが、それでは余りにも後ろ向きなので、
新たな役者が誕生する
「卵月」とでもしておくとしよう。
さて、今回は日々ケイコ・マナブの出囃子について語ろうと思う。
そもそも寄席には「出囃子」と「受け囃子」、それに「儀礼囃子」と
呼ばれるものなど様々なお囃子がある。
儀礼囃子などはあまり耳にする機会がないかもしれないが、
寄席の開演前や中入りなどで聞くことが出来るので、個人的な意見ではあるが
ぜひ寄席に足を運んで欲しい。
特に私作の落語の上演日に。
軽快なリズムと風情を合わせ持つ、この出囃子は
「春藤」
という名前がついている。
へぇ、出囃子にも曲名があるんだと思われた方もいるかもしれない。
特に噺家にはそれぞれ一人前になれば、それぞれに決まった出囃子がつく
ことになる(たいていの場合、噺家自身が選ぶようだ)。
例えば桂米朝師匠だと「三下がり鞨鼓(さんさがりかっこ」
故桂枝雀師匠は「昼飯(ひるまま)」
故桂文枝師匠は「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」
故古今亭志ん朝師匠は「老松(おいまつ)」
といった具合だ。
だから、好きな噺家の出囃子が聞こえたときに
「おっ、次は○○師匠の出だな」と
寄席通などは分かるようだ。
色物(落語以外の芸人さんを、朱塗りでメクリに表記することから
「色物」と呼ぶ)の師匠連も決まった出囃子があるが、その多くの場合
TV放送や企画によってその形態を変えるため、耳にすることは私の経験上
少ない。
では「春藤」は、現在どの噺家の出囃子か、ということになるが、
これは上方では「桂つく枝」師匠の出囃子である。
なぜ、「上方では」と書いたかといえば、同じ出囃子を
東西、江戸落語・上方落語の噺家がそれぞれ持つことがあるからだ。
簡単に言えば、「春藤」をつく枝師匠以外にも東京で使っている噺家さんが
いるということになる。
実際に、「野崎」という曲を使っている噺家が
東西交流落語会などで一緒の舞台で演じることになって、格下の片方が
遠慮して別の出囃子を使った、という話もある。
では、何故「桂つく枝」師匠の出囃子を使用したか、だが
多くの関係者は「脚本家の落語を演じてくれた噺家だから」と
思っているようだ。
確かに、つく枝師匠は「脚本家の落語を演じてくれた噺家」ではある。
懇意にしてくださっている上方落語家で、私自身大ファンの噺家だ。
ちなみに宣伝でも何でもない・・・ことはないのだが、
『FAX幽霊』という拙作を2005年夏に演じてくださっている。
だが、出囃子となると、芝居の雰囲気とも合うかどうかは演出次第であるし
そこまでのゴリ押しはいくら私でもしない。
というより出来ない。
とはいえ候補には推した。
しかし、私もケイコも当時のマナブも、一同に推したのは
「宮さん宮さん」
という出囃子であった。
ところが、いつの間にか「春藤」で芝居の練習が続き、定着し
今では「春藤=ケイコ・マナブの出囃子」となってしまった。
記憶が正しければ、初期のころの何かの練習のときに
「宮さん宮さん」の音源がなく、「春藤」を使った結果、それ以降
それをかけて練習が続いたように思う。
これが真相である。
結局「宮さん宮さん」の出囃子は作中に一度も登場しないが
機会があればどこかで耳に触れてもらいたい曲ではある。
さらに書けば、桂つく枝師匠に「師匠の出囃子、使わせてもらっています」
と伝えると、我がことのように喜んで下さったので、こちらまで嬉しい話である。
ざっと、読み返してみたが、公演日前に書く分量ではない気がする。