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家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

魚の話(8)

2016年07月22日 | 物語・作品

                   サシミ (刺身)

南北に延び四周を海に囲まれた日本列島は魚介類に恵まれているから、古来、漁師や浜辺で暮らす人々は獲ってきたばかりの魚を生で食べました。その典型的な食べ方が「さしみ」でしょう。
「なます(膾)」と「さしみ(刺身)」はともに魚の「切り身」ですが、前者は魚肉を切り裂いたもので、後者は糸のように細長く切ったもの。江戸時代よりも前は「切り身」「刺身」の主流は海の魚ではなく鯉だったようで、14世紀に書かれた『鈴鹿家鑑』には「指身鯉イリ酒ワサビ」とあるそうです。
         
つまり「刺身」とは、鯉の切り身を生姜酢や辛子酢、煎り酒(削り節、梅干、魚醤、酒を水で煮詰めたもの)などの調味料を使って食べたようですが、「指身」と呼ばれる所以は、切ってしまえば何の魚の身か分からなくなるため、切り身にその魚の尾鰭(おひれ)を刺して食膳に出した(いわゆる「活造り」)からのようで、「お造り」ということばも魚を切ることを「作り身」といったことに由来するそうです。
そもそも江戸時代以前の都であった奈良や京都は内陸部にあり、海の魚を生で食べることは無理でした。だから鯉を重宝したわけですが、料理としての「刺身」は江戸時代に江戸の地で一気に花開いたもの。江戸は海に面した沼地を埋め立ててできた都ですから、新鮮な魚介類が豊富に手に入ったからだそうです。
                                                    ジジ


魚の話(7)

2016年07月17日 | 物語・作品

                       ナマズ(鯰)

もはや旧聞になりましたが、熊本で大地震がありました。遅ればせながら、犠牲になった方々のご冥福を祈り、被災者の方々には心からお見舞いもうしあげます。
           
さて地震ですが、現代科学により地震発生メカニズムは解明できても、地震を事前に防ぐことは無理でしょう。大昔は、地下に大鯰が棲息していて尾ひれを振ると地が震えるとの伝えがありましたが、そんな伝えの震源地はどこだったのでしょうか。
茨城県に鹿島神宮という格式の高い神社があります。鹿島神宮の主神は建御雷神ですが、鹿島神宮の杜には要石というものがあります。見た目は漬物石ほどの小さい石ですが、地下深くまで広がっていて、この要石が大鯰を押えているそうです。
一説には、鹿島の宮職が江戸の町をはじめ各地を旅して、鹿島大明神のお告げとか称して地震を予言し、わしがお祓いをしてやると説いて回ったそうです。一種のインチキ商法ですが、近代科学が地震のメカニズムを解明する以前でしたから信じる人も多かったのでしょう。
   
ナマズというと、ジジはダラス(米テキサス州)駐在時代のことを思い出します。
ジジは3年間、民家に下宿していました。年老いたお婆ちゃん独り住まいで部屋が空いていたから、少しは用心棒になるからと日本人を下宿させていたのですが、時々ボーイフレンド爺さんが訪ねてきて、お婆ちゃんと二人で釣りに出かけて行きました。釣ってくるんは決まってナマズ。三枚におろして裏庭にある大冷凍庫に保存していました。
あんな生臭いナマズを料理して食べるのかと疑問でしたが、本当はナマズではなく、お爺ちゃんを釣るのが楽しみだったのでしょうね。ちなみにアメリカではナマズを「キャットフィッシュ」といいます。ナマズの髭(ヒゲ)をネコの髭になぞらえたようです。
                                                    ジジ


魚の話(6)

2016年06月02日 | 物語・作品

                       アワビ(鮑・鰒)

              
アワビ(鮑・鰒)といえば超高級食材。殻つきまるごと網にのせ醤油をたらして炭火焼・・・想像するだけでもよだれが垂れてきます。
アワビは貝類の中でも抜群の美味だから高級贈答品にもなっていますが、古代では不老長寿、延命若返りの媚薬とみなされていたようです。今から2000年も前、秦の始皇帝が徐福を東方の海の彼方に送り出したのは不老長寿の霊薬を探させるためでしたが、その霊薬とはアワビだったとの説もあります。
それからずっと後のこと。平安時代中期の花山法皇が熊野に参詣され、那智山で千日の難行苦行をされたとき、竜神が天から降りてきて宝珠やアワビを花山法皇に授けたとの伝えがあります。
アワビを食べれば永遠に命が保てると信じられていたのですが、法皇はこのアワビを滝壺に沈めました。自分一人で独占するのではなく、多くの人々とアワビの恩恵を分かちたい、滝壺の水を飲めば多くの人の長寿延命にもなる、との思いからだったそうです。
    
