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家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

お箸(5)

2014年02月02日 | 物語・作品

中国から二本箸と匙が伝来すると宮廷や貴族の間で急速に普及したが、やがて匙は使わなくなった。中国や朝鮮半島では箸と匙の両方とも食事に欠かせない道具となったのに、日本では箸だけで食事する習慣が出来上がった。
    
                 箸食                   匙食               ナイフ・フォーク食
それは食卓のスタイルと大いに関係があるようだ。古来、中国やその子分格の朝鮮半島では大きなテーブル上に料理を盛った大皿を並べ、箸を使ってその料理を自分の小皿や器に移して食べた。朝鮮半島の人々はもっと極端で、自分の箸で大皿の料理を取ってそのまま口に持っていく(直箸方式)。
日本人はそういうことが出来なかった。最近の若い人はそうでもないようだが、みんなで集まって中国料理のテーブルを囲むときでも、中央の回転卓の料理を大皿から自分の小皿に移すのに必ず「取り箸」を使い、自分の箸で取ったりしない。大皿の料理に直箸をした人の魂や穢れが移ることを嫌うからだ。
また映画やテレビの時代劇でも、テーブルを囲んで料理を食べるシーンなんてない。各人の前に小さなお膳が置かれ、一人分の料理がのっかっている(個食方式)。お膳の上にはご飯、魚介類や野菜の煮物、汁物が置かれているが、尾頭付きの鯛だって箸でほぐせば食べられる。汁物だってお椀(木の椀は平安時代に登場した)を口に持っていくから匙は必要ない。お膳にビフテキがのっかっているわけではないから切る道具(ナイフ)も刺す道具(フォーク)も必要ない。つまり箸があればどんな料理でも食べることができた。明治になって西洋料理が登場し、ナイフやフォーク、スプーンを使うようになるまではそれが当たり前だった。
かくして食卓から匙が消え、日本人は世界でも唯一、箸だけで食事をする民族になった。
                                                          GG


お箸(4)

2014年01月30日 | 物語・作品

二本箸と匙が中国から渡来する前に存在したピンセット状の折箸は神饌(神々に供えられる食事)のための祭器だと書いたが、そういった伝統もあって二本箸はいつの時代にも粗末に扱われることはなかった。お米をはじめ自然の恵みは神様からの授かり物であり、それを口まで橋渡ししてくれる箸には神様や霊魂が宿ると考えるても不自然なことではなかった。
箸と神を結びつけた神話や伝説は多い。例えば、箸立伝説もそのひとつ。
   
琵琶湖に近い「多賀大社」(画像上)にはイザナギとイザナミが祀られている。イザナギが多賀大社に近い杉坂峠にやって来たのはちょうどお昼時だった。腹ペコになって休んでいると老いぼれ爺が現れ、 “どうぞ召し上がってください”といって柏の葉に盛ったご飯と杉の箸を差し出した。これが空き腹には帝国ホテルのフランス料理よりも美味かった。イザナギは感謝の意を込めて杉の箸を地面に差し立てて “じいさん、ありがとう”といって立ち去ったが、その箸がやがて芽を出し葉を出して杉の大木になった。土地の人々はこの大木には神様が宿っているといって神木とした。多賀大社に近い杉坂峠には今でもその神木が天を仰いでいるそうだ。
            
そういえばこの正月、たっくんファミリーにお供して訪れた河口湖でも、湖畔の高台にある浅間神社には杉の大木が7本、神木として天を突いていた。
                 
また、卑弥呼の墓ではないかと騒がれている奈良県桜井の箸墓古墳(上掲画像)は「箸の墓」・・・という伝説もある。
むかし大和国桜井の箸中郷に長者がいた。この長者の屋敷には金のなる木があっておカネが増える一方。おカネがあり余るほどあるのも悩みらしい。一度貧乏を経験してみたいと思った長者は、毎日三度の箸を捨てると天罰で貧乏になると聞いて、箸を捨て続けた。それが積り積もったのが「箸の墓」、つまり箸墓古墳だという。なんともウラヤマシイ話だね。
                                                       GG


