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家族団欒ブログ

家族団欒の広場です

マスク

2020年07月10日 | その他
コロナウイルス汚染の影響で人々はマスクをつけて外出します。ところがアメリカでは、前方からマスクをつけた人が近づいてくると、危険を感じて腰に手がいってしまう。アメリカでは相手が誰であってもハイとかハローと挨拶する習慣があるのは危険を防ぎたいからです。
ジジは米国テキサス州で米人のクルマに便乗させてもらったとき、ダッシュボード上にピストルが置いてあったので逃げ出したくなりました。
 
   インターネット画像を借用
誰もが見えるところにピストルを置くことは(テキサス州では)合法のようでした。それに、現在でもピストルや銃が簡単に買えます。銃砲店組合の政治献金で政治家を買収しているからです。いずれも西部劇時代の名残です。
トランプ大統領だって頭がカッカしたら手が腰に走りかねません。ただし、ピストルや銃を隠し持ってているのは違法。必ず銃をもっていることを明白にすることが、法律が要求しています。ジジ

伊良湖岬

2020年06月11日 | その他
先日の夕飯時、最後にお茶漬けが食べたくなり、お茶漬け海苔に愛知県渥美半島の「あおさのり」と書いてあった。昔日のことながら、親戚の人が伊良湖岬に近い「伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部」に誘ってくれました。
渥美半島といえは戸田氏の支配地。田原戸田藩は徳川家に属し、竹千代(徳川家康)を人質として今川家に届けるとき、意表をつき寝返って、竹千代を織田信長に届けた。東三河は総じて今川氏に従属していたのですが、織田信長にしてみれば思わぬ人質に大喜び。
渥美半島は太平洋に面しているから内陸に比して温暖で、花の産地でもある。有名なのは電照菊。冬の寒いときには温室を電気を照射するのですが、電照菊では全国生産の大半を占めているそうです。
そんなことよりも若い時にゴルフをプロに指導してもらっておけば今でもゴルフが出来たのに残念。我流ゴルフではどうしようもなく、早々とギブアップしました。

クモの糸

2020年06月01日 | その他

「一寸の虫にも五分の魂」。一寸の虫とはハチ(蜂)のことかな。ハチには五分の魂があり、針という武器で一矢を放つ。ハチだけではない。野獣も昆虫も植物も自衛手段を備えていて、毒や針をもっています。

最近の米・中の動きを見ている危うい。トランプ大統領はビジネスマン出身で、政治的判断ではなく目先の利益優先主義か。選挙も間近だから大衆受けすることに躍起。武器を背景に口角泡を飛ばすならまだいいが、戦争にならないかと心配。虫が好かん、虫酢が走るのです。

夏から秋にかけて、クモ(蜘蛛)が糸を張ります。クモの縦糸にはネバネバがないが、横糸のネバネバで虫を身動き出来ないようにする。どうして縦糸と横糸を使い分けるのか、体内に調節組織があるのか知らないが、クモは高級生物と言えないか。 

仏教に「蜘蛛の糸」という教えがあります。お釈迦様が地獄に糸をたらして餓鬼を救済しようとしても、かつてクモを助けたことがある悪漢が糸に飛びついて、追随者を蹴散らした。わが物顔は地獄でも現生でも同じになってきたか。


平凡な皿

2020年05月27日 | その他

これは普段使っている皿です。午後のひととき、にお八つが載って出てくることもあります。ほう、なかなかいいお皿だ、と思って皿の裏をみると「ひだの窯 三峰」とあります。

「ひだ」とあるから「飛騨」かな思っていたが、「肥田」のことでした。戦国時代の美濃国に「肥田」という地名があったらしいのです。

美濃国というと明智光秀の領地でもありました。いまNHKテレビの大河ドラマで「麒麟がくる」を放映していますが、明智光秀はテレビで見るかぎり、悪い奴とは思えません。むしろ、織田信長の方が悪の権化的存在ではでなかったか。明智光秀を虐待しまくりました。
 
信長の横暴を無視出来なくなった明智光秀(上掲画像)は、信長を消した方が世の中のためと、軍を率いて京都本能寺を急襲しました。たぶん油断して酒でも飲んでいたのか、信長は炎の中で消滅しました。

