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大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

六甲ヒメ神社 in 兵庫県西宮 瀬織津姫をたずねて

2023-08-05 05:57:00 | 神社仏閣

三輪山登拝後は、三輪そうめんを食べました。暑い日でしたから、喉越しがよく、本当に美味しかったです。

その後、帰途には少し時間があるし、どうしようかなぁと思いましたが、話し合って六甲ヒメ神社に参拝する事にしました。妹は二回目で、私は初めてです。


六甲比咩神社は、祓戸筆頭、水の女神

瀬織津姫をお祀りします。





西宮の六甲山に以前いった時には越木岩神社や如意尼の神呪寺を参拝しました。六甲山は磐座が沢山あって、古代からの祈りの場だと感じました。

また、西宮にあります廣田神社は、今は天照大神荒御魂を主祭神としていますが、昔の御祭神は瀬織津姫だったようです。

廣田神社の御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたようですが、武内宿禰・神功皇后の御代に廣田神社にかえしたことが、廣田神社由緒書きに記されているようですね。


また、廣田神社の宝物には、剣珠があるようです。「日本書紀」に、「神功皇后が関門海峡長門豊浦の津に泊まり、海中より如意珠(こころままのたま)を得らると、見ゆるも是なり」とあり、八幡大神(應神天皇)、神功皇后に戦勝を授け、高野山を鳴動させた神通の霊宝として著名なものだと紹介されていました。


剣の形の現れたことから、剣珠と称され、現存する日本最高最古の如意宝珠のようです。



廣田神社ホームページより
水晶の玉中に劔の顕れた如意宝珠


『元亨釈書』の中の、甲山神呪寺の開基、如意尼の伝に、海中より得たる《如意宝珠劔珠》の件は記録されているようです。

空海の愛弟子、如意尼は真名井神社と縁深く、龍女のように感じています。


また、室町時代、五山文学の雄僧絶海中津は著書『蕉堅稿』の中で「所劔珠者絶世之奇観也」(←珠の中に剣があるのは世にもふしぎだたなぁ、、という意味かな?と紹介し、

同じく室町時代の著名禅僧義堂周信もその書『空華集』に「霊光夜射九重天」「竜女神珠不直銭」と称賛しているとありました。

このお二人の僧、義堂 絶海は、母の故郷、高知県津野山出身で、十牛図を日本で紹介した御方です。

高知県津野町、津野山は龍仙界だと思っていますから、山奥の田舎から室町時代五山文学のトップがでたのを知った時には、津野山の龍神様の背に乗って飛んで行ったのかなぁと思いました。


瀬織津姫といえば、関東では、小野神社の主祭神でした。和邇氏や、龍神様に関連ある豊玉姫を想起させます。


また、伊勢神宮内宮別宮、荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」です。

荒祭宮は、かつては正宮に位置していたと推定されるとあります。伊勢神宮公式の由緒書きによると、御魂は、元は二宮に並べてお祭りされていたとあるようで、昔は式年遷宮のたびに位置を替えるのではなく、常に東に位置する正宮は天照大神、西に位置する正宮は瀬織津姫を祀っていたWikipediaにはありました。西宮という地名の由来は、瀬織津姫様の坐す西に位置する宮、なのかもですね😌。勝手な空想かもしれませんが。


六甲ヒメ神社を管理されているお方がおり、神社の由来を色々お話をしてくださいました。宮司さんなのかはわかりませんが、とても宮を大切に思われていました。昔は常に伊勢神宮でニ宮並べて祀られており明治以降に?(☜記憶が曖昧、、)一宮に変えられたけれど、本来は二宮並べるのが望ましいとも言っておられました。




六甲比命大善神社は、女性的な優しい気を放つ神社です。






瀬織津姫様は饒速日命との関連もあると言われているようですね。夫婦神ということでしょう。

饒速日命が火、太陽、日なら、瀬織津姫は水、月というイメージですね。太陽(日)と月。水と火。調和。和。





お幸せに❤️


大神神社参拝記 ②

2023-08-04 05:51:00 | 神社仏閣

三輪山の麓の大神神社は、三輪山そのものが御神体のため、本殿はなく拝殿から山を拝みます。そのような神社の起源はかなり古いようです。

縄文時代は神が山に宿ると考えて山そのものを拝む習慣があったようで、九州を参拝した時も、祖母山で同じ話を宮司さんから聞きました。大いなるものは自然の運行の中にあるのかもしれません。