お箸(3)

2014年01月24日 | 物語・作品

日本で二本からなる箸(二本箸)が誕生したのは飛鳥時代(7世紀)とされる。誕生したというよりも、中国から導入したというべきか。
   
607年、遣隋使として派遣された小野妹子らの一行は隋の都で盛大な歓待を受けたが、その宴席で箸と匙をセットにした食事作法に接し目を見張った。当時の日本(倭国)では、宮廷も貴族も食事は手でつまんで食べていたからだ。
ちなみに、3世紀に中国で書かれた『魏志倭人伝』には、当時の倭人は手で飲食しいていると書かれているし、『万葉集』の有間皇子の有名な歌(巻二・142)からも手食であったことを窺わせる。
    家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
当時はまだ箸もお碗もなかったから、家では竹を切って器にし、旅では木や草の葉を器にしてご飯をたべた。それも手食で。
翌608年、小野妹子は裴世清を長とする隋の答礼使節団と一緒に帰国したが、答礼使節団を迎え入れたのが聖徳太子だった。彼らを歓待する宴席が手食では面子にいかかわる。そこで小野妹子が隋から持ち帰った金銀の箸と匙を真似て、大急ぎで二本箸と匙をつくって歓待した。
   
         (左)藤原宮跡出土品 (右)平城宮跡出土品 (『調理科学』より)
これが日本での二本箸の始まりだそうだ。金銀はともかく、竹や木であれば容易につくれるから、宮廷や貴族の間で二本箸と匙が日常的につかわれるようになった。明日香の藤原宮跡からは檜でつくった箸と匙が出土しており、奈良の平城宮跡からは今日と形状・寸法が変わらない箸が大量に出土しいている(上掲画像)。
奈良時代には箸も匙も広く普及していたが、匙は平安時代には消えてしまったそうだ。そのことは改めて書くことにしよう。
                                                        GG


お箸(2)

2014年01月22日 | 物語・作品

人類が火を使って料理するようになって、熱い食物を口に運ぶ道具が必要になったのは想像に難くない。それが箸の元祖だが、竹や木の箸は土中で腐り土に還るから痕跡が残らない。しかし金属であればいつまでも後代に残る。
中国殷の時代(紀元前14世紀~同11世紀頃) の遺跡から青銅製の箸が出土しており、それが現存する世界で最も古い箸とされているが、それが日常生活に使われていたものか、祭事の道具だったかははっきりしていない。
            
わが国の箸の歴史というと、まず思い出されるのが『古事記』の記述。高天原から追放されて地上に下ったスサノオが出雲の斐伊川の畔に佇んだとき、川上から箸が流れてきて上流に人が住んでいることを知り、それが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治につながった。これは神話であって歴史的事実ではないが、『古事記』が書かれた8世紀初には、すでに箸というものが存在したことを意味する。
神話ではなく現実の話でいえば、古代の箸は二本からなる箸(二本箸)ではなく、ピンセット状の箸(折箸)だったという。
                  
弥生時代末期(3世紀頃)から連綿と継承されている天皇家の最重要神事である大嘗祭や新嘗祭では、竹を細く削って折り曲げ、麻か木綿で結んだ長さ8寸の竹折箸が使われており、いまも天皇はこの折箸を使って自ら育てられたお米を槲(かしわ)葉に盛って神々に供え(神饌)、天皇自ら食されるそうだ。
    
そのようなピンセット状の折箸は、中国や朝鮮半島には見られない日本独特のもの。この箸は神事のなかで神様とともに食べることを目的にした「神人共食の箸」といわれる。
では日常生活で使われる「二本箸」はいつ頃誕生したのだろうか。それは飛鳥時代に遡ることになり、次回はその話です。
                                                          GG


お箸(1)

2014年01月13日 | 物語・作品

先日の投稿「漢字小話」で「箸」という字のことを書いたけど、「箸」の話をすこし綴ってみます。
食べ物を口に運ぶ方法には大きく分けて3つある。①手食(手・指)、②フォーク食(ナイフ・フォーク・スプーン)、③箸食(二本箸)。その割合は、大雑把にいって、手食が4割、フォーク食と箸食がそれぞれ3割だそうです。
                   
