家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

紅葉いろいろ

2013年11月30日 | 散歩・自然

紅葉がきれいだ。夏は緑色の葉が、秋が深まるにつれてどうして紅葉するのだろうか。
そんなことは分かりきったこと。夏のあいだ葉を緑色に演出しているクロロフィルが陽が短くなるにつれ分解され、代わってアントシアンやカロテノイドといった色素が葉を紅色や黄色に染めるから―― なんていってしまったらつまらない。。
科学万能の西洋人ならそれで満足だろうが、情緒を重んずる日本人にはそれでは通用しない。
  
                     きのう近くのH学園(R大学)で
地上の万物はみな平等だが、神様は生き物それぞれに寿命というものをお与えになった。人間の平均寿命は大昔はせいぜい10数年だった。生まれてすぐ死ぬことも多かったし、今のように衛生的ではなく食物もちがった。それに医学も発達していなかったから早死にすることが多かった。その平均寿命が現在では数倍も長くなっった。人間が自然を征服し科学が病気を克服するようになったからで、しかも他の生き物の寿命まで横取りした結果に他ならない。
しかし、植物はしぶとく生きている。
         枝々を透きて日の照る紅葉かな   万太郎
葉が紅葉するのは落葉樹の宿命で、それぞれの植物に与えられた寿命がそうさせている。春の温もりで葉が芽生えて若緑になり、夏になると濃緑になるのは人間の働き盛りと同じだ。そして陽が西に傾くのが早くなる秋には、人間でいうたそがれ期を迎える。陽が西に傾くのがはやくなる秋には最後の力をしぼるのだ。その結果、木の葉は燃えほてってくる。人間にはそれが紅色や黄色にみえるだけで、植物は人間を喜ばすためにやっていることではない、といえないか。
                                                     GG


秋深し

2013年11月28日 | 散歩・自然

この時期は落ち葉を踏みしめての買い物途中の散歩が楽しみです。
近隣でもこんなに紅葉がきれいです。
        
                                   
                        

ご近所の、今は亡きバラつくりの名人のご主人様から頂いたマチルダが、秋も深まったこの時期に、
蕾をたくさん付けています。柔らかなパステルピンクの美しい花です。
       

今朝は玄関のトレリスにナントかまきりが卵を産み付けているところをみました。
                   
カマキリはこれからの冬の寒さを予測して産卵場所を選ぶと聞いていたので、
地上から150㎝位のところに産んでいるのみると、もしかして雪が多い冬かな?
                                                    KUN


秋の空

2013年11月26日 | 散歩・自然

秋が次第に深まりつつあるが、このところ晴天がつづき、湿度も低く、さわやかで心地よい日が続いている。まさに秋日和だ。
      秋晴や空にはたえず遠白き雲の生れて風ある日なり     若山牧水
            
「天高く馬肥ゆる秋」というが、昨日も散歩をしながら空を仰ぎ見ると、真綿を千切ったような薄い雲が浮かんでいた。秋の空は透明でどこまでも高く冴えわたるが、それは大陸育ちの乾いた高気圧が日本列島をおおうからだそうだ。
秋は食欲の秋でもあるが、読書の秋でもあり、旅の秋でもある。
            
                  秋の富士山(インターネットより借用)
東海道新幹線で東京から大阪に向かうときはいつも進行方向右側の席にすわる。富士山の雄姿をみたいからだ。こんな美しい山が殺到する登山者のゴミで目も当てられない状況になっているとは情けない。文化遺産として世界遺産に登録されたからには、登山者は山をきれいに保つよう心掛けてほしいものだ。来年夏からは富士山に登るには入山料が必要となるが、1千円などとケチなことをいわず、たとえ1万円であっても喜んで払いましょう。富士山は神様が宿る霊峰ではないか。ありがたや、ありがたや。賽銭は多ければ多いほどご利益があるのです。
      ご利益は万札しだい秋深し          爺爺
そうでしょう、猪瀬知事。
                                                                                                     GG                        


お宝映像

2013年11月24日 | トピックス

今日も秋晴れ!穏やかな晩秋の日曜日でした。
午後、2階の納戸を整理していたら古いビデオテープの箱が目に止まり、安曇野三兄妹の
パパとママの結婚式のビデオテープが入っていました。私の弟が撮ってくれたものです。
当時1~2度見たまま箱に収められていました。
懐かしくて、そのビデオをGGと一緒に見ることにしました。
          
