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明鏡   

鏡のごとく

ほりわり仲間

2020-10-03 01:30:34 | 詩小説
柳川文芸誌「ほりわり」35号ができた。
合評はまだであるが、例会に文芸誌ではなく、柳川のほりわりそのものを整備したという田中吉政の末裔の方や水濠柳川の水をテーマにした会をされている方々がいらしていた。

田中吉政は、穴太衆とともに、城の建築や河川工事など、土木工事はもちろん、都市デザインを手がける天才であった。

ぺシャワール会の中村哲さんも独学して、山田堰や柳川を研究されていたが、その大元を作った人とも言えるのである。

今、水害が激しくなる一方であるのは否めない事実であるが、コンクリだけでは生命も水も行き場を失ってしまうということに、気づき始め、川の流れをよく見極め、自然を生かした堰を作っていた当時の方々の知恵を学ぶのは、大切なことであると思われる。

川下りの大東の工藤先生によると、曲がりくねった川のかくんと曲がったところに大きな石があったのだが、それはわざと置いてあるもので、それで、強い流れを受け止めていたのだが、現代の人々が邪魔に思ったのかどかしてしまい、そこから決壊がたびたび起こるようになったのいだということ。

自然を生かして、生活も守るということが、大切であるのは言うまでもないが、自然のものに、寄り添うように作っていくやり方は、茅葺屋根とも近しいものを感じていた。

なんでも固めてしまうことがいいとは限らないということ。

自然と共に暮らす、共生するということの、自然な形を教えていただきありがたかったが、それを生かしていくことができるように、なりたい。



杉岡製材所さんの「斎」

2020-09-21 00:24:29 | 詩小説
杉岡製材所さんの「斎」の杉皮葺の屋根を作る。
上村さんと独立したことで見えてきたこと。
自分たちのできることを、したいことを、思う存分できるということ。

安藤先生の設計で、杉岡さんの想う「方丈庵」の究極の世界、宇宙を、今この時に再現することが、道楽である前に、粋であるということ。

研ぎ澄まされた技の織り成す空間となりうるように、変幻自在に、その場の思いつきがすぐさま形になっていく過程を共有できる喜びは格別であり、そこに居られることによって、その姿勢を自分たちが学べる幸いに満たされていた。

製材所の方々が丁寧に剝いだ杉皮を、五十八センチ、五十五センチ、五十センチ、四十センチ、それ以下の長さで、細かく鉈で切り、それを重ねつつ、桟とそれを覆う半割りの竹で抑えて銅線で固定しシュロ縄で男結びをしていくことを、片面において8回繰り返した。

そうして、棟作りにおいて、大工の池上さんとの共同作業によって、今まで手がけた棟で最高のものができたと思われた。

通りを何度も確認しながら、杉皮の上に黒く焼いた板を敷き、その上に棟竹が収まった時を、皆の想いと技が一つの美しい形になった瞬間を、共有できた喜びは何物にも変えられないと思われた。

これほど、茅葺、杉皮葺をして、嬉しい時はなかったのだ。

皆が自分の持っているものをすべて注ぎ込むことで満たされた瞬間。

皆が満たされた瞬間であった。

雨の流れが、桟と割竹が思いの外遮っていたので、暗渠のように、穴をところどころ開けて、その流れをある程度確保できるようになったことも、勉強にもなった。

何年後かに、屋根の補修をする場合、桟にあらかじめ水の流れの確保と杉皮の抑えのバランスをとる為に、どのような形にするか考えることもまた勉強になり、屋根にとっての最善を探っていきたい。


斎の正面に備え付けられた階段も、木の凄みを一段一段積み上げていた。

あとは、池上さんたちの大工衆の技の積み上げられた建築の粋を見られる完成の日を待ちわびている。


油抜き女天国

2020-09-19 08:42:38 | 詩小説
竹の油抜きをした。

囲炉裏の火を絶やさずに。

自分の背の高さの倍ほどの竹を炙りながら、少しづつずらしながら、布で油と煤を拭き取りながら、焦げないように、強くなるように。

色鮮やかな若々しい青い竹から、脂分と水分が抜けるごとに淡い薄みどり色に乾きながら表皮が密になっていく。

虫がみずみずしく柔らかい若竹を好むのならば、この油抜きをした竹は、我らの目にとてつもなく好ましくなっていく。

東屋のような茶室の六角形の杉皮葺の屋根の上に長い間、収まるように、手間暇をかけて。

最近は竹や棟木などに注入剤を工場で施したものを、屋根の上の雨風、天道さんの熱い日差しにも耐えられるように使うことが多いのだが。

今回、我々はあえて、自宅にある囲炉裏で手間暇をかけて、一つ一つに宿る魂のようなものを磨きあげるように、赤子の腕や足をなで摩るように、磨き上げていった。

人の手を必要とする一つの試み。

どう変化していくのかを見守りつつ、昔の人がやっていたであろう手間暇を惜しまずやっていく覚悟のようなものをも、生活の中にある囲炉裏で毎日、我が身と我が作り上げるあらゆるものに、注ぎ込んでいけるように。