        熨斗(のし)            鮑を薄く長く剥いで熨斗をつくる図
話は変りますが、日本には祝儀や贈答品に「熨斗(のし)」を添える習慣があります。「熨」とは火で炙って伸ばすこと(現代風にいえばアイロン)、「斗」は柄杓のこと(細長い紐状の物)。
今どきの熨斗は紙を折り畳んで、芯の部分に一片の細長い赤茶けた紙片がおさまっていますが、元来はアワビの肉を干瓢(かんぴょう)のように薄く長く剥いで添えたそうです。
      
                  神宮御料鰒調製所のアワビ加工作業     
伊勢神宮では古来、アワビは代表的な神への捧げ物(神撰)として扱われてきました。いまでも鳥羽市には神宮御料鰒調製所というアワビの加工場があり、白衣に身をつつんだ人たちが神饌づくりに勤しんでいるそうです。
                                                       ジジ


魚の話(5)

2016年05月23日 | 物語・作品

                         お寺と魚

お寺を訪れると坊さんが木魚を叩きながら読経していいます。読経の声と木魚の音がハーモニーして心地よく聞こえますが、時として眠気をさそうから厄介です。
             
中国の北宋時代(11世紀)にはすでに木魚はありましたが当時は一枚の板(つまり魚板)で、それが明時代(14~17世紀)に魚の頭と尾がひっついて円形になり、音響効果が抜群なことから広まったそうです。
GGは京都宇治にある萬福寺を訪れたことがあります。禅宗のひとつに黄檗宗がありますが、萬福寺はその大本山。インゲンマメ(隠元豆)で有名な隠元禅師が創建した中国風のお寺です。
    
                       黄檗山萬福寺(京都宇治)
萬福寺の回廊には魚の形をした大きな板(魚梆)がぶらさがっていました。この魚板を叩くと、“食事の用意ができたかー、腹ペコだー”、と修行僧たちが集まってくる仕掛けだそうです。
隠元豆も魚板も木魚も隠元さんが日本に持ち込んだといわれていますが、魚板や木魚は、魚が昼も夜も目を開けてけ泳いでいることに由来するという説があります。お前たち修行僧は魚を見習って昼夜眠らずに修行に励めというわけです。
                                                         GG


魚の話(3)

2016年05月02日 | 物語・作品

                       お釈迦様と双魚
 
奈良薬師寺の薬師三尊像といえば奈良時代を代表する仏像です。この薬師三尊は鋳銅製でもともとは金色に輝いていたのですが、金が剥がれた今も黒光りしており、和辻哲郎は「とろける美しさ」と表現したそうです。
薬師三尊の中央に鎮座されているのが薬師如来。あぐらをかき左足の裏が天を向いていて、足の裏には輪宝などとともに双魚(2尾の魚)の図が線刻されています。
       
            薬師寺の薬師如来         足の裏には双魚の彫られている
仏像の足に魚が刻まれているのは日本仏像固有のことではありません。仏教が誕生したのは紀元前500年頃ですが、仏像が誕生したのはずっと後の紀元1~2世紀頃。この間の数百年は釈迦の姿を模した像をつくることは畏れ多いことだったから、釈迦のシンボルとして人々が造形したものの一つが仏足石ですが、仏足石には多くの場合、双魚が繋がれたような恰好で描かれているようです。
    
          仏足石                魚佩          聖徳太子の腰にも魚佩が
中国では古くから魚佩(ぎょはい)というものが貴族のシンボルだったそうです。魚佩とは2尾の魚をデザインした玉石のこと。王侯貴族が腰にぶら下げ、鋭い音を立てて触れ合うのを誇りにしたそうで、日本でも聖徳太子が腰にぶら下げています。
おそらく魚にはなにか得体の知れない力、神秘的な力が宿っていると考えられていたのでしょう。
                                                      GG


魚の話(2)