             ビデオ動画から撮ったため不鮮明ですが。
         
今から12年前のことになります。2001年3月4日、松本地方は朝から雪でした。
結婚式場である松本の護国神社も雪で真っ白。そんな雪の中を参道から神殿へ歩く新郎新婦、
両家の親族、友人たち・・・。 まるで映画のワンシーンのようです。
披露宴ではすでに物故された両家の親戚の方のお姿もあり、懐かしいことでした。
初々しい新郎新婦の笑顔が素敵でした。ふたりは今も仲良く3人の子供たちに恵まれて、
温もりのある家庭を築いています。親としてはほんとにうれしいことです。

         
安曇野三兄妹のママから、11月22日に行われたマラソン大会の写真が送られてきました。
三兄弟がよく頑張ったようです。けんちゃんは1位、たいちゃんは2位、ゆいちゃんは初めての
マラソン大会で完走し、34位になったそうです。 みんな頑張ったね!
                                                 KUN


花いろいろ(コウテイダリア)

2013年11月23日 | 散歩・自然

                         皇帝ダリア

              
皇帝ダリアが咲き始めた。けさ散歩中に出あったので、ポケットからカメラを取り出して“カシャ!”
ダリアの一種のようだが、ダリアはキク科の植物。皇帝ダリアはこれでもキク科の植物なのだ。
皇帝ダリアは、ダリアとちがって背が高い。低いものでもGGの背丈はあり、GGの背丈の2倍以上にも伸びるものもあるようだ。しかも花が大きく、ピンク色の花が数個、肩を寄せ合うようにして咲く。
  
ピンク色の花と緑色の葉と青い空のコントラストがまことに華やか。しかも、高いところから見下ろすように咲いている。まさにこの世に君臨しているかのようで、皇帝ダリアと呼ばれる所以だろう。
ダリアと同様、原産地はメキシコなど中米といわれるが、日本にいつ渡来したのかよく分からない。
                                                   GG


あれからもう50年

2013年11月22日 | トピックス

                     ケネディ大統領暗殺事件

ケネディ大統領が暗殺されてからもう50年にもなった。
ケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのは1963年11月22日。その当時GGは某商社の独身寮で生活していたが、それを知ったのは23日朝のテレビ放映だった。
    
勤労感謝の日で会社が休みだったのでちょっと遅めの朝食をとりに食堂へ行くと、初の日米間テレビ宇宙中継の実験放送の中で、ケネディ暗殺を伝えるシーンが映っていて衝撃を受けた。
その時はまだ、まさか自分が経理の見習生としてダラスの綿花買付会社に派遣されるとは思ってもいなかったが、暗殺事件の1年半後にダラスに着任した。
               
                       ダラス時代のGG
当時のダラスは観光スポットなど何もなく、日本人にはまったく馴染みのない、綿花畑に囲まれた地方都市だったが、ケネディ暗殺事件があって脚光を浴びる街になると、日本からの来客が増え、下っ端のGGが案内役として暗殺現場に何度も足を運んだものだった。
後年、くーたんと結婚して今度はシカゴに赴任したが、あずみの三兄妹のしんパパはそこで生まれた。かしわ兄弟のじゅんママはシカゴのキンダーガーデン(幼稚園)に通ったが、一家4人でダラスを訪れたことがあり、じゅんママもしんパパも現場を訪れたことがある。でもふたりとも幼かったから覚えている筈もない。
そのケネディ大統領の娘が駐日大使として着任した。暗殺事件当時5歳でまだ父の死に実感が湧かなかったであろう幼な子が、日本訪問を楽しみにしていたJ.F.ケネディの夢を、父に代わって実現した。外交畑は素人いわれるが、日米間の架け橋としてご活躍されることを期待したい。
                                                     GG


柿の木問答

2013年11月20日 | 散歩・自然

柿大好き人間の俳人坪内稔典さんのエッセイ集『柿日和』には柿をテーマにしたエッセイが33編も収録されている。稔典さんの俳句はユニークで想像力を掻きたてるが、文章にはユーモアがあって、俳句の門外漢のマルにもおもしろい。
                
