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家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

茸を食らいて舞う

2018年02月14日 | 物語・作品

キノコ(茸)は美味しい。キノコ類は山野に入って探し求めるものでした。近年はシイタケ、ブナシメジ、エノキタケ、ナメコ、エリンギなど人工栽培されるものが多いですが、人工栽培茸の元祖はマイタケでした。マイタケは漢字では「舞茸」と書きますが、舞茸を食べると踊りたくなるのでしょうか。
平安時代末期に編纂された『今昔物語集』に「茸を食らいて舞う」という話があります。
京に住む木伐(きこり)たちが北山に出かけたところ、山奥の方から尼僧たちが舞い踊りながら下りてきました。「どうしてそんなに舞い踊っているのですか」と尋ねると、「山奥で見つけた茸を焼いて食べたところ、自然に舞い踊り出したのです」という。木伐たちは”まさか”と疑いましたが、山奥に入り教えられた茸を教えられたように料理して食べると、自然に踊り出してしまったとあります。
     
                         天然舞茸                    栽培舞茸
いまや工場栽培された舞茸が年がら年中食品スーパーで売られています。ジジもキノコ類は大好だから舞茸を食べますが、食べたからといって舞い踊ることはありません。ウイキペディアによると、尼僧たちや木伐たちが食べたのはマイタケではなく、ワライダケとかオオワライダケと呼ばれる毒キノコだろうとありますが、舞茸の人工栽培を成功させた人は大金持ちになっているでしょうね。
                                         ジジ


西郷どん

2018年02月01日 | 物語・作品

日本人には誰でも苗字と名前があります。
たとえば「坂本直陰」の例でいえば、「坂本」が苗字で「直陰」が名前ですね。
ところで、「坂本直陰」って誰かわかりますか。じつは坂本龍馬です。坂本龍馬の正式名(諱)は「直陰」(のちに「直柔」)であって、「龍馬」は通称(俗名)。明治維新以降、日本人は誰もが苗字を名乗るようになりましたが、江戸時代以前は苗字は支配階級(公家・武士)だけに許され、被支配階級(百姓町民)は俗名しかありませんでした。
                
話は飛びますが、この1月からNHK総合テレビの大河ドラマ「西郷どん」が始まりました。
明治時代になって一人一称で届け出ることになったさい、同僚の吉井友実(歌人吉井勇の祖父)が西郷どんの代理人としてお役所に出かけたのですが、正式名(諱)が思い出せない。思案しているうちに「そうだ、西郷家の諱には「隆」がつく、吉之助の諱は隆盛だったはず」と「西郷隆盛」で届け出を済ませました。
ところが、吉井友実から事後報告を受けた西郷吉之助は「おいは、隆永(たかなが)じゃと」と文句をいったそうです。でも後の祭りでした。
                                                 ジジ


喪中はがき

2018年01月15日 | 物語・作品

先週11日、「恩師の講話集(6)」を投稿しましたが、その恩師から昨年12月に喪中はがきを受取っていました。奥様が87歳で永眠されたとのこと。さっそくお悔やみの手紙を書いたところ、恩師からご丁寧な返信を頂戴していました。
             
妻逝きてぼそりもぞりと冬ごもり
そんな穴倉に一条の光。思いがけぬ御弔問、お心こもる一言一句身に沁みました。敬虔な聖書研究者だった家内は主エホバの定めにより87歳を一期として「塵」に還りました。ヨハネ伝にあるイエスの「死者は復活の時を待って眠っている」という言葉の通り安らかな死顔で救われました。
故人の遺志により九人だけの家族葬で導師も司祭も招ばず、故人の遺した膨大な聖句メモの一つを私が読み上げ「復活」の時を祈って葬送。納骨はせずすべて灰にして土に戻しました。「これでよかったのかな」と呟くと「そうね、あなたにしちゃ上出来」とにっこりしてくれた気がしました。今は九月に生まれた初曾孫が生きがいになっています。貴君も奥さん共々百歳を超えるまで長生きして下さい。