もう一度、手元の皿を見ると、簡素で平凡ではあるが味のあるデザインです。明智光秀はこのような人物だつたのかなあ、と思ったのでした。


葬式仏教

2020年05月25日 | その他

日本の仏教にはたくさんの宗派があります。天台宗(比叡山・最澄)や真言宗(高野山・空海)、新しいところでは日蓮宗(久遠寺・日蓮)や創価学会(新宿信濃町本部)などです。

徳川家康には大きな事務体制がなかったため実務を他者に丸投げしました。葬儀を全国のお寺にやらせたのです
。しかし、徳川家には報酬を払う余裕がないから、お寺が檀家より葬式料を徴収することを認めました。それが「坊主まる儲け」の原因です。

お釈迦さまの遺体は火葬して灰と化し、灰は川に流されお墓はありません。だからお釈迦さまは仏教がビジネス化し、儲け主義になったことを憤慨しておられることでしょうね。


拈華微笑

2020年05月23日 | その他

「拈華微笑」(ねんげみしょう)という仏教の教えがあります。お釈迦様は弟子たちを前にして、手にした花をちょっとひねって(拈華)、仏教の奥義をつたえようとしました。

その場に同席していた10人の直弟子の中で、一人だけにこっと(微笑)した弟子がいました。お釈迦様が何を言わんとしているかピンときたのです。
仏教のことではありませんが、日常会話の中で相手に何を伝えたいか曖昧なことがあります。とくに主語(誰が・・・)が欠落している場合、混乱します。

「あれやった?」「もちろん」。当事者間はこれで通じるが、関連者には分からないことがあります。

スマホでLINEするとき、LINEは操作がめんどうだし、長文は避けたいし、ということで言葉をはしょるのは仕方がないのですが、内容をできるだけ丁寧に書くことが大切です。とくに気になるのは主語(あなたが、彼が、XX君が)が欠落すると混乱を起こしかねません。


六色の虹

2020年05月21日 | その他

今日はレインボーフラッグ(虹色の旗)の話しをします。カラフルな「レインボーフラッグ」は同性愛者のシンボル旗であり、アメリカの最高裁公認の旗です。

レインボーフラッグの誕生地はサンフランシスコ。星条旗を参考にして6色の横縞の旗ができたそうで、6っ色は生命、癒し、太陽、自然、平和、精神を象徴しているそうです。
ユーモラスな話があります。あるパーティで紳士淑女が意気投合しました。話が弾んで淑女が「おたくのお子さん活発ね。さすがボーイだわ」「いや、ガールです」「あんな活発な子を産んだ貴方の奥さんは立派」「いや、私が奥さん」・・・。

何事も外見で判断したら誤ります。ズボンだから男、スカートだから女と決めては恥をかくのです。スコットランドでは男がスカートをはいてマグパイプを吹いています。近年は、男も女も中性化し、そのうち日本のサラリーマンもスカート姿で出勤するようになるのでしょうか。
                                      ジジ


慈覚大師

2020年05月19日 | その他

円仁という大僧正がいました。奈良時代末期から平安時代初期にかけて、比叡山延暦寺の第3代天台座主を務められた高僧です。尊称は慈覚大師。

先日このブログに書いた「承久の乱」の関連で、後鳥羽上皇とはどんな人物か調べているとき、円仁という延暦寺座主が浮かび上がってきました。
さらに調べると、ジジがサラリーマン生活を卒業後、ジジババが新幹線岡山駅からバスにゆられて日本海方面に向かう真ん中あたりに湯郷という温泉郷があり一泊したのですが、山に囲まれた寒村で円仁座主を知ったのです。

円仁座主といえば遣唐使にまで参加した超々高僧。天台座主がそんな山里に引っ込んだのか不思議というか奇々怪々。
湯郷温泉ではゲンジホタルの乱舞を見ることができました。懐かしい思い出話でした。
                             ジジ


家紋の話

2020年05月07日 | その他
きょうは家紋の話をしよう。戦国時代は陣営に幟(のぼり)を立てた。われこそは徳川家康の本陣だという訳。徳川家の家紋は葵紋、島津家は丸十字紋、毛利家は一文字三星紋、武田家は武田菱。
    