『柿日和』の中から――柿の木は嫁の木、女性を象徴するする木――というお話をひとつ。
昔は嫁入りの際、実家から柿の木の苗(接ぎ穂)を持ってきて、それを嫁ぎ先の庭の柿の木に接ぎ木する習慣があった。嫁はやがて子を産み、子を育て、そして生涯を終えると、嫁ぐときに持ってきた柿の枝が伐られ、火葬の薪やお骨を拾う箸にされた。
     里古りて柿の木持たぬ家もなし       芭蕉
だから、芭蕉が詠んでいるように、昔はどこの家にも柿の木があった。そして、娘が嫁ぐときに持参した柿の接ぎ穂が嫁ぎ先の木に接がれるということは、そこで男と女が結ばれることをも意味した。 
     渋かろかしらねど柿の初ちぎり      千代女
この句は単に柿の実を見て写実的に詠んだわけではない。結婚式には“柿の木問答”と呼ばれる古風な仕来たりが残っていて、新郎新婦が床入りするのには作法があった。
     「あたなの家には、柿の木がありますか」
     「はい、あります」
     「私が登って食ってもよいか」
     「はい、どうぞ食べてください」
こういう会話のあとでないと、夫婦の“契り”を交わすことができなかったという。千代女の句の“渋かろか”、“初ちぎり”にはそういう意味が隠されているのだ。
それはともかく、GGが住むこの辺りでも昔からの農家の家々には今でも柿の木があり、それを眺めながら散歩するのは楽しい。柿の木から葉が完全に散ってしまう晩秋、枝もたわわに稔る柿は、実というよりも花が満開している風情でもある。
とはいえ、最近の住宅には柿の木を植える場所もない。柿の木が次第に減っていくことと晩婚化、少子化は関係があるのだろうか。
                                                     GG


柿の木

2013年11月18日 | 散歩・自然

俳人の坪内稔典さんのエッセイ集『柿日和』の中に「俳句が見つけた柿」という話があります。
柿本人麻呂といえば『万葉集』にも登場する大歌人だが、人麻呂には柿を詠んだ歌がない。そもそも『万葉集』や『古今和歌集』などの勅撰和歌集をいくら探しても柿を詠んだ歌はない。当時は柿がまだ中国から伝来していなかったかというとそんなことはない。柿本人麻呂の柿本は人麻呂の屋敷の門口に柿の木があったことに由来するといわれている。
                              
当時、柿は鑑賞するものではなく食べるものだったが、食べ物のような俗物は風雅の対象にはならなず、後世にいたるまで柿が和歌に登場することはなかった。柿が詩歌に登場するきっかけをつくったのは俳諧だった。俳諧はいわば諧謔(ことば遊び)。そこでは俗物とされる柿が詠まれるようになった。
たとえば、こんな句が紹介されている。
            木のそばに市をたてたる熟柿かな   意敬
とりとめもない句のように見えるが、この句には遊び心がある。「市をたてたる」は人々を多く集めているということで、人々は美味しそうな熟柿の実を見上げてよだれを垂らしている様だが、「木のそば(隣り)に市」を立てると「柿」という字。そういう駄洒落が隠されている。
            祖父親まごの栄や柿みかむ       芭蕉
俳諧で柿が取り上げられたからこそ、芭蕉が柿を詠み俳句の季語になり、それが短歌にもつながっていったと稔典さんはおっしゃっている。
                                                    GG


地域文化祭

2013年11月16日 | その他

きょうは穏やかな秋の一日でした。
今日の午前中は、たっくんの学校で授業参観と音楽集会がありました。せっかくの機会でもあり、
GGと一緒に出掛け、参観させてもらいました。
takutoは教室でも伸び伸び過ごしている様子にほっとしました。
全校生徒による音楽集会もよくまとまっていて楽しく鑑賞させてもらいました。
午後から地域の文化祭の当番だったので、takutoの学年の合唱を見て、私だけ帰宅しました。
              

地域の近隣センターで活動しているサークルの作品を発表出来る機会です。
協議会の皆さんのご協力があって、毎年こうして参加させて頂いています。       
  

私は今回、1998年に友人と旅したフランス・ブルゴーニューのぶどう畑を懐かしんで描いてみました。
            
                          「ワインのふるさと」

                                                         KUN


お久しぶり~

2013年11月15日 | 散歩・自然

18年ぐらい前に購入したシンビジュームの鉢。
その年だけ黄色い花を咲かせて以来、私の育て方が間違っているのか、翌年からは花が
咲かなくなりました。
上手に咲かせている人に聞くと、「手がかからず簡単よ!」というけれど、言われたとうり
育てていても一向に花芽が付かなくて葉っぱばかり。
この春、思い切って処分しようかと思ったけど、「可哀そうだけどもう一回だけね」とささやき
かけて外に置いて、この夏をなんとか越しました。
そして先日、急に気温が下がったので室内に入れようと株元を見たら、「ジェジェジェ」。
なんと花芽が3つ付いてました!
   