恩師は大正13年生れだから93歳。奥さんは身体が不自由だった模様で、これまでの恩師との手紙のやり取りの中で、自宅での老々介護の苦労、きびしさを何度も聞かされていました。
恩師の人生録(定年退職時の講話)を読むと、恩師は13代も続く大地主の長男でしたが、村長をしていた祖父が村おこし事業を支援しているうちに連鎖して破産。差押執行人が赤紙(財産差し押さの赤レッテル)を張りにやってきた日に恩師はオギャアと生まれたのですが、親父は父親で短歌や芸事を没頭する風流人。恩師は親に内緒で受験した東京師範学校(筑波大学の前身)に合格したものの経済的に無理と諦めていたところに、高額を無条件で提供するという篤志家が現れ、憧れの東京師範学校で学んだとのこと。
ところが学生時代はというと、文学・哲学・映画・演劇・文楽・歌舞伎にはまり、全国を股にかけて一人旅するというハチャメチャな学生だったとか。ジジたちを教えた頃が花だったとおっしゃるが、40代半から一貫して重度の身体障害者教育に専念し、愛知県立〇〇特別支援学校の校長を7年間務めて定年退職を迎えた波乱万丈の人です。
それはそれとして、正直言ってジジは百歳まで生きるのはしんどい。ボケる前に、寝たきり老人になる前に、さっさとあの世へ旅立つ方が、本人も家族も幸せではないかと思う毎日です。
                                                ジジ


恩師の講話集より(6)

2018年01月11日 | 物語・作品

これは長年にわたって、愛知県の養護学校(特別支援学校)の校長として、重度の身体障害児童生徒を前に話した講話の一つです。この校長は若いときに、ジジの高校時代の国語教師でもありました。

                   人でございます

 
豊臣秀吉が天下をとって関白になった時、家来の黒田如水を呼び寄せ「如水よ、今の日本であり余っているものは何だろう。」 そしたら如水が「それは人でございます。」と答えた。そうすると秀吉が「それでは、今の日本に足りない物は何であろう。」と続けて聞くと、如水は「人でございます。」と答えた。あり余っているのも人間、足りないのも人間。秀吉は「うん、なるほど、その通りだ。」と膝を打ったという話があります。
                  
 いかにも如水らしい答えだという意味でもあるけれども、秀吉の見方からしても、人間はあり余るほど日本にはいるけれど、本当の意味でのこの人こそは、という人間らしい人間というものは幾ら探してもなかなか見つからない。足りない。いやもっとほしい。如水もそう思い、秀吉もそう思った。
 これは今の日本でも同じことが言えるでしょう。秀吉の時代よりももっと更に人口が増えているから、人間はあり余るけれども、本当にあの人こそという立派な人間らしい人間というものは少ない。そういう人間がもっと出てほしい。ですから私自身も、自分も今は人間らしくない人間だけれども、一日一日少しずつ人間らしい人間に近づいて行こうという努力を自分ではしています。同じようにみんなにも、在学中もそうだけど、卒業したら余計そういう強い嵐の中でもまれながら、より一層人間らしい人間、人間味をもった人間になることを努力してもらいたい。(昭和五十六年)