   ①手食は、アフリカ大陸・アラブ・西アジア・南アジア・東南アジアなど。
   ②フォーク食は、ヨーロッパ・南北アメリカ・ロシアなど(主としてキリスト教圏)。
   ③箸食は、東アジアの中国・朝鮮半島・日本・台湾・ベトナム。
           
手食が多いのに驚くが、現代人の祖先であるホモサピエンスは猿やゴリラ、チッパンジーと同じように手食であったはずであり、手食は伝統的な食事方法といえる。
そもそも人類が食事時に道具を使うようになったのは、火を使って料理することを覚え、熱い食べ物をつまむ必要が生じたからでしょう。それがナイフ・フォーク・スプーンであり箸や匙ですが、なぜ食法が上述のように三分化したか。
一つは、食材や料理のちがい。つまり、根菜果実食中心か、肉食中心か、米食中心かのちがいとされる。同じ米食でも、粘りのあるジャポニカ種(東アジア)とパサパサしたインディカ種(南・東南アジア)では食べ方がちがい、ジャポニカ種は箸食に適し、インディカ種は手食に適している。また、ヨーロッパなどの肉食圏では、パンは手で千切って食べるが、肉はカットし、口に運ぶため刺し、皿に残った肉汁や野菜汁をすくう道具が必要になった。
もう一つは、宗教的背景。ヒンズー教徒やイスラム教徒は道具を使って食べることを忌み嫌う。食物は神からの授かり物であり、道具を使うことは神への冒涜と考えるからであり、また、手食であれば口に入れる前段階で、食べ物の触感を手や指で味わうことだってできる、というのが彼らの言い分のようです。
                                                       GG


映画

2014年01月09日 | 物語・作品

昨年の12月中旬ごろから上映している映画『鑑定士と顔のない依頼人』・・・・。
ぜひ観たいと思っていましたが年末年始はなかなか時間が取れなくて、ようやく昨日
GGと一緒にみに行ってきました(映画は久しぶり!)。
いつも行きつけのシネコンに行ったのですが、ウイークデーなのに席は埋まり、観客が
多いのにびっくり! やはり評判の映画なんでしょう。
         
鑑定士役のジェフリー・ラッシュはこれまで「シャイン」「英国王のスピーチ」などで深みの
ある演技で渋い俳優です。今回も期待を裏切らない異様な人物を見事に演じていました。
鑑定士自身多くの女性肖像画を収集し、自宅の秘密部屋でひとり楽しんでいるのですが、
四方の壁を埋める絵画も素晴らしい。G・トルナトーレ監督はそれらの女性肖像画の
本物を何点か借りてきて映画に登場させていたそうです。
(G・トルナトーレ監督の作品は「ニューシネマパラダイス」や「海の上のピアニスト」など)

そしてエンニオ・モリコーネの音楽も、よかったですよ!
(「ニューシネマパラダイス」の哀愁のある音楽も素敵でしたね)
          
老鑑定士が好奇心から恋に陥る謎の美女“顔の見えない依頼人”を演じるオランダ出身の
シルヴィア・ホークスの美しいこと!
謎解きをしながら人間の深淵をのぞく、楽しめる映画でした。
                                                  KUN


漢字小話

2014年01月03日 | 物語・作品

                        「箸」という字

            
新しい年が明けた。正月には雑煮を食べる。わが家の雑煮は四角餅だが、具の人参や大根は丸く切る。また、箸も正月7日間は、日頃使っている箸ではなく、正月用の新しい箸を使う。白木を丸く削った箸だが、この一年間すべてが丸くおさまるようにとの願いから。                                      