         (左と右に一つずつ)               (鉢の反対側に一つ) 
暖かい環境に移したせいか、ぐんぐん花芽が伸びてきています。うれしいなあ~

ご近所がフェンス越しに春、咲かせておられる色とりどりの「スイトピー」の種を分けて頂き、
10月ごろに蒔いたのが、ちゃんと芽が出てきています。
こぼれだねのカモミールも、これからの冬の寒さを乗り越えて春を待っています。
                 
                                                  KUN


歯の検診その後

2013年11月13日 | その他

2週間前に保健事業利用券を使って歯の汚れをきれいにしてもらったが、取りきれていない
歯石などを取ってもらうため、今日出掛けました。
恥ずかしい話ながら、これまで歯痛が起ったりしたことがなかったので、4年前に歯石を取って
もらって以来の歯の検査でした。
今日は取りきれていない歯石をとり、歯をぴかぴかに磨いてもらって、とてもきれいになりました。
これまで虫歯の治療はしていても、この年齢になってもすべて自分の歯です。
これからは定期的に予約を入れて、歯をもっと大事にしていかなければと痛感しました。

今朝はこの秋一番の冷え込みでした。
春先にきれいに咲いていた、バラの「フレンチレース」が蕾を付けて咲いています。
      
ご近所のバラづくりの名人のご主人様から頂いた「フレンチレース」です。
(昨年1月に他界され大切な思い出のバラとなりましたが美しく咲いてくれて嬉しい!)

先日、孫のゆうくんが保育園でお芋ほりに出掛け、自分で掘った35㎝もある大きなサツマイモを
届けてくれました。
                  
オーブンで160℃、1時間かけてじっくり焼き芋を焼いています。
焼きあがったら届けるからね~。
                                                  KUN


木枯らし

2013年11月12日 | トピックス

                              
きのう、東京地方で木枯らし1号が吹いた。昨年より7日早いそうだが、木枯らしはもっと寒くなってから吹く風とばかり思っていた。朝から曇といっても雲は高く風もなかったが、午後3時頃にわかに空が黒雲でおおわれ、雨と強風にか変わった。超特急でさっと通り過ぎていったが、あれが木枯らしだったのだろう。
「木枯らし」と聞くといよいよ冬の到来かと思わずにはいられない。あんなに暑かった夏がやっと終わったかと思ったらもう冬か。歳を重ねるにつれて寒さへの適応力がなくなってきて、冬は堪える。
      木枯らし途絶えて 冴ゆる空より
      地上に降りしく 奇しき光よ
      もの皆憩える  しじまの中に
      きらめき揺れつつ 星座は巡る
これは『冬の星座』 (作詞:堀内敬三、作曲:W.S.ヘイズ)の第1番だが、これからは夜空が冴えて星がきれいになる。中でも目立つのが頭上にきらめくオリオン座。赤く輝いているのはベデルギウス。この星はいつ爆発するかわからない。
           凩や倒れざまにも三つ星座    不器男
       
「木枯らし」は「凩」とも書き、冬の季語。風が吹いて木を枯らすから「凩」。ただし、中国には「凩」という字はない。誰がこんな国字(和製漢字)を考案したか知らないが、同じ国字の「峠」とまことによく似合い、ついつい上州新田郷生まれの木枯らし紋次郎を連想する。上州新田郷といえば徳川家康のご先祖様の出身地との説もあるようだ。
それはともかくとして、きのう、くーたんと柏にでたが駅前にはもうクリスマス・ツリーが飾られていた。
                                                        マル


花いろいろ(赤ソバ)

2013年11月10日 | 散歩・自然

                              赤ソバ
    
一昨日は気温が20℃まで上がり、雲ひとつない秋日和だった。久しぶりに松戸市の「21世紀の森の広場」公園まで出かけたところ、公園の一画に赤い絨毯が敷きつめられていた。
近づいてみると赤そばの花だった。
インターネットで調べていると、南信州に「赤そばの里」(長野県上伊那郡箕輪町)というのがあることがわかった。箕輪町のWebサイトには「日本のそばの花は白色ですが、そばの原産地の雲南省からヒマラヤにかけては、ピンクや赤色のそばがあります。1987年にヒマラヤの標高3800メートルのところから、赤い花の咲くそばを日本に持ち帰り、信州大学の氏原暉男教授(現名誉教授)がタカノ株式会社(宮田村)と共同で品種改良を行って、真紅の花を作り、高嶺ルビーと名付けました。」とある。日本ではまだ新種のソバのようだ。
        