「古事記」には、次のような記事があります。

イザナギノ尊が少名彦 (コトシロヌシに、大国主 (八矛ノ命)と兄弟になって、 出雲王国を造りなさい と言われた。少名彦神が常世の国に渡ったあと、大国主は心配して、「わたし一人で国を造るのは難しいと この神が協力してくれるだろうか」と仰せられた。その とき、海上を照らして近寄って来る神 (大物主)が、「われをヤマトの青垣の東山 (三輪山)に祀れ」と言われた。その神は、御諸山 (三輪山) に鎮座する神となった。」


三輪山では磐座も祀られています。古い信仰ですね。




また、三輪山には三つ鳥居が 拝殿の奥に建てられており、サイノカミ三神が祀られています。三柱鳥居には思い出があります。

出雲人は、インドからやってきた時鰐を崇拝していましたが、そこから後に鰐が竜神信仰やヘビ信仰になったと出雲の著書では書かれていました。古事記の

「海上を照らして近寄って来る神」 

とは、出雲地方の背黒ウミヘビの様子を表しており


このヘビは、名前のとおり背は黒いが腹部は金色で、腹をくねらせると灯りに照らされて黄金色に輝く蛇のようで、夜は漁師さんには、金色の火の玉に見えるようです。

大物主神が近寄ってくる様子を、セグロウミヘビのようだと古事記では表現しており、

タタラ五十鈴姫が三輪山の麓に移住したとき、太陽神とともに竜蛇神も祀ったことから、三輪神社の樹木の根にもヘビ神が住むと言われたようです。

三輪山の御眷属神なのかもですね。見えない私からしたら、トカゲだってチョウだって、木の葉だって、そこにある全てが神さまの息吹に感じました。

ところで、ミワという言葉の由来についてですが、もともと酒を入れるカメを、古語で ミワと言ったようで、それが神酒(ミキ)に変わったとありました。

三輪山は、酒造りの神が宿る山という意味で、ミワ山と名づけられたようです。


古代の出雲系の神祭りでは、お神酒は欠かせないため、三輪山周辺では、酒造りが行われます。


神話では、少彦名神は酒造りも教えたことになっていますが、大神神社には出雲の大物主が酒道りを伝えたという言い伝えがあるようです。著書によると、少彦名神🟰事代主神(諡)🟰大物主(名前をかえられた)です。三輪山は、また御諸山(ミムロ山)とも呼ばれます。



澄んだ酒(清酒)は、もろみ(どぶろく)をろ過することでつくられます。御諸山の「もろ」は、酒のもとの「もろみ」を意味するという説もあるようです。


また、古代は竪穴住居を「室」と言ったようです。「室」は酒造りに適した建物で、その屋根が地面の上に出た姿に御諸山が似ているから「御室山」の字が変わったものかもとも言われています。


埼玉の氷川神社3社を徒歩とバスでまわった際、一番行きにくい奥まった場所にあった埼玉の女體神社は三室にありました。龍神伝説の地でした。


三輪山の登拝につきましては、非常に感動しました。古事記や著書を参考に色々書きましたが、人が意味付けしたものをとっぱらった方がよかったりして😚。とても良い空間であり、神坐す山だと思いました。