「箸」という字は「竹」と「者」からなっているが、「者」には「集める・拾う」という意味があるそうだ。上掲は「箸」の古い字体だが、「者」の部分は柴を集め積んで下から火で焼いている様を表しており、「煮」という字と同義だという。つまり、箸は料理を口へ運ぶための竹製の道具というわけだ。
古代日本人は「箸」という漢字を大和言葉の「はし」に当てたが、「はし」は、橋、端、嘴、梯、梁、柱に通ずる。「はし」は橋渡しをしたり、支えたりすることを意味する言葉だった。
ところで、「箸」は中国伝来の漢字だが、現代中国では箸のことを「筷子(クワイズ)」というそうだ。この字は明代の文書に登場しているから数百年の歴史があるそうだが、この字がつくられた経緯がおもしろい。
黄河・長江はいくつもの支流とつながる大河だから、現在でも船は重要な交通手段だが昔は風が頼りだった。内陸と沿岸を結ぶ船旅は何日もかかり食事は船上でしたが、このとき箸を使ったが、「箸」は「チュウ」と発音し、同じ発音に「住」という字があったから縁起が悪かった。
「住」は「住む」を意味する字だが、もうひとつ「停止する」という意味があり、たとえば「雨が止んだ」ことを中国語では「雨住了」というそうだ。つまり、船上で箸を使ったら風が凪いで船が止まってしったら具合が悪いというわけだ。そこで「竹」と「快」を組み合わせて「筷」という字を発明した。「快」は「こころよい・はやい」という意味の形容詞で、これに名詞を表す接尾語「子」をつけて「筷子」と書き、これを「箸」の字に代えて使うようになったのだそうだ。
          
               魔除けの箸いろいろ(一色八郎『箸の文化史』より)
箸には神様が宿っている。天皇家の神事にも登場し、初詣の神社には御神籤や破魔矢、御守りと並んで「XXX箸」がおいてある。
                                                         GG


漢字小話

2013年10月24日 | 物語・作品

                        「海」という字

三陸海岸を舞台にしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」が9月末で終った。4月以来、大変な人気だったようで、三陸地方への観光客が増えるなどといった経済効果も大きかったらしい。あいにくGGはパソコンに向かいながらちらっと横目で見る程度だったから、ストーリーはまったく分からないが、三陸の「海」を舞台にしたのが当たったようだ。
                  
さて、きょうは「海」という字。
紀元1世紀、中国は後漢時代に編纂された漢字字典『説文解字』には、「海は天池なり。以て百川を納いるものなり」「海は晦なり」とあるそうだ。古代中国の王城は中原(内陸部)にあり、海は日常生活においてほとんど縁がなかった。
「晦」には「くらい・やみ」という意味がある。そもそも「毎」(マイ・カイ)に「くらい」という意味があるからで、中原の人々にとって海は暗いところ、魔物が棲むおどろおどろしたところだった。
ところが四海に囲まれた日本人は海に対する考え方が中国人とは根本的にちがう。日本では「海」を「うみ」とよむが、「うみ」は「生み」に通ずる。中原の人々にとっては暗い、得体の知れない海だったが、日本人にとって海は生命の根源だった。山海珍味というように海は食物の宝庫であり、それよりもなによりも、動物であれ植物であれ、生物は海から生まれた。海がなかったらこの地球上に人間は存在しなかったから、連続テレビ小説「あまちゃん」だって誕生しなかった。
海は偉大は母なのだ。説文篆文(画像右)を見れはわかる。「海」という字の左は「水」で右は女性の姿だ。胸にはお乳がほとばしりそうなパイが二つある。
                                                         GG


漢字小話

2013年09月06日 | 物語・作品

                         「結」という字
              
「結」という字は「糸」と「吉」からなっている。「吉」という字には、閉じ込める、引き締めるという意味があり、拮、桔、結、詰、頡といった字はかたく引き締めるとの意味を共有しているという。
「むすぶ」の「むす」は「苔むす」の「むす」と同じ。「はえる・うまれる」という意味で、男女が結ばれると「むす・こ(息子)」「むす・め(娘)」がうまれる。
田植は今でこそ田植機で苗を植えるが、かつては手で植えた。しかも女性が横一列にならんで植えるものだった。そもそも産んだり育てたりするのは女性の特権であり、よい稔りを期待するのであれば女性にまかせなさい、と神様がお決めになった。
             