まったくその通りですね。
                                                ジジ


紅葉伝説

2017年11月30日 | 物語・作品

いよいよ明日から師走ですが、行く秋を惜しみながら信州(北信)に伝わる紅葉伝説を紹介します。
          
                                                広池学園(柏市)の紅葉
平安時代中期、会津に呉葉(くれは)という女児が誕生しました。呉葉は長ずると両親と京の都へ移り住み、名前も”もみぢ”(紅葉)と変えひっそりと暮らしていました。あるとき源経基に目にとまり基経の子を宿したのですが、当時宮廷には疫病が広がり、比叡山の高僧の占いによるとその原因は呉葉にあるとして、呉葉は信州戸隠に追放されました。
“あゝ都が懐かしいや”と、もみぢの心は乱れに乱れました。このうえは一党を率いて京に上り、自分を信州に追放した連中を討とう。そのためには軍資金がいる、と夜な夜な近隣の村を荒らしまわるようになりました。この噂は戸隠の鬼女として京の都にも伝わり、戸隠の鬼女征伐のため平維茂が信州に派遣されましたが、戸隠の鬼女の妖術に阻まれて散々な目に遭いました。
かくなる上は神仏のお力を縋るしかないと仏に祈願するうちに、平維茂は夢枕に現れた白髪の老僧から降魔の剣を授かり、今度こそ鬼女を成敗しようとその住処を急襲しました。さすがの紅鬼女も維茂が振る剣の一撃に首を跳ねられたのでした。
                                          ジジ


練馬大根

2017年11月23日 | 物語・作品

秋も深まってくると晩酌は日本酒がいい。肴におでんがあればさらにいい。
「おでん」とは「田楽」を意味する女房言葉でした。田楽は室町時代に誕生した料理で、種を串刺しにて焼いたものが「焼き田楽」。江戸時代になると「煮込み田楽」が主流になりましたが、いまや「おでん」はコンビニの目玉商品。コンビニの大きな「おでん鍋」を覗くと、そこには大根の輪切りがあります。
          
大根には、先端に行くほど太くなる「三浦大根」(神奈川)、小柄な「亀戸大根」(東京)、ひょろひょろと細長い「守口大根」(尾張)、丸くて大柄な「聖護院大根」(京都)などなど多様ですが、その一つに「練馬大根」(東京)があります(画像上)。
「練馬大根」は、やや細身で少し辛味があり、水分が比較的少なく乾きやすい。だから漬物に打ってつけですが、軒の下に物干し竿を張って何本もの練馬大根がぶら下げている光景は、まさに冬の風物詩です。
昭和15年に練馬区に建てられた「練馬大根碑」の碑文によれば、第5代徳川将軍綱吉が館林城主右馬頭だった頃、尾張から取り寄せた大根の種を練馬の百姓六に与え栽培させたのが、練馬大根の始まりです。
           
大根足、大根役者などと蔑まれている大根の栽培を、徳川綱吉がなぜ練馬の百姓に命じたのでしょうか。
じつは徳川綱吉は脚気を患っていました。陰陽師に占いさせたところ「城の西北の「馬」の字があるところで養生すれば脚気は治る」という。そこで綱吉は下練馬村に養生屋敷を建て、暇をつぶしに尾張から取り寄せた大根の種を蒔いたところ、長さ四尺もある大根が三貫目も獲れたばかりか、脚気も治ってしまったそうです。それで庶民も大根を栽培して食べろというわけでした。
                                              ジジ


とんち

2017年11月16日 | 物語・作品

山寺にケチな和尚さんがいました。和尚さんは飴(あめ)が大好きで、小僧に隠すようにしてこっそり食べていました。
ある時、小僧が飴のはいった壺を見つけて和尚さんに「これは何ですか?」とたずねました。和尚さんは「ここには毒が入っている。食べたら死ぬぞ」と告げました。
ある日和尚さんが外出したとき、小僧はその壺をこっそり出してきて中を覗きました。どうみても飴のようです。試しにそっとなめてみるとやはり飴です。これはうまい!と、ついついなめているうちに空っぽになってしまいました。「あゝ、どうしよう・・・そうだ、いい考えがある!」と、小僧はにんまりとしました。
               