2016年04月22日 | 物語・作品

                            魚の民

四周を海に囲まれた日本列島の古代人は早くから海の幸を食べていました。
稲作を中心とする農耕が始まる前は狩猟採取生活で、木の実を採り、鳥や兔や鹿を捕り、水中の動植物を取って食べていました。縄文時代の貝塚からは魚の骨もけっこう出てきて、それらの骨を分類すると約70種類の魚を食べていたことがわかり、深海魚の骨まで出てくるそうです。
ずっと後のことですが、8世紀に書かれた『古事記』には、アユ、タイ、マグロ、スズキ、ワニ(サメのこと)が、『日本書紀』にもアユ、タイ、マグロ、ワニ、コイ、エビが登場するし、『万葉集』にはタイ、カツオ、ウナギを詠んだ歌があり、古典全部あわせると50種類もの魚が登場するということです。
              
食用にする魚類の数という点では、日本は西洋に比べて桁ちがいに多いのです。
日本人は古来、米と野菜と魚を好んで食べましたが、西洋人は獣肉が中心でした。日本で箸が発達し、西洋でナイフやフォークが発達したのは食べ物の違いが大きいようです。
ただ、日本人は「魚の民」といっても生魚が食べられる人は限られていました。魚はすぐ腐るからナマで、刺身でたべられるのは漁師か浜で生活する人たちでした。GGがまだ幼少だった当時は、マグロの刺身なんて年に一度の春祭りのときくらいでした。
幼少の頃、わが家の隣人はよく自転車に乗って数キロ離れた海浜へ行って、魚を仕入れてきては近所の人たちに分け売りしていまし。新鮮だからナマで食べられまいたが、山奥ではそうはいきません。海から遠く離れた山間部でもナマの魚が食べられるようになったのは電気冷蔵庫が普及するようになった、昭和40年代後半になってからのようです。
                                                   GG


魚の話(1)

2016年04月19日 | 物語・作品

                  「ぎょ」・「うお」・「さかな」

行きつけの図書館で『魚の文化史』(矢野憲一。講談社学術文庫)という本を見つけました。
興味ある話が盛たくさん書いてあるので、その本を下敷きにして、学生時代の仲間のブログに「魚の話」を連載中です。記事がちょっと長文なので一部を適当にカットして、〇さんブログに転載します。
きょうはその第1回目です。
             
いうまでもなく「魚」という字は象形文字。上の「ク」は頭。真ん中の「田」は胴体。下の「灬」はしっぽ。
中国には魚偏(へん)の字が120くらいしかないですが、日本には700とも1000ともいわれる魚偏の字があります。漢字の発祥地である中原(中国中部)には淡水魚しかいなかったので魚の種類は少なかったですが、海に囲まれた日本は魚類が豊富です。だから必要にせまられて魚偏の字がどんどんつくられました。日本製の漢字を「国字」といいます。
                      
ところで、わたしたちは「魚」を「ぎょ」「うお」「さかな」と読みます。このうち「ぎょ」は中国読み(漢音)で、「うお」「さかな」は日本読み(和語)。8世紀に編纂された『万葉集』や『日本書紀』では「宇乎」「紆鳴」と書いて「うお」と読ませていますが、古くは「いお」とか「い」ともいったそうです。
「さかな」という読み方は昔からあったわけではありません。「さかな」とは「酒菜」。つまり「酒の肴(さかな)」のことです。魚の干物や煮つけは大根や里芋の煮物よりも美味しい。魚は酒の肴の中でも最高!
というわけで、「魚」が「肴」の代名詞となりました。それも明治時代になってからということでから、わずか100年前のことです。
食膳に用いる高級魚を「真魚・真菜」といいます。かつては「菜」とはおかずの総称でしたが、魚と野菜を区別するため美味な魚の方にマ(真)という美称をつけて「真魚」といいました。ちなみに、料理に使う「まないた」は「俎板」と書きますが、元来は「真魚板」と書いたのです。
                                                       GG


暖かなお正月

2016年01月04日 | 物語・作品

新しい年を迎えて今日は4日。仕事始めの人もおられることでしょう。
皆さん元気で明るい年にしましょう!

正月3日は、GGと一緒に近隣の映画館に出掛けてきました。
大きなデパートが2軒あるので初売りをねらっての買い物客で賑わっていました。
               映画のタイトルは「黄金のアデーレ 名画の帰還」です。
                           
「接吻」の絵で有名な画家クリムトが描いた「アデーレ・ブロッフォバウワーの肖像」を
めぐってオーストリア政府を相手取り、一族ゆかりの名画を取り戻す米国亡命老婦人
マリアと新米弁護士の実話に基づいたストーリーです。
           
        「接吻」              「アデーレ・ブロッフォバウワーの肖像」  
「アデーレ・ブロッフォバウワーの肖像」はもともとマリアの父(ユダヤ人)が所有していた
絵画ですが、ナチスが奪略したもの。
ナチスのユダヤ人撲滅作戦のため離散した裕福なユダヤ人一族の、かっての日々の
回想をおりまぜて訴訟は展開し、ついに思い出深い絵を取り戻す、胸をすくような結末です。