本当にありがとうございました。


大神神社参拝記 ①

2023-08-03 06:09:00 | 神社仏閣

上鴨社(高鴨神社)、中鴨社(葛城御歳神社)、下鴨社(鴨都波神社)3社を参拝した翌朝は、快晴。



念願叶い生まれて初めて大神神社参拝と三輪山登拝をすることとなりました。




出雲王国とヤマト政権から引用いたします。☟

古代イズモ族は、ヤマトに神奈備山信仰も持ってきます。「なび」 は隠るという意味で、 祖霊はきれいな三角錐形の山に隠っていると考えていました。


また、イズモ族はインドから太陽信仰を持ってきていましたから、特に朝に昇る太陽をよく拝んだようです。


形の円い山は、妊娠した女性の腹を連想するので、女神山と考えられており、ヤマト地方では、円く秀麗な形の三輪山が女神山と考えられていました。


そして、ヤマト地方では、陽は三輪山から昇ってくるため、その山が女神山であったので、朝の太陽神も女神であると考えられていたようです。

ここまで





山を母なる子宮と考える→生命の誕生。蘇る。なんとも神奈備山信仰は神秘的で厳しくも優しい信仰なのでしょう。死者を山に埋葬し、そして、残された人が忘れずに山に向かい祈る。命の連鎖。祈りの連鎖。優しさの連鎖。温かい国、山々に囲まれ、水の恵みに満たされ、木々が生い茂る国、日本。自然の運行に神をみる国。


カツラギからは、東方に三輪山を望み、鴨族の人々は、三輪山の良く見える場所に集まって、そこから昇る朝日も拝むようになったようです。


当時は母系家族制であったので、家の祖先神の祭りは女性がつとめ、地域の祭りの神主も女性がつとめたと著書では紹介していました。


そのため三輪山の初代祭主に、コトシロヌシの姫君タタラ五十鈴姫が就任し、出雲王国と同じく、年に2回、春分と秋分の日に、タタラ五十鈴姫が司祭となって山の神に祈 る大祭をおこなったようですね。



段々とヤマトの各地の人々が集まるようになったので、祭りを三輪山の西麓でおこない、ヤマトの人々は次第にタタラ五十鈴姫のことを、三輪山の女神であるかのように崇拝したとありました。

それで、三輪山の西麓の地に宮を建て、姉妹が一緒に住むことになった地はのちに「出雲屋敷」と呼ばれます。太陽の女神を拝む儀式が行われ、三輪山にはサイノカミの幸姫命が祀られたので、山から流れ出る小川は「狭井川」(幸川) と名づけられますが、もとの意味は幸川だそうです。


狭井川と山の辺の道が交わる場所付近には、出雲屋敷と呼ばれたことを示す案内板が建てられているようで、その近くに鎮座する狭井神社ではコトシロヌシやタタラ五十鈴姫が祭られている、とありました。


三輪山登拝の前に、狭井神社は参拝してきました。



タタラ五十鈴姫の兄君クシヒカタは、「天日方奇日方」と呼ばれ、その名の意味は「天の奇しきカを持つ日(太陽)を祀る人」のようです。


三輪山を祈る、三輪山から昇る太陽🟰天の奇しきカを持つ日(太陽☀️)に祈る、代表して祈りを捧げたタタラ五十鈴姫を後に祀る。


また、タタラ五十鈴姫の父君・コトシロヌシの神霊も祀る。

コトシロヌシ神の名は、のちに大物主と変えられたと出雲王国の著書では紹介されていました。


神奈備山である三輪山は御霊が還り、安まる、母なる大地の象徴のひとつなのかもしれません。


つづく


カモ氏 ④鴨都波神社

2023-08-02 05:58:00 | 神社仏閣

高鴨神社に参拝した際に出会った家族から葛城御歳神社と鴨都波神社を教えてもらいました。葛城御歳神社の次は、鴨都波神社です。

鴨都波神社は、土佐国造りについて書いた際に紹介していました。

鴨都波神社付近一帯は「鴨都波遺跡」という弥生時代中期の遺跡として知られ、当時の住居跡や土器、農具などが多数出土しており、古代より鴨氏がこの地に住み着いて農耕生活を始めていたようです。

奈良県のカツラギ地方には、出雲の人々が多く呼び集められ、タタラによる金属精錬技術なども広めたようです。また、出雲人が信じていたサイノカミ信仰もヤマトとその周辺に伝わったようです。