和尚さんが帰ってくると、小僧は大泣きしていました。「おやおや、どうしたのかな」とたずねると、小僧は「掃除をしているとき、和尚さんが大事にしている茶碗を割ってしまいました。罪ほろぼしに死ぬしかないと、和尚さんが言っていた毒の壺を開けて、ひとなめしましたが死に切れません。何としても死のうと繰り返し舐めていたら空っぽになりました。このうえは崖から身を投げて死にます」と大泣きです。
それを聞いた和尚さん、小僧を叱るにも叱れず、渋い顔をするばかりでした。
この小僧、一休さんみたいですね。でも一休さんは江戸時代の人。この話は鎌倉時代の仏教説話で、狂言「附子(ぶす)」の下地になっているようです。「ケチは大損のもと」ということでしょう。
                                         ジジ

 


『忘れられた巨人』

2017年10月17日 | 物語・作品

今年のノーベル文学賞受賞者がカズオ・イシグロ氏の小説『忘れられた巨人』を読み終え、本をを図書館に返却しました。
この小説は伝説上のアーサー王の時代(6世紀頃)が舞台で、主人公はブリトン人の老夫婦。老夫婦は村人から疎まれて居づらくなり(村八分?)、何年も前に家を出て行った息子を頼って旅立ったものの、旅中さまざまな事件・災難に巻き込まれ、息子が住むであろう小島の対岸まで這う這うの体でたどり着くという粗筋です。
                
旅中に遭遇する事件・災難とは、ゲルマン民族の大移動でブリテン島に渡来したサクソン人と先住民のケルト系ブリトン人との対立に絡むもので、たとえば、キリスト教修道院でサクソン人(非キリスト教徒=ゲルマン族の多神教徒)に危うく殺されかけたり、山中に棲息する竜を退治しようとして逆に食い殺されそうになったりといった苦難を、アーサー王の甥と称する男の助けを得て克服するのですが、イギリス史を知らなくても結構楽しめる物語でした。
ただマルが悩まされたのは、著者の丁寧な記述にもかかわらず事件・災難場所の地勢・様子がよく呑み込めなかったことですが、それはそれとして、物語は最後の最後の数行で、「あれれ、そうことだったのか」と意外な展開。一種のファンタジー小説、推理小説のようでもありました。
著者は物語づくりに相当苦心したのでしょう、この小説の完成に10年も費やしているのですから。
マルはカズオ・イシグロ氏はまったく知りませんでしたが、新聞報道によれば同氏の作品の日本での出版元である早川書房では、これまでに8作品100万部も出版しいているそうですから、知る人ぞ知る作家だったのでしょう。そのうえ、早川書房はさっそく8作品105万部も増刷すると発表しています。早川書房の社員はノーベル賞のおかげで冬のボーナスが楽しみでしょうね。うらやましい!
                                               ジジ


読書

2017年10月10日 | 物語・作品

ノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏に決まったので、さっそく大学図書館に出かけ、同氏の代表作『日の名残り』を探したものの有るべき書架に見当たらず、仕方なしに同氏の最新作の長編小説『忘れたら巨人』を借り出したことは、すでにこのブログに書きました。さっそく読み始めたのですが、読んでも読んでも前へ進まず、休み休みしながら読んでいます。
そんな時、大学図書館に公開講演会のポスターが張り出されていました。講演テーマは「文学とはなんのためにあるか―夏目漱石『こゝろ』から考えるー」とあり、おもしろそうなので聴講しようかと思っています。
               
さっそく自宅に戻り、本棚から古ぼけた漱石の『こころ』(新潮文庫)を探し出して読み始めたのですが、こちらはぐいぐいと惹き込まれて、あっという間に読み終えました。『こころ』は、二人の男性が自殺するという深刻な話で、決して『吾輩は猫である』のように気楽に楽しめる話ではないのですが、漱石の心理描写に感心し、名作といわれるだけのことはあるなあと納得したところです。
これで公開講演会の事前準備もできたことだし、再び『忘れられた巨人』に戻っているのですが、『忘れられた巨人』の読書感を披露できないのが残念です。その代わりとして余談を一つ。
じつは、ノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏に決まったとの報道の中で、イシグロ氏の顔写真が紹介されました。マルはその顔写真を見た瞬間、“まさか、お隣のご主人がノーベル賞受賞とは!”、とドキッとしました。じつにお二人の顔立ちが”瓜二つ”なのです。本来ならお二人の顔写真を並べてお見せしたのですが、お隣のご主人の写真を無断で掲載するわけにはいきません。あしからず。
                                                 ジジ