2004年にGGとベルリン・ドレスデン・プラハ・ウイーンを旅したとき、ウィーンのオーストリア
美術館(ベルヴェデーレ宮殿内)で”接吻”と共に見ていた作品でした。 
          
             オーストリア美術館があるべルヴェデーレ宮殿 

*マリアの手許に戻った絵は現在ニューヨークの「ノイエ・ガレリエ」に展示されています。
                                  
                       
                                                 KUN


惚けたらあかん

2015年11月04日 | 物語・作品

             惚けたらあかん 長生きしなはれ

大阪の古本屋「天牛書店」の店主、天牛新一郎さんが94歳のときにつくった作品だそうです。

            
 
年を取ったら出しゃばらず  憎まれ口に泣き言に  人のかげ口愚痴いわず
他人のことは褒めなはれ  聞かれりゃ教えてあげなはれ  知ってることも知らん振り 
いつでもアホでいるこっちゃ

勝ったらあかん負けなはれ  いずれお世話になる身なら  若いもんには花持たせ
一歩さがってゆずるのが  円満にいくコツですわ  どんな時でも“へえおおきに”  
そんな積りでおりなはれ

お金の欲は捨てなはれ  なんぼゼニカネあったとて  死んだら持ってはいけまへん
あの人ええ人やったなア  そないに人から言われるよう  生きてるうちにバラまいて
山ほど徳を積みなはれ

                 

そやけどそれは表向き  ほんまはゼニを離さずに  死ぬまでしっかり持ちなはれ
人にケチやと言われても  お金があるから大事にし  みんなベンチャラいうてくる
内緒やんけどほんまやぜ

昔のことはみな忘れ  自慢話はしなはんな  わしらの時代はもう過ぎた
なんぼ頑張り力んでも  体がいうことききまへん  あんたはえらいわしゃあかん
そんな気持ちでおりなはれ

我が子に孫に世間さま  どなたからでも慕われる  ええ年寄りになりなはれ
ボケたらあかんそのために  頭の回転生きがいに  何か一つの趣味持って
せいぜい長生きしなはれや

           
                                            (GG)


漢字小話

2015年10月02日 | 物語・作品

                        「糞」という字

                        

きょうは臭い話ですがあしからず。
食物が体内で消化され栄養が吸収されたあとのカスは体外に排泄されます。体の前から排出されるのが小便、後ろから排出されるのが大便です。そして大便は俗に「くそ」といいます。「くそ」は「くさい」から派生したことばでしょう。わが古人はこの「くそ」に漢語の「糞」の字を当てました。ちょっと難しい字です。
     
                       奈良公園には鹿の落し物も
「糞」という字は「米」と「異」からなっています。古代中国人はが体内で消化され物となって排泄されてくるから「糞」という字を思いついたのだろうと思っていたのですが、そうではありませんでした。
「糞」の字の原型は上掲のような形象です。「米」は厳密には「米」の上に「ノ」がついていて「屎」を簡略化したもので、その下は両手で塵取りを持っている様を表しています。太古の中国では、庭の片隅や野原で糞をすると塵取りですくい取って川などに捨てていたのでしょう。日本でも昔はまあそんなところでした。
                                           
「くそ」を表す字にはもうひとつ「屎」という字があり、小便を表す字に「尿」があります。「屎」と「尿」に共通する「尸」は「しかばね(屍)」の意味で、つまり「米」のしかばねが「屎」、食物の水分のしかばねが「尿」というわけです。
いずれにしても「糞」とか「屎」という漢字は不潔なものを表す字で、「糞ったれ!」とか「糞食らえ!」、「糞じじい!」と、どれをとっても品がないですが、それは本家の中国でも言えること。下手くそな詩は「糞詩」、ヘボ将棋は「糞棋」とバカにされたようです。
                                                      GG


カラスはなぜ黒い

2015年08月31日 | 物語・作品

カラスが多くなった。生ゴミを出す日なんか特に多い。屋根や電線の上から下をうかがい、しきりにカーカーと鳴きます。あれは「おい、こっちのゴミは美味しいぞ。はやくこっちへ来い」「そうか、すぐ行くわ」とかなんとか、カラス同志で連絡をとりあっているのでしょう。
カラスはまっ黒な色をしていて気味が悪い。でも、もともとまっ黒だったわけではないのです。
     