鴨都波神社は、第11世大田田根子の孫、大加茂都美命(おおかもずみのみこと)に勅を奉りて葛城のむら、加茂の地に奉斎されたのが始まりです。

葛城加茂社、下津加茂社とも称され全国の加茂(鴨)社の根源であるとありました。





事代主神は元来「鴨氏」一族が信仰していた神であり、こちらの神社が事代主神の信仰の本源となると紹介されていました。

事代主神は、奈良県桜井市にあります大神神社に祀られる大物主命の子にあたることから、大神神社の別宮とも称されているようです。

私たちは次の日に大神神社を参拝しました。

鴨都波神社の古い社名は「鴨都味波八重事代主命神社」であり、「鴨の水端(みずは)の神」と解され、鎮座地付近が葛城川と柳田川の合流点となり水に恵まれていたことから、元々は水の神を祀っていたとする説があるようです。


鴨都波神社の元のお名前の鴨都味波八重事代主命 については、神魂家 (富家出身の出雲王国8代目副王少名彦八重波津身🟰諡はコトシロヌシ (事代主)のお名前に似ているように思います。


大国主命を助けた少彦名神。出雲の最盛期を築くも、あっという間に常世に帰ってしまい、大国主命が嘆く話が神話にありますが、少彦名神は、出雲王国の話では事代主神でしたから、常世にかえる話しから、出雲王国の悲劇の八大目の王と副王の幽閉の話を思いました。神門家(のちの鴨氏)が、出雲からヤマトに移住した後に、悲劇の祖先を祀っているのかもしれません。


大物主神が、嘆き悲しむ大国主命に現れ励まします。出雲王国の話では、大物主神は、事代主とありました。

出雲王国の9代目王、富鳥鳴海(事代主長男)🟰9代目大国主が父の無念の死を嘆き悲しんだ時に八重波津身(8代目少彦名🟰事代主)が現れて励ましたのかも、と想像を膨らませました。


高鴨神社の主祭神であります「阿遅志貴高日子根命」は、御名、迦毛之大御神であり、死した神をも蘇らせることができるとても御神力の強い神様であると云われています。

神奈備山である大三輪山に向かって奈良に住むカモ一族は祈っていたようです。雲から出て(出雲)、日の出の神(カモ)の復活の祈りをヤマトの地で捧げたのかもしれません。

8代目出雲王国の王、八千矛の子がアジスキタカヒコでした。出雲全盛期を築いた大国主命と少彦名神を蘇らせる、祈る、そんな思いを高鴨神社と葛城御歳神社と鴨都波神社を参拝して感じました。こちらの3社は上鴨、中鴨、下鴨社と呼ばれます。

また、出雲8代目ヤチホコ(大国主命)とコトシロヌシ(少彦名)は、薬草の使用を普及させたと言われます。古事記には大国主が傷を負っウサギを治す話があります。因幡の白兎では、兎からの恩返しに大国主命は稲穂🌾と美しい奥さんを手に入れる話がありました。


地主神社ホームページ画像より


これは、九州に古代上陸した兎狭(うさ)の渡来人(宇佐の人)の傷を癒したのかなぁと考えています。

コトシロヌシの職名の少彦名は、古くから薬の神様の名で知られています。神農は古代中国の神ですが、大阪中央区道修町の神社で行われる神農祭は「薬祖講」の行事として大阪市無形文化財(民俗行事)に指定されているみたいです。

神農は農業だけでなく薬の神様でもありました。



「大阪の祭りはえべっさんに始まり神農さんで終わる」と言われるようですね。えべっさんは、えびす様。出雲王国の著書ではコトシロヌシであり、またスクナヒコナ神となります。