ノーベル賞文学賞

2017年10月07日 | 物語・作品

今年のノーベル賞文学賞に日系イギリス人のカズオ・イシグロ氏が選ばれました。
ジジはこの小説家を知りませんでしたが、くーたんがいうには、もう20数年も前のことですが映画化された『日の名残り』を見て印象に残っており、すぐピンときた。映画『日の名残り』は、第二次世界大戦後の没落するイギリス貴族の執事をしていた人物の物語で、格調の高い、品のいい映画だったというのです。
じゃあジジも小説『日の名残り』を読んでみようかと行きつけの大学図書館に朝一番に駆けつけ、まだ貸し出されていないことをパソコンの図書検索で確認して探したのですが、本があるべき書架にありませんでした。
                     
                                         「カズオ・イシグロ著書」展示コーナー
そこで受付に戻ってその旨を受付嬢に伝えると「いま図書館にあるカズオ・イシグロの本を集めてきたところです」と目の前の本の山を紹介してくれたので『日の名残り』を探したのですが、やっぱりありません。受付嬢がいうには「朝一番にきた学生がいま館内で読んでいるのでしょう。」とのことでした。
ノーベル賞文学賞発表の翌朝一番に駆けつけたのですが、マルの上手を行く学生がいたようです。
                       
仕方がないので、文学賞受賞者の別の著書『忘れられた巨人』(翻訳本)を借りてきました。
本の末尾の「解説」には「本書『忘れられた巨人』はブッカー賞(イギリスで最も権威のある文学賞)作家カズオ・イシグロの第7長編。長編としては『わたしを離さないで』以来10年ぶりの、まさに待望の一作」とあります。
ジジはまだ読み始めたばかりですが、アーサー王伝説を下敷きとする老夫婦の物語で、ストーリーがどのように展開していくのか楽しみです。
                                              ジジ


嘘も方便

2017年09月08日 | 物語・作品

これはあるWebサイトに書いてあった話です。書いたのはある禅寺の住職さんです。
禅寺では食事も修行のうちですから、朝食はお粥と一汁一菜という質素なものです。
           
ある朝のこと、住職の前のお膳の上の味噌汁を一口すすってみるとじつに美味い。お箸をお汁に入れると、ヘビの頭が出てきました。小僧が前の晩に用意した味噌汁の具にヘビが忍び込んだのでしょう。
住職は小僧を呼びつけてヘビの頭を突き出すと、小僧は「和尚、これはゴボウ(牛蒡)の頭です」と、すばやく口の中へ放り込み、飲み込んでしまいました。和尚は小僧の見事な証拠隠滅ぶりを見て、𠮟りつけるのも忘れて、「うむ、そうか」と感心するばかりでした。
この和尚は、後に曹洞宗大本山総持寺(横浜)の第4世独住(ボス)だそうです。
この小僧はまるで「トンチの一休さん」みたいですね。
一休さんは善人ですが、世の中にはずる賢い人はゴマンといます。とくに政界という特殊はとくにそうでしょう。浮気でしけ込んだホテルの、二人分の代金を“政務活動費”と称してネコババする国会議員だっているかもしれません。全部が全部ではないですが、国会議員の質も落ちましたね。
                                           ジジ


どっこいしょ

2017年08月17日 | 物語・作品

仏教に「六根」ということばがあります。六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意のことで、日本人は昔から六根をきれいにしておくことを心掛けてきました。
                