そこに添えてあった画像(上掲)を見ておもわず、“わあー、これはすごい”と声をあげたが、実際に見たらもっとすごいと思う。
「このそばは、花を楽しむばかりではなく、味も良いので、まさに見て楽しみ味わうといったところでしょうか。」とも書いてあったが、赤そばの実を粉にしたらどんな色をしているのかなあ。そば粉はふつう白色だし、赤色のそば粉なんて見たことがないことから、やっぱり実を粉にすれば白いのだろうか。
     蕎麦の花咲きそろひたる畑あれば蕎麦を食はむと思ふさびしさ   斎藤茂吉

                                                      GG


実いろいろ(カキ)

2013年11月07日 | 散歩・自然

                          カキ
               
GGが好きな果物といえば、夏はナシ(梨)、秋はカキ(柿)。「カキ(柿)」といえば誰もが正岡子規の、
          柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
をまっ先に頭に浮べる。正岡子規は、夏目漱石から10円借金して松山から東京に出る途中、奈良の東大寺近くの旅館に泊まり、女中にねだって持ってこさせた御所柿を一晩に16個も食べたとか。
子規には柿を詠んだ句が100余もあるが、詠んだ最後の柿の句は、
          柿くふも今年ばかりと思ひけり
死ぬ前年(明治35年)の作品だった。子規は、柿好きが高じて親友であり俳句仲間だった夏目漱石に「柿」というあだ名を与えている。“子”曰く、漱石は「ウマミ沢山 マダ渋ノヌケヌノモマジレリ」。ちなみに、高浜虚子に与えたあだ名は「さつまいも」。曰く、虚子は「甘み十分ナリ 屁ヲ慎ムベシ」。虚子は人前でも平気で放屁するほどの大人物だったとか。
              
あの石川五右衛門もまた柿が大好きだった。少年五右衛門は寺へ手習いに通う道の御所柿の木に登って実を失敬していたら、「柿ドロボー!」と怒鳴られた。その御所柿がよほど美味かったのか病みつきになり、夜になると出かけては失敬し、ひとりで食べるのは申し訳ないと母にも食べさせたが、たび重なる柿に不審を抱いた母が問いただすと、五右衛門は白状した。
母はもちろん咎めたが、五右衛門の言い分が振るっている。「柿は持ち主のために実をつけているのではなく勝手になっている。川の水は誰が飲んでもいいのと同じで、勝手になっている柿はみんなのもの。誰でも自由に取っていい」との弁。さすがは未来の大泥棒、小さいころからその素質があったのだ。
                                                    GG


実いろいろ(ザクロ)

2013年11月05日 | その他

                                 ザクロ
                 
秋が深まるにつれて、ザクロの実に割れ目ができ、そこからジェリーに包まれた赤い種子が顔をだす。
「ザクロ(石榴、柘榴)」は菅原道真の清涼殿落雷事件にも登場するが、果肉が少なく種子で埋めつくされている。それが故に豊穣や子宝に恵まれる吉木とされ、トルコでは新婚夫婦がザクロの実を地面に叩き投げ、中から飛散した種子の数で、生れる子の数を占うそうだ。
しかし、ザクロの実は血のしたたる肉に見え、仏教国では釈迦が、子どもをさらっては千人の人肉を食っていた鬼神可梨帝母にザクロの実を与え、人肉を食べない約束をさせて以来、可梨帝母は鬼子母神として子育ての神とされている。
           
          ザクロを持つペルセポネ     ペルセポネの略奪       ペルセポネの帰還
また、ギリシャ神話では、大神ゼウスと豊穣の女神デメテルの間に生まれた娘ペルセポネが野原で花を摘んでいるとき、冥王ハデスがペルセポネを略奪し冥界に連れ去った。それを知ったデメテルが激怒し地上から姿を消してしまったため、地上の穀物はすべて枯れてしまった。
困り果てた大神ゼウスは、仲介役のヘルメスを冥界に遣わし、ペルセポネを解放するようハデスにに伝えた。しかしハデスが解放に同意したものの、肝心のペルセポネがウンといわない。すでに冥界の食物を食べてしまった以上、いまさら地上に戻るわけにはいかないというのだ。
ゼウスの説得によって、ペルセポネは1年の半分を冥界で、残り半年を地上で過ごすことを承知した。その結果、ペルセポネが地上で暮らす半年は豊穣の神デメテルの機嫌がよくなり穀物が稔るが、冥界に留まるあとの半年は穀物が枯れてしまう。かくして地上に四季が誕生したという。ちなみに、ペルセポネが冥界でたべた食物とはザクロの実だった。
                                                        GG