魂のようなものは手の先から育まれるのだというような、美しい色艶をいつまでも触っていたいような、なめらかなつやつやとした竹肌を愛でる。

時間と火がつくりだす美しいてかりは我々の希望の光。

「トリエステの坂道」

2020-09-13 02:51:36 | 詩小説
「トリエステの坂道」を読み返している。

竹屋さんの奥さんとお話ししているうちに、エッセイがお好きとお聞きし、なんとはなく、須賀敦子の面影をお話しの節々に感じていた私は、もしかして須賀敦子がお好きですかとお聞きしたら、最後まで手元に取っておいたのが彼女の読みものだと言いながら、単行本を貸してくださった。

久しぶりに読み返す須賀敦子の、孤独な、どこか読み物の中を漂うためだけに辿った坂道のような、自分の悲しみではないが、少し距離を置いた失ったものへの悲しみのようなものを、初めて読んだ時に、私は感じていたのだろうか。

あまり覚えていなかった。失われた旅の記憶のような。その場に立つとやっと思い出すような、思い出のような。

今の方がより、彼女の想いに近くなったような、異国の坂道を、サバの詩を思いながら、そこはかとなく、たださまよった年に、近くなっているような。

書かれたものの中にある、彼女の淡々とした眼差しに、正直、戸惑っている。

距離感。

親族でありながら、親族ではないような。
親しいようで、とてつもなく遠いような。

ただ言葉と歩く坂道。

ロケットストーブと囲炉裏と茅葺と

2020-06-30 16:19:39 | 詩小説
古民家でロケットストーブを手作りしている、茅葺職人のこうちゃんの友人の、矢野くん一家に伺ってロケットストーブの作り方を教えてもらう。

温まる場所に石を使うと岩盤浴のようになるという。
夏使わないときはひんやりとして、それはそれで気持ちがいいという。

構造的に、レンガかブロックを積んでその上から耐熱セメントなどで塗り固めて下から温めるか、費用的に助かるのもあるが筒やそれを覆うものをせずにストーブそのままで空間を温めるか。
どちらも視野に入れながら、お話を聞いた。

それから、みんなで近くの手打ちそばのおいしいお店に行き、これからの循環型のいき方などをぼつぼつと話したりした。
偶然、店のご主人が、ミツバチをかわれていて、来年、我が家の杉の木を茅葺の親方でもあり師匠のあっ君(森林組合でも木を切っていた木のプロでもある)に切ってもらうつもりだったので、丸太をくりぬいたものが蜂の巣になるということで、こうちゃんが分けていただけるということで我々も便乗させてもらえるようになり、ちょうどいい時に、いい出会いがあるということをかみしめていた。


先日、我が家に来てもらったあっ君の友達のキャンパーのマー君と、私の育った宗像で輸入雑貨のお店をされているかなちゃんと竹細工をされていて今回我が家の囲炉裏のために自在鉤を手作りしてくださった染谷さんも同じく、面白い方々で、一緒に囲炉裏で炭火で焼き鳥をしたりかなちゃんもイビザ祭り?の時に出店したという美味しいイビザのソーセージをいただいたり誕生日の左官屋で茅葺職人のけんちゃんのためのケーキを食べたりしながら、ゆっくりとした時間を過ごせた。

そもそも、前からお聞きしたかった染谷さんの手作りのバイオトイレの講習がてら集まったのもあるが、色々、試行錯誤をした染谷さんが、おがくずと米ぬかを使ったものを考案されており、これを混ぜるのをどのタイプにするかが肝であるということを話されており、何を使うか、検討中ではあるが、これから、また循環型生活の中に取り入れていくつもりである。

その後、夜明け温泉に入りに行って、さらにのんびりといい時間を過ごした。

みなさんのおかげで、世界が広がっていくようで、繋がれる喜びをかみしめている。
ここにいる人は皆、循環型の生活を送りたいと思っておられる方々ばかりで、そのままで豊かに皆で暮らせるように、これからも、仲良く、つながっていきたいと強く思った。

今度は、京子の友人の鍼灸師のきよみたんともお会いできることを楽しみにしている。
彼女は家の手入れをされている最中で、宮大工の方も紹介してくださるということで、伝統的な技繋がりで茅葺職人としての私にとってもとても勉強に成るので、また、世界が広く深くなっていきそうである。

皆が幸せになるように、楽しんで生きていきていけたらいいと心から思う日々である。