神様といえば、神産巣日神(カミムスビ)とか高御産巣日神(タカミムスビ)という神様の「産巣」は文字どおり生産・生成を意味する。タカミムスビは天孫降臨のニニギの外祖父にあたる。ニニギとコノハナサクヤヒメが結ばれたからこそ、神武天皇が、今上天皇が、そして下々の庶民が存在することになった。
やはり人間が結ばれるといえば「結婚」だろう。ただ、「結婚」ということばは明治になって誕生したもの。「結婚」にあたる和語(やまとことば)を一生懸命考えてみたけど思いあたらない。「よめいり」「むこいり」「こしいれ」「めとる」などはいずれも片方向で、双方向(男女対等)のイメージがない。「ちぎりをむすぶ」「めおとのちぎり」なんていってたのだろうか。
                                                   GG


格差社会(6)

2013年07月13日 | 物語・作品

             
                          ノウゼンカズラ
堀江義人『毛沢東が神棚から下りる日』にはこんな例が書いてある。
2010年に江西省の農村で強制立ち退きに抗議する一家(13人家族)の3人が周囲の見守る中で焼身自殺をした。強制立ち退きの不当を訴えるため家族の姉妹2人が北京への上訪(中央政府への直訴)を試みようと地元の空港に向かったが、空港で地元の役人40数名に阻止されたため、トイレに逃げ込んで助けを求めた。では、どのようにして助けを求めたか。
姉妹は、家族の焼身自殺事件で知り合ったばかりの複数の新聞記者にトイレの中から携帯電話でSOSを送ったのだ。これを受けた記者はそれぞれ微博でささやき、香港系週刊誌の記者がこの情報をまとめ、刻々と実況中継に乗り出したのだという。結局、姉妹の北京行きは当局に阻止されたものの、その後、県当局と対等の話し合いが行われるきっかとなったという。
実況中継を手配した記者はその効果を中国メディアにこう語っている。「二人の女性が役人に拘束され、連れ去られようとしている事態を多くの人に伝えたかった。ブログはスピードに欠けるし、新聞では間に合わない。微博は安くて、速く、しかもマイクロフォンの役目を果たしてくれる。価値のある情報だと判断すれば、瞬時に数万~数百万単位で発信できる。こんな効率のよいメディアはない」と。
民主社会を求める民衆との軋轢を習近平新体制はどう処理するのだろうか。第二の文化革命や第三の天安門事件に発展しないと言い切れるだろうか。
                                                           GG


格差社会(5)

2013年07月10日 | 物語・作品

             
                        ヤロー・イエロー
堀江義人『毛沢東が神棚から下りる日』の中からショッキングな話をひとつ。
中国には古来「人を食する」習慣があった。魯迅の短編小説『狂人日記』には「父母が病気になったら、子たるものは自分の肉を一片切り取って、よく煮て父母に食わせるのが立派な人間だ」と書かれている。もちろん魯迅はこういう習慣がなくなることを訴えているのだが、40年前の文革時代にも「人を食する」ことがあったそうだ。
わずか4年前の2009年6月、昆明発武昌行きの列車に赤ん坊二人を抱いた不審な男女がいた。双子のわが子というが夫婦には見えず、赤ん坊も似ていない。自供から一味23人が捕まり、河北省渉県に売られた赤ん坊が数年で36人にのぼることがわかった。赤ん坊は誘拐されたのではなく売られたのだ。
中国紙によると、雲南省の貧困地帯では「子供を産むのは牛や豚を飼うより儲かる」といわれ、一部地域では出産が金儲けの産業になっているという。買い手の最終価格は、2005年では女子6千元(9万円)程度、男子13千元(18万円)程度だったのが、需給関係から2009年以降は3倍に急騰しているそうだ。
さらに驚くことは、雲南や四川といった西南地地区から数千キロ離れた沿海地区へ妊婦を連れて行くか、都市での出稼ぎ女性が現地出産するケースも目立つ。妊婦にとってはその方が高く売れるし、仲介業者にとっても運ぶリスクが減るからだという。
大都市の最終需要者はまさか食するために赤ん坊を買うのではないだろうが、今でも人身売買が行われていることに驚く。
                                                            GG


