論理療法について書かれた本を読みました。
この本に限らず、言われていることだと思いますが、人は、出来事(A)が起きたときの感情(C)は、その人の考え方、価値観(B)によって影響されている。
つまり、(A)→(C)というように、客観的に(A)に対して、ダイレクトに、感情(C)が生じているのではなく、必ずその人の主観(B)が影響し、(A)→(B)→(C)というように。
そこで、(B)の部分は自分で選択できるのだから、論理的に正しい考え方、価値観にしていきましょうというものです。
具体的には、「・・・ねばならない」です。生きていくうえで、「・・・ねばならない」ということはほとんどないはずです。
例えば「他人に認められなければならない」かというと、そんなことなくても生きていけます。そこで「他人に認められたほうがよい」という考え方に変えるのです。
前者と後者の違いは、他人に認められなかったとき、必要以上に落ち込む(場合によっては、うつ状態になる)のが前者、残念に思うけどまあ仕方ない(場合によっては、また頑張ろう)と思えるのが後者です。
俺は、この論理療法の考え方を取り入れて、まだ期間は短いですが、気持ちがだいぶ楽になった気がします。
このような心理療法は、いろいろあるようなので、自分にあったものが見つかると良いですね。
この本に限らず、言われていることだと思いますが、人は、出来事(A)が起きたときの感情(C)は、その人の考え方、価値観(B)によって影響されている。
つまり、(A)→(C)というように、客観的に(A)に対して、ダイレクトに、感情(C)が生じているのではなく、必ずその人の主観(B)が影響し、(A)→(B)→(C)というように。
そこで、(B)の部分は自分で選択できるのだから、論理的に正しい考え方、価値観にしていきましょうというものです。
具体的には、「・・・ねばならない」です。生きていくうえで、「・・・ねばならない」ということはほとんどないはずです。
例えば「他人に認められなければならない」かというと、そんなことなくても生きていけます。そこで「他人に認められたほうがよい」という考え方に変えるのです。
前者と後者の違いは、他人に認められなかったとき、必要以上に落ち込む(場合によっては、うつ状態になる)のが前者、残念に思うけどまあ仕方ない(場合によっては、また頑張ろう)と思えるのが後者です。
俺は、この論理療法の考え方を取り入れて、まだ期間は短いですが、気持ちがだいぶ楽になった気がします。
このような心理療法は、いろいろあるようなので、自分にあったものが見つかると良いですね。