奈良の鴨都波神社でも、スクナヒコナ神は神農と共に祀られていました。太古、中国からも様々な薬草について学び広めたことをこちらの神社で感じました。




無患子は「子が患(わずら)わ無い」と表記するので女児への無病息災の願いが込められているようですね。


カモ氏③ 歳神様

2023-07-31 06:22:00 | 神社仏閣

古事記によると香用比売(かぐよひめ)は、大年神との間に大香山戸臣神(おおかぐやまとみのかみ)と御年神(みとしのかみ)を生んだとあります。


香用比売の名は、「光り輝くような美しい女性」と云う意味で、御年神は、奈良県御所市の「葛城御歳神社」(かつらぎみとしじんじゃ)に祀られているとありました。


出雲王国の著書では、御歳神を高照姫としています。高照姫とアジスキタカヒコと下照姫がご兄妹でした。古事記によると、かぐよ姫は出雲王国の著書では下照姫となります。

昔話かぐや姫が月に帰る話がありますが、高照姫はホアカリと結婚後、婚家から実家に帰る話しが出雲王国の著書にはあります。



出雲初代王には2人の王子がおり、東西王家として直轄地を分け、東王家は富家〔向家〕であり、西王家は郷戸家〔神門臣家〕でした。二王家は、互いに協力し合って王国を統治したようです。


主王は大名持(おおなもち)、副王は少名彦(すくなひこ)という役職名で呼ばれ、両家の当主のうち、年長者が大名持になり、年の若い方が少名彦になったようです。


カツラギ南部に住んだ郷戸家の人々は、とくに鴨家と呼ばれます。この郷戸家は高照姫の出身です。


出雲の郷戸家出身でカモ氏となった高照姫と下照姫とアジスキタカ彦がいました。

アジスキタカヒコには2人の息子がおり、(兄 塩冶彦、弟 多岐都彦)、兄は出雲に残り、弟はカツラギに移住し鴨氏として、父君・アジスキタカ彦と、叔母の下照姫とその婿 天雅彦の霊を祀る高鴨神社を建てました。それが、全てのカモ神社の元宮です。









高鴨神社に参拝後、美しい葛城御歳神社を参拝しましたが、こちらは高鴨神社で偶然出会ったご家族に勧められました。まずは、着いてすぐ美しい白鷺を妹が水路で発見しました。






郷戶家からアマベ家のホアカリに輿入れした高照姫(天道姫)を祀るのが、葛城御歳神社だと出雲の著書では伝えます。

御歳の神、その社の名は、正月祭りの神歳神に由来します。



お正月様にちなみ、鏡餅の上に社がある様子をあらわしているようです。


こちらの御祭神高照姫の父は、8代目出雲王ヤチホコです。ヤチホコは、出雲で騙され幽閉され亡くなってしまいます。しかも、その原因が、海童たちの仕業(夫ホアカリに縁があるもの)だと知り、高照姫は出雲に里帰りしたと出雲の著書ではありました。

高照姫はヤチホコの娘ですが、古事記では「大年の娘とありますから、二つを合わせると、大年神🟰悲劇の8代目出雲王大国主命となります。


出雲大社の裏の大穴御子神社に御歳神は祀られているようです。その社の通称は三歳社といい、歳神 (通称、トシガミさん)として 正月三日には特に賑わうようです。



写真はお借りしました。

陰陽道でその年の福徳を司る神は、

歳徳神(としとくじん、とんどさん)ですが、別名、歳神様、正月さまとも言われています。

お正月様を迎えるために大掃除をし、門松🎍を飾るのは、松を頼りに歳神様が来てくれるから。日本の風習は、古代出雲に起源があったのですね。


また、陰陽道といえば、安部晴明ですが、晴明の師は賀茂忠行ですから、ここでも古代出雲に縁がある賀茂氏との関係がうかがえます。


歳徳神の在する方位を恵方(えほう、吉方、兄方)または明の方(あきのかた)と言い、その方角に向かって事を行えば、万事に吉とされるようです。


かつては、初詣は自宅から見て恵方の方角の寺社に参る習慣🟰恵方参りがありました。

また、今では全国でお馴染みになった節分の恵方巻きも、昔から関西を中心に行われていたようですが、それがコンビニキャンペーンから広まったみたいですね。




節分は、 旧暦のお正月。節を分ける日。偉大なる父を夫の一族にあやめられるという、悲しい数奇な運命に翻弄された美しい姫を空想します。

これからは、恵方巻きをいただく際、御歳神を思い出しそうです。