格差社会(4)

2013年07月08日 | 物語・作品

              
                            ヒルガオ
堀江義人『毛沢東が神棚から下りる日』にはこんな話もある。
中国では1966年に文化革命が始まり10年間も続いた。1945年以来続いている共産党政権にとって文革は最大汚点で、中国国内では今でも文革の研究はご法度となっているそうだ。国家ばかりではなく、当時文化革命に参加した一般市民にもあまり反省の声がない。むしろわれわれも被害者だったと自己弁護する一般市民も多いそうだ。
社会科学院哲学研究所の徐友漁研究員は「反省しないのには理由がある。悪い手本を示した指導者と共産党に反省の文化がないからだ。どうしても誤りを認めざるを得ないときは、内部の敵に責任を押し付ける。劉少奇国家主席が迫害死させられたのは四人組の責任、というように。党はいつも“偉、光、正”、つまり偉大で、光栄で、正しいのだ」という。
徐友漁研究員は、建国以来の政治運動が美徳、道徳を破壊したと嘆く。
「文化革命後、同世代や若者の間に道徳の真空状態が生まれている。天真さや純朴さ、情熱や信念が失われる一方、自分の利益だけは小賢しく計算し、うまく立ち回る術を学んだ。孟子は一日に三回反省するよう諭したが、よき伝統文化は失われた。道徳の破壊は市場経済にも悪い影響を与えている。日本の市場経済が信用や誠実さを重視するのに対して、たとえば事件(森永ミルク事件のような事件)を起こした三鹿の食品はチェックなしで優良製品に認定され、問題が起きると地方政府は自分を守るため事件を隠そうとした」
日本人は長期的観点に立ち信用や誠実さを重視するが、中国人は目先の利益重視だから何をするか分からない。とくに食品は要注意。恐くて食べられない。
                                                             GG                                                                     


格差社会(3)

2013年07月04日 | 物語・作品

           
                             
セイヨウツユクサ     
『毛沢東が神棚から下りる日』
(堀江義人著。平凡社)という本が最近出版された。著者は朝日新聞の元北京支局長・元上海支局長でもあった中国通ジャーナリスト。中国の現場を目と耳で確かめ、都市と農村のさまざまな格差をまざまざと書いている。
                      
清華大学(北京大学とならぶ国家重点大学)の泰喗教授は、現在の農民工(農村からの出稼ぎ労働者)の置かれた状況は、民主化前の南アの黒人労働者の姿と環境が実によく似ており、「中国では南アより約70年遅れて流動化が始まり、ともに都市部で働くことはできても家は建てられなかった。身分証明書として南アでは通行証、中国では臨時居住証が必要で、手続きしないと拘束された。手続費用は無料の南アに対し、中国では高いときは1カ月分の収入が消えた。1984年に南アでは16万人が捕まったが、広東省だけで2000年にその3.5倍が捕まった」という。
2010年3月1日。経済観察報(北京)、南方都市報(広東省)、重慶時報など都市型新聞13紙が、戸籍制度の廃止を求める共同社説を掲載した。戸籍問題という敏感なテーマを、前例のない共同社説の形で訴えるという大冒険をしたのだが、案の定当局の怒りを買い、リーダー格の経済観察報の編集責任者は更迭、共同執筆者も処分されたそうだ。
北京理工大学の胡星斗教授は、現代中国が抱えるさまざまな矛盾を「中国問題学」と名づけて包括研究し、共産党や関係部門に積極的に提言しているが、戸籍問題はとくに力を入れているテーマ。「中国は事実上の準分裂国家。北京人の優越感、上海人の排外主義の一方で、貧しい河南人や安徽人は差別の対象になる。戸籍は準国籍のようなもので、戸籍簿や身分証、臨時居住証はいわばパスポートに相当。戸籍所在地以外で3日以上滞在するときは、臨時居住証の手続きをさせられ、持っていないことが分かると強制的に農村に戻され、死んでいった」という。戸籍制度は虐待(搾取)制度なのだ。
                                                        GG


