中学生の時、私を好きだと言ってくれた隣の席の男子は、寒い冬布団の中で亡くなった。高校生の時は同居していた祖父がボケて亡くなり、大学入学後、祖母を亡くした。
大学2年の秋、学生の交通事故死や病死が続いて、学長が声明を発表した程だった。しかも亡くなった内の2名が私達の学科で、遺体を迎えにきたお母さんが泣き崩れるのを間近に見た。
大学卒業して直ぐに、大学院に残っていた同じ研究室の子が交通事故死。その数年後、国家公務員として頑張っていた同級生が自殺した。
30代に入って中学時代の親友が長い長い闘病生活の末亡くなり、私は1週間泣き続けた。
その後私は転職。今日まで仕事柄多くの死に立ち会ってきた。夫の死にも。
私は宗教を持たないせいか、常日頃より"人間死んだら終わりよなぁ"と感じている。
私にとって死んでしまった身体、お骨に特別な思いはない。もちろん悲しいとは思う。けれど、命のない身体やお骨はただの抜け殻にしか見えないのだ。
かと言って魂が存在するとも思ってないが。
転んだり、間違えたり、しんどかったり、生き地獄のような日々だったり、ボロボロになって死んだ方がマシだと感じたとして。それでも"死んだら終わり、生きていてこそだ"と思ってしまうのはなぜだろう?
どうせいつか死ぬのに。
自分の身体なのに。
どうして自分を殺してはだめなのか?
そう問われても、未だに自殺がだめな理由を返せない。根拠が見つからない。
それでも、私は。
朝、目覚めて息をしていることは奇跡だと感じ、血の通った身体を輝いている!と思ってしまう。理屈でなく、生きていてこそじゃないのか、と。
そして、やっぱり。
死んだら終わりよなぁと思ってしまうのだ。死んだら何の感情もなくなる。姿かたちもなく、面白くも悲しくも辛くもない、ひたすら続く"無"。
誰にでも終わりがあって"無"を迎えるなら、今日は生きてていいんじゃない? 明日のことはまた明日考えよう。
明日もまたあなたに会えたらいいな。死んだら会えないもんね。
こんな言葉しか浮かばない。どーしようもないポンコツおばさん。