これを「六根清浄」とか「六根浄」いい、眼は不浄な物を見ない、耳は不浄な話を聞かない、鼻は不浄な匂いを嗅がない、舌は不浄な味わいをしない、身は不浄なものに触れない、そして意(心)は不浄なことを考えない、という戒めで、これを総称して「六根清浄」とか「六根浄」といいます。
ジジはもう満79歳になりました。数え年でいえば80歳です。満80歳は「傘寿」といいます。「傘」は略字で「八」と「十」を上下に重ねて書くからです。
先日、後期高齢者特定健診を受けました。国民健康保険に加入していると後期高齢者(75歳以上)に健診を受けなさいと案内書が送付されてくるのです。ということで病院に出かけて健診を受けたのですが、肺と大腸と腎臓の精密検査を受けた方がいいですよと指摘されたので、そうしました。
         
幸いにして、肺・心臓・肝臓・腎臓も大過なく働いているようなのでホッとしましたが、やっぱり年(齢)には勝てません。散歩していても疲れを感じるし、立ったり座ったりするとき、ついつい「どっこいしょ」といってしまいます。
「どっこいしょ」・・・・これは「六根浄(ろっこんじょう)」が訛ったことばだそうです。つまり、「六根浄」が鈍くなってくると「どっこいしょ」になってしまうのですね。
                                                ジジ


「恩師の講話集」より

2017年08月10日 | 物語・作品

                    みみずの運命

                  
舗装された道に、長々と伸びたみみずの死体をよく見かける。土の中からはい出したものの目のない悲しさ、行けども、行けども固い乾いたコンクリートやアスファルトの上、土に飢え、水に渇きながら行き倒れたまま、ひからびたり、非情のタイヤにつぶされたり・・・あわれな末路である。

 もともと、みみずは黙々と土を肥やしてくれる恩人であった。しかし人間自身、土を肥やす必要と手数をあっさり切り捨ててしまった。かつて落ち葉の匂うふかふかの沃土を、自在に耕していたみみずにとって、劇薬を濃縮するろ過装置と化した土は、生きるに堪えない地獄であろう。息苦しさに地表へもがき出た末、白日の下に無残な最期をさらすほかはない。先の見えない人間の犠牲となって。
 しかし私は、みみずをそこまで追い込んだ人間自身の運命を、その光景に予感する思いである。やがてある日、荒廃した地表を人間はのたうちながら、温かい土に帰りたい、生きた水に飽きたいと恋い焦がれながら、自らの手で固めた地表に拒絶され、ついにミイラと化していく。そして炎熱の、あるいは酷寒のコンクリートの上を、カチャカチャ正確な音を立てて、ロボットだけが動き回っている・・・などという近未来図を、戯画として笑えるであろうか。
「耳をおほひて貧しき者の呼ぶ声を聴かざる者は、おのれ自ら呼ぶ時もまた聴かれざるべし」(箴言)
                                       (昭和五十七年九月)

これは、ジジの高校時代の恩師の講話集に書いてある話です。この恩師は、後に身体障害者教育に専念し、ながらく特別支援学校の校長をされ定年を迎えました。この講話集は、特別支援学校の先生たちが校長先生の日頃の講話・校内誌投稿などを編集して一冊の本にまとめ、特別支援学校を去られる校長に贈呈したものです。「箴言」とは、旧約聖書の中の「箴言集」に書かれている戒めの言葉です。
わが家の庭にもたくさんのミミズが棲息しています。ときには這い出してうろうろしています。道路に達したミミズはかわいそうに、日干しになってペチャンコになっています。憐れ、合掌
                                         ジジ


『チーズはどこへ消えた?』

2017年07月11日 | 物語・作品

先日、『チーズはどこへ消えた?』(扶桑社。2000年)の著者スペンサー・ジョンソンが亡くなったというニュースが新聞で報じられました。何となく聞きおぼえがある本だなあと思って本棚をさがしたところ、やっぱりありました。わずか100ページ足らずの小冊子ですが、本を開いてみると、巣立っていった3人の娘・息子たちへのメモがはさんでありました。
                      