格差社会(2)

2013年07月01日 | 物語・作品

                    
                                            チェリーセージ
阿古智子『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』の中から、教育の話題をひとつ。
中国はお役人天国の国。もともと科挙制度(エリート官僚登用試験制度)があった国だから日本の比ではない。お役人になるため誰もが一流大学を目指す。中国の大学入試制度の特徴は、地区別におおよその合格者数を決め、それに応じて地区ごとに合格基準を設定する。大抵の場合、大都市に戸籍を持つ受験者が優遇され、農村戸籍者は不利な立場に置かれる。農村戸籍者でも都市の大学を受験できないことはないが、農村戸籍者に対する合格点数は、都市戸籍者のそれよりも高く設定されている、という。
また、一流大学へ進もうと思えば一流大学への進学率が高い高校に志望者が殺到するのは中国も日本も同じだが、中国には「択校」という制度がある。入学試験の成績が悪くてもおカネを払えば、正々堂々と入学できる(裏口入学とは違う!)。つまり試験の点数をおカネでかさ上げできる制度があるのだ。もちろんこういう制度に批判する声は高いが、お金持ちの発言力・影響力が強いから、不平不満であっても択校制度はなくならない。
ちなみに、中国最北東部の黒龍江省(省都はハルピン)が省内2050家族を対象に行った調査(2004年)によると、択校費は省重点校で約2万元(約28万円)、市重点校で約1.5万元(約21万円)、普通高校で約1万元(約14万円)。平均教育支出は年収の40%を占めていたそうだ。
これは親だけでなく子どもにとってもすごくプレッシャーになる。2005年7月に寧夏回族自治区銀川市で、13歳の少女が択校費の支払いを気にして自宅で服毒自殺した。遺書には「期待に添えなくてごめんなさい。私は落ちこぼれです。私を13年間育てるのにとても多くのお金を使ったでしょう。私が死ねば10万元は節約することが出来ます」と書いてあったそうだ。
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格差社会(1)

2013年06月28日 | 物語・作品

                 
                                                             ザクロ
『文藝春秋』6月号の「中国 知られざる異形の帝国」という特集の中で、阿古智子東大准教授が中国は「階級社会」でありその根源は「戸籍制度」にあると書いている。
戸籍には都市戸籍と農村戸籍があり、所属する戸籍によって社会保障・土地所有・納税・教育・医療などあらゆる分野で差別が存在する。都市戸籍者が優遇されている一方、農村戸籍から都市戸籍への編入する道は閉ざされている。2本立て戸籍制度を1本化すればいいはずだが、都市の発展は農村の犠牲によって成り立っているのが実情で、既得権を温存したい都市戸籍者にとっては戸籍制度の1本化は邪悪そのもの。そんなことを強行すれば中国社会に大混乱が起こりかねないらしい。
                     
阿古氏の『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』(新潮社。2009年)という本を読んでみた。
中国に実際に住んでフィールド・スタディしているので机上の空論ではなく、格差社会の具体例がこれでもかというほど書いてあり、それはそれはひどいもの。
中国人の考え方は日本人の想像を絶する。中央政府がやっきになって農村の近代化を推し進めているが、地方役人は自分の懐を豊かにすることしか考えていないように見える。公共事業でのピンハネや汚職は一向に改善せず、割を食うのは庶民(とくに農村民)という構造はそう簡単に変わるとは思えない。中国人の根本は(利己的)個人主義で、みんなで痛みや富を分かとうといった共同社会的な思考がさっぱり見えない。
民衆の反乱を恐れる共産党政権は民衆の不満の矛先を海外に向けさせようと日本を悪者に仕立てあげているから、一歩間違えば日中間で何が起こるかわからない。日本人は平和ボケしているが大丈夫かなあと思ってしまう。
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