滝川第二中学校・高等学校演劇部

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その2 出囃子について

2006-04-03 | 脚本家よもやま噺
全国大会の打ち合わせも済み、明日は交通事故防止のキャンペーン参加を控え、
桜咲く四月もまた多忙である。

一月は「往ぬ」二月は「逃げる」三月は「去る」と、慌しく過ぎ去ったものの
その中でどうやら全国大会への出場はこの演劇部関係者の生活スタイルをも変えつつあるようで、これはやはり嬉しい悲鳴と言わねばなるまい。
例年この時期は滝二祭に向けての脚本が決まって、ひたすら稽古に打ち込んでいた
ものだ。もちろん、今年も稽古漬けではあるのだが、どこかしら『違う』のである。このことを一番肌で感じておられるのは、創部されたおスミ先生ではないだろうか。

喜怒哀楽、さまざまを受け取るには
「卯月」
という名は可愛らしすぎる。
ひょっとしたら
「疼き(うずき)」かもしれないし
「嘔吐き(えづき)」かもしれないが、それでは余りにも後ろ向きなので、
新たな役者が誕生する
「卵月」とでもしておくとしよう。


さて、今回は日々ケイコ・マナブの出囃子について語ろうと思う。
そもそも寄席には「出囃子」と「受け囃子」、それに「儀礼囃子」と
呼ばれるものなど様々なお囃子がある。
儀礼囃子などはあまり耳にする機会がないかもしれないが、
寄席の開演前や中入りなどで聞くことが出来るので、個人的な意見ではあるが
ぜひ寄席に足を運んで欲しい。
特に私作の落語の上演日に。

軽快なリズムと風情を合わせ持つ、この出囃子は
「春藤」
という名前がついている。
へぇ、出囃子にも曲名があるんだと思われた方もいるかもしれない。
特に噺家にはそれぞれ一人前になれば、それぞれに決まった出囃子がつく
ことになる(たいていの場合、噺家自身が選ぶようだ)。
例えば桂米朝師匠だと「三下がり鞨鼓(さんさがりかっこ」
故桂枝雀師匠は「昼飯(ひるまま)」
故桂文枝師匠は「菖蒲浴衣(あやめゆかた)」
故古今亭志ん朝師匠は「老松(おいまつ)」
といった具合だ。

だから、好きな噺家の出囃子が聞こえたときに
「おっ、次は○○師匠の出だな」と
寄席通などは分かるようだ。

色物(落語以外の芸人さんを、朱塗りでメクリに表記することから
「色物」と呼ぶ)の師匠連も決まった出囃子があるが、その多くの場合
TV放送や企画によってその形態を変えるため、耳にすることは私の経験上
少ない。

では「春藤」は、現在どの噺家の出囃子か、ということになるが、
これは上方では「桂つく枝」師匠の出囃子である。

なぜ、「上方では」と書いたかといえば、同じ出囃子を
東西、江戸落語・上方落語の噺家がそれぞれ持つことがあるからだ。
簡単に言えば、「春藤」をつく枝師匠以外にも東京で使っている噺家さんが
いるということになる。
実際に、「野崎」という曲を使っている噺家が
東西交流落語会などで一緒の舞台で演じることになって、格下の片方が
遠慮して別の出囃子を使った、という話もある。

では、何故「桂つく枝」師匠の出囃子を使用したか、だが
多くの関係者は「脚本家の落語を演じてくれた噺家だから」と
思っているようだ。
確かに、つく枝師匠は「脚本家の落語を演じてくれた噺家」ではある。
懇意にしてくださっている上方落語家で、私自身大ファンの噺家だ。
ちなみに宣伝でも何でもない・・・ことはないのだが、
『FAX幽霊』という拙作を2005年夏に演じてくださっている。

だが、出囃子となると、芝居の雰囲気とも合うかどうかは演出次第であるし
そこまでのゴリ押しはいくら私でもしない。
というより出来ない。
とはいえ候補には推した。
しかし、私もケイコも当時のマナブも、一同に推したのは
「宮さん宮さん」
という出囃子であった。
ところが、いつの間にか「春藤」で芝居の練習が続き、定着し
今では「春藤=ケイコ・マナブの出囃子」となってしまった。
記憶が正しければ、初期のころの何かの練習のときに
「宮さん宮さん」の音源がなく、「春藤」を使った結果、それ以降
それをかけて練習が続いたように思う。
これが真相である。
結局「宮さん宮さん」の出囃子は作中に一度も登場しないが
機会があればどこかで耳に触れてもらいたい曲ではある。

