一寸法師のモデルとされる少彦名神は、国造りの途中で常世の国(海のはて、海神の国、蓬莱島?)に帰ります。
こんなエピソードがあるようです。
大国主命が
「色々苦労したが、この国もよくなってきたよな。」
と言うと少彦名神は
「良いところも沢山あるが、良くないところも沢山ある。」
と言い、ある日突然、大国主命の元を去ってしまったのだそうです。
少彦名神は高天原の使いだから、帰る時が決まっていたのでしょうか。もしくは、色々我慢していたこともあったのでしょうか。
優しい人は我慢して、いいよーいいよーと何でも引き受けます。いいよーの裏側にホントは我慢してるけど、、、という事もあったりします。いいよーといつも優しかったり、許してくれる人は、平和主義で喧嘩しないぶん、我慢の限界まで我慢してしまう。自分が持たないとわかると言葉スクナく去るのです。
去られた方は辛い気持ちを味わって初めて、その優しい人の気持ちを裏切っていた自分にきづく、こういう事は人間関係にもある気がします。
少彦名神は言葉スクナに、時にはヤンチャに、黙々とやるべき事をやり、名をあげるわけでもなく、さっと現れてスーッと消えていきました。大国主命にとっても、いる事が当たり前過ぎたのかもです。居なくなるとその存在の大きさと、自分の心の弱さに気づいてしまう。
しかし、やはり日本の神様、少彦名神が去ったのは、嫌になったからではなく大好きな大国主命のさらなる成長を期待しての深い優しさからだと思いたいです。
獅子の子落としです。少彦名神は小さい身体だけれど、心は獅子。常世からの使者。大きな名前を持つ大国主命を大切に思っていたから、名前にも相応しい男になるよう更なる期待を込めて去ったのかもしれません。
少彦名神がいなくなってからどうしてよいか分からなくなり、大国主命が一人苦しんでいる時、海を輝き照らす神様が現れます。
大国主命は「そなたは誰だ?」と問います。すると、その神は「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に祀れば国造りの協力をしよう。」と言います。
幸魂は愛で奇魂は智を表します。
また、「思いやりと相互理解を図り、分析観察力で真理を探求しなさい。善を促す己の心を信じよ。そうすれば身も心も一体となり、事は成せる」と言いました。
汝のということは、大国主命の内なる神様ですね。
どのように祀ったよいのですかと大国主命がたずねると、
「大和の国を青垣のように囲む山々の東の山の上に、身を清めて祀るがよい」
とお応えになったそうです。その言葉に従い大和の三輪山にその神様をお祀りしたようで、この神様が奈良県の大神神社に祀られているオオモノヌシ神です。森羅万象に宿る目に見えない力を象徴している神様なのだそうです。
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そのお言葉に従い、大国主命は更に強くなりました。葦ばかり生えた大地も水穂(瑞穂)の実る国土となったようです。大国主命は心の声に従いました。
「思いやりと相互理解を図り、分析観察力で真理を探求しなさい。善を促す己の心を信じよ。そうすれば身も心も一体となり、事は成せる」
この言葉は、私の心にもとても響きました。
おわり
【画像はスクナビコナノミコト画像検索、大神神社画像検索より】