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明鏡   

鏡のごとく

古民家再生

2020-02-29 21:49:12 | 茅葺
杉皮葺の古民家の再生に取り組んでいる。

大工の佐藤さんや兄弟子の上村さんや森松さん、倅とともに、今、基礎工事を行っている。

ちょっとした、「結」の団結を感じながら、力を貸してくださる方々に感謝している。

根太などにシロアリ予防の塗料を塗ったり、土間を再生するべく、リフォームされたところをはがしたり、掘りごたつのあったところを壊したりして、その後に、囲炉裏を作る予定である。

自分の自宅兼仕事場として暮らしていきたい。

自分で再生していく過程を肌で感じられるのは、嬉しいことである。
自分の人生を作っていくようで、人生の本当の楽しみを味わっている。
何をするのも、楽しいことは、稀有なことである。

里山は豊かである。
何でも揃っている。
昔住んでいた方々が残してくだっさったものの豊かさに感謝しかない。

先日、蓋がされていた場所に井戸があることに気づいた。
譲って頂いた時には、気づいていなかった小さな井戸ではあったので、喜びもひとしおであった。
これで、水道が通じなくても、生きていけるというものだ。

茶を蒸す竃のようなところで、廃材を燃やしていると、家が息を吹き返したような。
水と火が一度にやってきたようで、ここで生きていく準備が整ってきた、徴のようで、ありがたかった。

木炭や竹すみも、ワサビなどを作っておられる佐藤学さんや、久留米から移住されてきた中島さんが日田の炭焼きの火を絶やさないよう取り組んでおられる貴重なものを譲っていただいたものを使い、湿気を防ぎながら、空気やその場の浄化作用を促せるように、家の床下に細かくしたものを敷いていく予定である。

杉皮葺や茅葺の家そのものの保存はもちろん、茅葺の日本だけでなく世界中の資料を保存する場として、資料館的な役割を担うとともに、杉皮葺で使う杉皮を切ったり、茅に直接触れたり、竹墨なども作ったり、お茶摘みが出来たり、といった体験ができるような、あるいは、歌を歌いたい人は歌ったり、文学系のイベントなどができるような、里山を愛でながら楽しむ場としていきたい。

できることならば、どなたでも、興味のある方が、訪れることができるような、開かれた場にしたいのだ。

雪の茅刈り

2020-02-07 16:09:08 | 茅葺
雪が降り出した。
茅を刈っていた。
昨日刈った茅の上に雪が降り積もり出した。
早く軽トラックに積み込もう。
茅が雪でしとしとならないうちに。
倅も加勢してくれた。
コンパネを両サイドに立てて
軽トラックの運転席の後ろにもとを向けて投げる
ごっふっ。
ごっふっ。と50回ほどは音をさせ。
同じ茅場でも太さも長さも違う茅を積んで。
ロープで締めて。
古民家へ連れて帰ろう。
これからわれらとともに生きていくのだ。
茅場から我が家の屋根の上で、
われらとともに生きなおしていくのだ。
茅場では立って屋根の上では寝転んで。
雪に吹かれて、雨に濡れ、風に乾き、太陽に照らされ。

井筒俊彦と東洋西洋哲学の融合

2020-01-01 11:08:25 | 茅葺
井筒俊彦のドキュメンタリーを拝見した。

イランで井筒俊彦のドキュメンタリー映画が制作されたということを知った。


井筒さんがイランで研究されていたのは存じ上げていた。

井筒哲学の根底にあるものは「無」であるということ、東洋哲学と西洋哲学の融合的なものを考えていらしたということは、なんとはなしに存じ上げていた。

我々家族が父の仕事の関係でイランに滞在していた時期も、井筒先生のいらっしゃった時期と被っていたのはなんとはなしに知っていたが、その時期、先生がイラン滞在中に世界中から学者が集まり議論するエラノス会議にも参加されていて、そのエラノス会議を主催していたのがユングだったのは知らなかった。

ちょうど、年末から、なんとはなしに、ユングの「道」の本、『黄金の華の秘密』を読んでいた途中だったので、共時性を感じずにはおれなかった。

イランの方々は日本人以上に井筒俊彦を愛しておられるようで、不必要な諍いを煽るものがいる一方で、真摯に取り組まれ続けた心を思った。

根っこの部分で繋がっているものをひたすらに希求する心を破られようが心をなくせと言われようが、自分の中にある心を超えた、何ものかにたどり着こうとしたものの中にある一体感のようなものが、我々が求めているものであるような、それこそが「道(タオ)」であるような、空洞の、無の空間でありながら、あらゆるものが去来するものこそ、この世の姿であるような。


ペシャワール会・石風社・福元さん・哲さん・石牟礼さん・甲斐さん

2019-12-18 22:28:24 | 茅葺
ペシャワール会の事務局もされている石風社の福元さんを倅と一緒に訪ねた。


10年ほど前に詩や小説を持って伺った後に、伊藤さんが亡くなり、ずいぶん、ご無沙汰していたので気になっていたのだが、今度の中村哲さんのこともあって、やっと決心がついて伺った。


髪が白くなっても、以前と変わらない、優しい福元さんであった。


私に福元さんの本をくださり、漫画を描いている倅には漫画の本をくださった。


哲さんのお別れ会のようなものを来年、西南大学のチャペルでするのでおいでと言ってくださった。

哲さんに会いに行きたいと思う。

それから、10年越しの私の本の出版の話をした。

詩は手直しはしない約束だったが、小説の方は、戦争の話だったこともあり、唐突に書かれたもののような、そぐわないようなというふうな話をされたのを思い出した。

あれから今まで、書き続けてきて、住む環境も激変し、書くことも、少しずつ変化していき、今なら何を書き残したいのかを自分に問いかけるように、本を作ろうと思った。


今、石牟礼道子さんの集大成の本を作っていると、福元さんはおっしゃっていた。


それが終わると、取りかかれるということだったので、自分としては、何とも、ありがたいことであった。

私の本の表紙をペシャワール会のカレンダーの絵を描いていらっしゃる甲斐大策さんに描いていただきたいと思っていたら、甲斐さんが今年の一月に亡くなっていたということをお聞きし、愕然とした。


また、甲斐さんにお会いして、甲斐さんのお母様に単位でいるので大学時代で始めたピアノの話や甲斐さんの絵の話などもしたかったのであるが、もう、あの射抜かれるような眼差しを直接感じることはできないのだ。

イスラム教徒だったけど仏教でお葬式したと福元さんは、いった。

哲さんはキリスト教徒だったけど、イスラームの国で、イスラームと共に暮らしていた。

宗教も、人も、心情も、無意識も、意識も、その人の心の中で生かさていればいいのだと思った。

私の中では、今も人としての、哲さんも、石牟礼さんも、甲斐さんも、生きているままである。