さらに書けば、桂つく枝師匠に「師匠の出囃子、使わせてもらっています」
と伝えると、我がことのように喜んで下さったので、こちらまで嬉しい話である。




ざっと、読み返してみたが、公演日前に書く分量ではない気がする。





その1 藤田さんについて

2006-03-15 | 脚本家よもやま噺
インスピレーションは多忙な時にこそ沸くというものだが、
今日はまさにその日にあたるに違いない。

今日三月十五日は落語「紺屋高尾」に出てくる高尾太夫の
年季が明ける日でもあり、落語作家にとっては気にかかる日である。
そんなことを言い始めると、昨日三月十四日は柳家喬太郎の新作
「白日の約束」の時間軸でもあり、浅野内匠頭の命日でもあるので
それこそ落語関係者にとっては枚挙に暇がないのだ。


さて、
このあたりで読者はきっと耳慣れない落語噺に
嫌気が差し始めただろうと思うので、
本来のコラムに入って就寝するとしよう。

要するに、このカテゴリーでは脚本を手がけた立場から
古参の者しか知り得ない設定であるとか、台詞の由来であるとか
ある種のマニアックな視点から、
「君死にたまふことなかれ」を語っていこうというのが主題である。

タイトルにもある「藤田さん」は、ケイコの恋する男性であるが、
彼は、日々ケイコ・マナブ、師匠筋に当たる居草屋明陽(戦、やめよう)など
登場人物は全て洒落で統一される中、ただ一人
「藤田護」
という、洒落にも何もなっていない人物となっている。
ケイコを愛し、ケイコに愛され、プロポーズする彼の名前は何故「藤田護」となったのか。

一説に「無事だ、(国を)守る」から来ているのだ、という話も耳にしたので
あえてここで書くが、上記の理由はガセである。

初代マナブやケイコらとともに初稿を考える際に、私が書いた数少ない漫才台本
「渡すも貰うもラブレター」を、漫才の参考にと読む機会があったのだが、
その漫才の冒頭に、
「一生懸命頑張っていかなあかんなぁちゅうて、藤田さんと話してたんですけども」
「いや、藤田さんて誰よ。そういうのは相方の俺と相談せぇよ。」
「あぁ、それは藤田さんと相談せんことには何とも言えない。」
「何でやねん。」
のような、他愛ない台詞がある。
どうやらケイコがそれを気に入ったらしく、

「じゃあ、ケイコの恋人は藤田さんで」

となった。
これが真相である。
私にしても、この漫才台詞のボケは、それこそ藤田さんでも住吉さんでも
良かったわけで、意味のありそうな「藤田」は実に安直につけられた名前と
いうことになる。ひょっとしたら、ケイコが漫才台本を読ませた私に
気を遣ってくれたのかもしれないが
考えてみると、この藤田だけが本名(あとは芸名)なので、
リアリティの追求としては、ケイコの判断が正しかったと言うべきだろう。

そして、「護」はどこから来たのか、といえば、
これもケイコの、
「いぐりん先生の下の名前で、藤田守でいいでしょ」
の一声で、すぐさま決定したのである。
もう少し暴露すると、本来は「藤田守」と表記されていたものを
あまりのこっ恥ずかしさもあって「守→護」に変えたのは
何を隠そう、この私なのだ。

考えても見てほしい。
自分が携わった作品で、主人公の恋人役に自分の名前のつく、この照れ臭さを。
「守さん、あなたを愛しています」などという台詞は
芝居ではなく、生身の彼女や婚約者にでも言われてこそ
意味があるのだ、26歳独身の私にとっては。

それもあって、ケイコには台本上、「護さん」ではなく「藤田さん」と
苗字で呼ばせているのである。
もちろん、藤田護という存在が、作中において
「イコール藤田家そのもの」を指す・・・、つまりは、藤田護と結婚することは
藤田家の一族と婚姻関係を結ぶという意味合いが強いために、
彼をあえて個人名の「護」でなく「藤田」と呼ばせているという脚本家の意図は
きちんとあるのだが、裏を返せば、脚本家自身の心情も含まれているのだ。

これだから脚本作りは面白い。