平安~鎌倉時代にも家紋はあったが、家紋は高貴な貴族だけで家来には家紋を使わなかった。
時代が下って江戸時代、「大家」と言い方がありました。「大家」と言えば聞えがいいが、長屋の角に住んで店子を管理するお雇い人で、身分は下級公務員。店子が奉行所から呼び出しがあると一緒に同行し、その時は紋付羽織を着たそうです。

しかし、先祖伝来の家紋がないときはどうするか。ありきたりの家紋にしたのだろうか。ジジはわが家の家紋は知らないから、上掲のような〇△の組み合わせが実にシンプルで分かり易い、と思うのですがどうでしょうか。
                           ジジ

マイホーム

2020年05月03日 | その他
ジジが住む町は50年ほど前に出来た戸建て住宅の町です。ただし、息子や娘は通勤に便利なところにいてここには住んでいないから、今や高齢者の町と化しました。
その結果、空き家が増え住宅業者が買いあさって一軒の敷地を半分に割って2軒を建てるから、必然的に庭は狭くなります

庭は人工芝が多く、一見してきれいですが太陽熱の照り返しが強いから暑いはず。雇用形態が派遣社員やアルバイト者にとっては庭は狭くても天然芝でなくても仕方ない、となります。
経済のグローバル化で日本だけが終身雇用を続ける訳にはいかない。終身雇用を堅持したら日本は沈没してしまうのです。いつ何時ナンマンダになるかも分らなく、世知辛い世の中になりました。
                            ジジ

将棋

2020年04月22日 | その他

季節がよくなりました。隣町の大きな公園に行くと、老人が公園のベンチで向かい合い、将棋をやっています。
 
将棋で思い出すのは、名古屋不老町の大学のこと。ジジが通った頃は新設で砂漠みたいな所でしたが、後年その大学付属中学校出来て、そこへ入学したのが将棋に藤井聰太七段。時代がちがうからキャンパスで顔を合わせる機会はなかったが、大学キャンパスを宣伝する効果はあったはずです。

将棋は日本固有の文化と思っていたが、発祥は古代エジプトとも古代インドという説があります。日本伝来の時期は6世紀頃らしい。

中国の将棋を調べてみたら、日本将棋と異質のようです。もちろん古代中国の話ながら、コマ(駒)の文字が違う。最前線の「歩」は「卒」。「歩」は一兵卒だから分かるが、「飛」や「角」は「虫+色」と書いてあるが「エッチ」を意味するらしい。高飛車に飛んで行って抱き着くから分からないでもない。もしかしたら「虫+包」という字かも知れないが、蜘蛛かカマキリのことらしい。
また孫と将棋をやってみるか。そのうちにこちらが「一局頼む」と頭を下げることになるのかなあ。
                                       ジジ


マルさんブログ

2019年12月29日 | その他

ジジはこのところ「マルさんブログ」にしきりに投稿していますが、その訳を説明します。

 
  ①ジジは経理マンだったから、若い時から計算機を使い、それがワープロに代わり、さらにパソコンに進化しましたが、パソコン利用にはまったく違和感がありません。
  ②暇にまかせて本を読むと勉強になります。歴史や時事、小説やエッセイ、俳句や詩歌もあり、面白いと思ったら他人にも伝えたくなります。
  ③子供たち3人は巣立ち家庭をもって孫もいます。子どもたち孫たちにお同じことを伝えようとすると、ブログが一番便利です。
  ④2005年にスタートした、大学時代の仲間の共有ブログが老齢化の影響で、物故者もいれば病院で隠頓生活者もいます。だから、ブログを廃止しました。
  ⑤パソコンは両手10本の指を使います。その上ブログを書こうとすると、どんな内容にしようかと調べ、その表現を工夫するから、頭の体操になりボケ防止になります。

というような訳でジジは最近、ブログを「マルさんブログ」に絞りました。ただし、来年から毎日ではなく、ペースを落とすつもりです。
                              ジジ


キュウリ(胡瓜)

