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大善人へ身魂磨き

元神

一年に一回は十里桃花。崑崙山の神仙界を舞台に描かれる50回以上のシリーズを3回も観ている私はちょっぴりマニアなお馬鹿かも。笑。この神仙界の中国ドラマはハマりました。何度観ても涙が出る所もあります。


神仙界でも上神の主人公の白狐の神様が、元神(自分の魂、霊力のようなもの)がバラバラになってしまった自分の師匠に自分の血を注ぎ肉体だけでも保つように努力する場面なんかは、涙。まさに、心血を注ぎ込むわけです。しかし、元神はバラバラになり目を覚ますことはありません。主人公も瀕死になります。


何万年も生きる神仙が亡くなるとは、混沌に還ることです。師匠は自分の元神を持って、悪魔から神仙界を守ったのでした。


ネタバレに成りますが、師匠の元神は、ほんの僅かな一滴のカケラが実は残っていました。それは別の神様の身体の中でゆっくりと何万年も休むことで、かけらを練り固め、終盤に復活することとなります。


波動の違い過ぎる上神である師匠の元神を知らず知らず身体を貸して練り固めていた神様は、長い間身体に不調をきたし寝込みます。



元神が練り固められ師匠が復活をしたら、預かっていた神様の病も治りました。その後、しかしながら、師匠と心血を注ぎ助けようとした白狐の弟子が結ばれる事はありませんでしたが、師匠の双子の弟との純愛ストーリーが続きます。


この部分を観て、人は神様の分け御霊をどの人も持っていると信じている私は、その分け御霊は、生きている限り、この元神と同じように感じました。自分の中にある元神を練り固め珠の様に硬くするのも、どんどんと雲らせるのもその人によると思います。肉体があるうち、生きているうちはそれが出来ます。


十里桃花の師匠のケースは、究極の自己犠牲により神仙界を救ったわけですが、自己犠牲も凄く自神を痛め瀕死にしました。病になるというのは、生きづらさや頑張り過ぎ、暴飲暴食、自己否定みたいな、やはり、自己の内にある元神を犠牲にしたり、傷つけていたり、攻撃しているのかもと思いました。


元神は他人によっては傷つかないけど、自分の心の選択によっては傷ついてしまう可能性があるかもです。傷つきそうって思った時には、休みなさいと病をプレゼントしたりするのかも。あなたの中の元神をゆっくり快復させなさいってことかな。


師匠は、昔恩を与えた、別の神の身体で元神を僅かなカケラから練り上げたように、復活には時間がかかりましたが、快復しました。


自分を守るのは責務だと思えます。辛い時でも命を投げ出したりしてはいけない。どんな経験の中にも、学びがあり成長があるはずだと思います。自分の内にある元神、分け御霊を自分の肉体が生かしてもらっている間は何があっても守るんだと思っています。






コメント一覧

あき
keiさん

新井満さんは、以前ブログにちらっと書きましたが、千の風になっての日本訳をされた方だとしか知らなかったです。十牛図についても自由訳を書かれていたのですね!そんな繋がりがあったとはびっくりしてます。
私も、その書を手にとり学びたいと思いました。教えていただきありがとうございます。
そして、コメントもありがとうございました。(o^^o)
kei
こんにちは。
いつも拝読させていただきながら、できる得る限りの想像力を働かせて、
いろいろと考えるきっかけをいただいております。

こちらでのお話を契機に、新井満氏の『十牛図』自由訳を手に取ってみました。
あとがきに変えた断章もよかったです。
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