       ハシボソガラス(ガーガーと鳴く)         ハシブトガラス(カーカーと鳴く)
昔々、鳥類はどれもこれもまっ白な羽をしていました。そこに目をつけたのが賢者にして商魂たくましいフクロウで、クロウは美容院(というか染物屋)を開業したのです。
「みなさん、あなたの羽をお好みの色にしてあげますよ」と書いたチラシをばらまくと鳥たちが次から次へ店にやってきました。スズメは収穫期を迎えた稲穂の中にいても目立たぬように稲穂と同じような色で、しかも迷彩柄に仕上げてもらいました。ツバメはダンディな白黒のツートンカラーに仕上げてもらいました。そのほかの鳥たちもみんな好み通りに仕上げてもらって嬉々として帰っていきました。
利口なカラスは、他の鳥たちがどんな風に変身したか様子を見とどけると、満を持してフクロウ美容院へやってきました。もちろんフクロウはカラスを歓迎し、精一杯サービスしました。しかしカラスはこの色がいいと仕上げてもらっても、やっぱりあの色に変えて!と、何度も注文をつけました。そして色を重ねているうちにとうとうまっ黒になってしまったのです。(いくつもの色を重ね塗りすると黒色になることは、絵を描く人には分かっていることです。)
カラスは烈火のごとく怒り、もうお前なんか二度と見たくもない、オレの前に姿を現すな、とフクロウに八つ当たりしました。悲しくなったフクロウはそれ以来、昼間は森の中でじっとして、夕方になってカラスが森へ戻ってくと入れ替わるようにして森から飛び立つようになったのです。
                                                     GG


映画『みんなの学校』

2015年06月23日 | 物語・作品

先週末、娘が観たい映画があるから、その間ゆうくんを預かって欲しいと頼まれました。
その映画はドキュメンタリー映画の『みんなの学校』。
きょうもまだ上映していたので、柏のTKPシアターに行ってきました。
                   
映画の舞台は大阪市内の“大空小学校”。6年前に開校した普通の公立小学校ですが、
特別支援教育の対象となる発達障害のある子や、自分の気持ちをコントロールできない子も
みんな同じ教室で学んでいる小学校です。
発達障害のある子どもと共に歩む教師たち、保護者の悩む姿、地域の人たちの惜しまない
協力、経験の浅い教師をベテランの教師たちが見守り、「不登校ゼロ」をめざしている姿が
描かれていました。
  
すぐ教室を飛び出してしまうA君を同じクラスのB君が根気よく接し、教室から飛び出した
A君をB君が教室に連れ戻します。校長先生(女性)がA君に「B君は君ののことずっとやさしく
肩をなでていたよ」とやさしくさとすと、A君は校長先生の言ってることを理解しクラスのみんなに
心を開くようになっていきました。
校長先生がすばらしい! 校長のバイタリーティある姿に感動しました。
子ども達の表情もとてもすばらしかったです。 
発達障害のある子も皆と同じ教室で学び、共に大きく育っていく映画でした。

                                            KUN


満天の星

2015年06月19日 | 物語・作品

GGは終戦を東三河の町で迎えました。国民学校に入学して最初の夏休み中に終戦をむかえました。振り返ればあの頃はエアコンなんてなかったから、蒸し暑い夏の夜は外に出て、涼み台に腰を下ろして人力扇風機(うちわ)をあおぎ、空を仰ぎ見ると満天に星がいっぱい輝き、天の川が頭上に横たわっていました。
あの頃は天体望遠鏡なんてなかったから、満天の星といっても小さな米粒がひかり輝いているだけだったが、あれから70年も経たいまは、天体望遠鏡が格段と進歩し、人間がロケットに乗って宇宙に飛び出す時代になって、天体の様子がまるで手に取るように分かるようになりました。
                 
その最たるものは、ハッブル宇宙望遠鏡の登場でしょう。1990年にスペースシャトルによって打ち上げられ、地上約600kmの上空を周回しながら、宇宙の在り様を地上に伝えてくれる。数千万光年、数億光年という気が遠くなるような遠方の銀河や星をはっきりと捉えることができ、そのカラー映像が地上基地に送信されてくるようになったのです。
      