2018年08月20日 | その他

急に涼しくなってきましたが、猛暑が続いたときは食欲が減退しました。
そんなときは、くーたんが冷やし中華とか冷麺(レイメン)をつくってくれましたが、冷麺には焼豚・リンゴ・ナシ・キウリ・トマトなどのトッピングがにぎやかでした。
また、娘の息子たっくんは時折わが家をを訪ねてきますが、わが家に到着するなり「キュウリが食べたい!」と叫びます。冷蔵庫からキウリを取り出して味噌を絡め、まるでアイスキャンデーをかじるように食べるのです。
   
キュウリの歴史はじつに古く、紀元前4000年のメソポタミアで盛んに栽培され、紀元1世紀頃のローマ皇帝ティベリウスはキュウリが大好物だったそうです。
パソコンで「キュウリ」と入力すると、「胡瓜」が出力します。「胡」とは、中原の漢民族以外の異民族(野蛮人)を指す漢語です。
紀元前2世紀の漢の時代のこと。中原に張騫(ちょうけん)という世界最古の冒険家がいました。漢の武帝が「張騫よ、西域の様子を偵察してこい」と命じられた張騫は西国に出かけ、長安に戻ってきたのは13年後のことでした。張騫がそのとき中国にもたらしたのが西域原産の「胡瓜」でした。
張騫はおそらくタクラマカン砂漠経由で帰ってきたのでしょうが、キュウリはその95%が水分。砂漠地帯を横切る旅人にとっては、キュウリは欠かせない補給水だったようです。
                                        ジジ


マイカー

2018年06月05日 | その他

ジジがクルマの運転を始めたのは、いまから50年以上も前。アメリカ勤務を命じられて、駐在先のテキサスで運転免許を取得し、通勤もマイカーだったし、買い物やゴルフに出かけるのもマイカーでした。
   
                                 ダラス時代                   シカゴ時代
あの広いアメリカ国土をマイカーやレンタカーで旅をしたものですが、最近はクルマを運転するのが煩わしくなってきて、もっぱらテクシー(歩き)になってきました。

  
現在乗っているマイカーはニッサン「Note」。走行距離は6千キロほどで外観も内装も新車同様。つい最近、この車にとって初めての車検をしたばかりですが、くーたんがクルマを運転しないから、わが子の誰かが引き取ってくれれば、それが一番いいのかなと思っています。
                                               ジジ


職人気質

2018年05月24日 | その他

職人を大切にする点では、日本は世界中でも稀な国ですね。
オリンピックの砲丸投げに使う砲丸は、埼玉県の町工場が提供してきました。一見して同じように見える砲丸でも重心が一定して狂いがなく、オリンピック委員会の事前審査はフリーパスですし、米大リーグ(MLB)の多くのプレーヤーはミズノのバットやグローブを使っています。
つまり、日本メーカーの製品は精度と信頼度が格別だということです。
    
                 辻谷工業(埼玉県)の社長 
アジアの儒教文化圏では古くから身分階級が厳然として支配している国々があります。
それらの国では職人を蔑む(バカにする)歴史がありますが、日本は職人を大切にする風土があります。飛鳥時代や奈良時代にアジア大陸から多くの難民が日本列島に流てきたし、戦国時代には秀吉の朝鮮征伐で多くの職人が日本に連行されてきましたが、渡来した職人は生き生きとして立派な仕事を成し遂げました。
日本人か渡来人かは別として、仏像の運慶や快慶、太刀の国光や正宗、刃物の孫六や實光、西陣染めの職人などの作品は、巨費を叩いて引き取られました。
日本は仏教、儒教を早くから取り入れましたが、どちらも日本風に変わりました。仏教でいえば浄土信仰が生まれましたし、学問として取り入れた儒教では科挙や宦官は日本に馴染みませんでした。四民平等という日本古来の風土に合わなかったからでしょう。
   
                             大田区大森(職人技の町)
江戸時代に導入された朱子学では、その前提に「士農工商」という階級がありましたが、中国でいう「士」は科挙(日本のエリ-ト国家公務員試験みたいなもの)合格者であるのに対し、日本でいう「士」は侍(鎌倉武士・室町武士)のことでした。しかし、天下泰平の江戸時代になると武士は仕事も禄(給与)もなくなり、食っていくために百姓仕事もしたし、長屋住まいで番傘張りもしました。日本には大昔から職人を大切にする風土があったからこそ、出来たことでしょう。
                                         ジジ