「たまたま今日会社で、同封した本『チーズはどこへ消えた?』が回ってきて暇つぶしに読んでみたら、これは年配もんだけでなく、若いもんにも薦められる本だと思った。目下ベストセラーなので題名くらいは聞いたことがあると思うが、中身はイソップ物語の続編みたいな寓話でいたって簡単。その気になって読めば1時間か2時間もあれば読み終わってしまうような話といえば、たしかにそのとおり。(中略)  父の日も近くなったが、特に欲しいものもないので気にせんでもいい。もし気が向いて読んでくれたら(強制ではないよ)、それが父の日のプレゼントになる。自戒の念を込めてプレゼントします。 親父」
「たまたま今日会社で回ってきて、暇つぶしに読んでみたら」とあるから、たまたまこの本を読んだ社長がお前らも読めと幹部クラスに回してきたのでしょう。ジジは一線から退いて気楽に出社していた頃にあたるから、社員の邪魔にならないよう別室で、暇に任せて読んだのだろうと思います。
      
本棚から引っぱりだしてきたついでに、もう一度ざっと目を通してみました。
この本の主人公は2匹のネズミと2人の小人(こびと)で、彼らは迷路をさ迷いながらチーズを発見するのですが、そのチーズがとつぜん消えてしまってさあ大変。新しいチーズを見つけりゃいいというものがあれば、チーズはかならず戻ってくると主張するものもある・・・といったストーリーです。   
この本は、全世界で2400万部、日本語版でも400万部が売れた超ベストセラーでしたが、社長がお前たちも読めと本を回してきたのは、「現状に甘んじていては会社はつぶれる。現状を打破する意気込みで仕事をせよ、そういう努力をおこたるな」と幹部社員にハッパをかけたのでした。
処世術を考える絶好の本と思って、ジジは(社長のまね?)わが子たちにもぜひ読んでもらいたいと4冊も買ったのでした。もう10数年も前のことでした。
                                                                                                                         ジジ


月と兎と蝦蟇

2017年07月09日 | 物語・作品

先日、「兎と亀」の話を書きましたが、きょうは「月と兎と蝦蟇」の話です。
                
月には兎がいますね。平安時代の説話集『今昔物語集』にはこんな話が載っています(要約)。
<猿と狐と兎が山中で遊んでいると、空腹で力尽きた老人が倒れていました。老人が何か食べたいと懇願するので、猿と狐と兎は食べ物を探しに出かけたのですが、兎は何も持たずに帰ってきました。自分の非力さを嘆いた兎は、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、その火の中へ飛び込んだのです。老人は兎の慈悲深い捨て身の行為を見て、兎を月へと昇らせてやりました。月に雲がかかるのは、兎が飛び込んだ焚火の煙です。実は老人は帝釈天の仮の姿だったのです。>
これはインドの仏教説話集『ジャータカ』の中の話が土台になっているようですが、月の表面の陰が兎に見えるのは、アジア諸国共通の現象のようです。だから中国でも同じように見えるはずですが、中国人には「蝦蟇(ガマ)」に見えるようです。
        
中国の月探査機はいずれも「嫦娥XX号」と命名されます。月には嫦娥が住んでいるからですが、嫦娥の本性は蝦蟇(ガマ)なのです。筑波山のガマの油の蝦蟇です。
あるとき女人は、夫が大事に隠し持っていた不死の薬(バイアグラか?)を盗み飲みしていたところ、バレてしまったため月に逃れて姿を変え蝦蟇になったというのです。おそらく密かに浮気していたのでしょうね。でも、中国人にはその蝦蟇が美しい女神にみえるというのですから、日本人とは頭の中身の構造が根本的にちがうのでしょうね。
                                                ジジ