                     ハッブル宇宙望遠鏡が地上に送り届けてくれた天体の数々
      
最近、野本陽代著『カラー版 ハッブル望遠鏡宇宙の謎に挑む』(講談社現代新書)を読みました。書いてある話はチンプンカンプンでしたが、この本には100枚もの天体のカラー写真が載っていて、目がそちらに釘付けになりました。
そんな写真を見ていると、この地球なんてちっぽけな存在だなあとしみじみ。しかし、そのちっぽけな器の中で国と国とが、あるいは宗教と宗教とぶつかってばかりいるのだからアホらしくなってきます。
現在、ハッブル宇宙望遠鏡の後継機としてジェームズ・ウエッブ宇宙望遠鏡が2018年打ち上げを目指して開発中です。この宇宙望遠鏡の宇宙設置が成功すると、宇宙がまた飛躍的に身近な存在になってくるはずです。
                                                                                                          マル


漢字小話

2015年04月13日 | 物語・作品

                         「笑」という字

最近は、“こんな愉快なことはない!”と高笑いするような機会がありません。消費税が8%になっても年金は増えるわけではないし、後期高齢者の医療費負担割合も見直されそうな雲行き。それだけ世の中が住みづらくなったということですが、顔から笑いが消えたらおしまいです。少しでも長生きしようと思えば、少々無理してでも笑うべきなのでしょう。
                          
さて、「笑」という字。冠(かんむり)の「竹」は、たまたま「竹」の字に似ているだけで、じつは両手をかざしているさま。その下の「夭」は身をくねらせて舞う姿で、天辺の「ノ」は長い髪がなびいているさま。つまり「笑」は、巫女が神前で舞う姿、神事的な行為を表しているのだそうです(白川靜『字統』)。
「笑」は「わらう」とも「えむ」とも読みますが、「わらう」と「えむ」はまったく別のことばだそうです。民俗学者の柳田國男によると、「わらう」は「割る」から派生したことばで、「えむ」は「ひびが入ること」。「わらう」には必ず声があるが、「えむ」には声がないという違いがあるということです。
           
                   猫の笑顔?は「笑」という字にそっくり!
「笑い」は人類の専売特許かというと、そうでもないようです。チンパンジーやゴリラ、ボノボ、オランウータンは、取っ組み合いや追っかけっこ、くすぐりあいなどの遊びのときに、人間の笑い声のような声をあげます。
なかでもチンパンジーはよく笑うそうです。ただ、人間の笑い声は大勢の人に伝染して一斉笑いに発展することがありますが、チンパンジーにはそのようなことがなく、また、野生のチンパンジーには他者を笑わせる「おどけ」といったものは見られないそうで、そこが人間とはちがうようです。
上掲の画像。インターネットから借りてきたものですが、みなさんうれしそうな顔をしています。これってホントに笑っているのでしょうか。わが家ではチンパンジーも猫も犬も飼ったことがないから、真相は分かりません。
                                                 GG


映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』

2015年04月07日 | 物語・作品

くーたんと映画『みんなのアムステルダム国立美術館へ』をみてきました。
200年の歴史をもつアムステルダム国立美術館(画像下)は老朽化がいちじるしいため、4年後の2008年再開を目指して2004年に全面改修工事に着手しましたが、工事は大幅に遅れました。
その最大の理由は、美術館の中央口から館内奥に貫通する自転車道を大幅に狭くするという改修案に一部の市民が猛反発し、設計の見直しを余儀なくされたからです。
オランダは自転車大国。街のいたるところに自転車専用道路があり、日本人観光客は馴れないため、つい自転車専用道を歩いてしまいますが、後ろからやってきた自転車に怒鳴られる始末です。
            
             
設計のやり直しやら何やらで工期は大幅に遅れて、全面改修工事が完成したのは2013年でした。つまり、4年で完成のはずだった改修工事が10年もかかってしまいました。
この映画は10年間の改修工事中に起きたさまざまなハプニングを追ったドキュメンタリー映画です。
       
10年間もの休館後再開されたときの市民の喜びはそれはもう大変なものだったようですが、その一方、長期に及んだ休館中に、同美術館の有名な絵画が貸し出されて日本にもやってきました。
その1つがフェルメールの「牛乳を注ぐ女」です。2007年秋に国立新美術館で公開されています。
GGのパソコンのマウスパッドには「牛乳を注ぐ女」が描かれています。もう色あせていますが、同美術館が休館に入る4年前の2000年に同美術館を訪れたとき、記念として買ってきたもので、もう15年も使っているのかと感無量です。
             
同美術館は6千点もの絵画を所蔵しているそうですが、その中でもレンブラントの「夜警」(画像)は同美術館のシンボル的絵画であり、オランダ国民の至宝だから、おそらく将来も日本にやってくることはないでしょう。
                                                 GG