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震災2日目/忍耐

2011年04月21日 | 復旧・復興への取り組み
おはようございます。

昨日のブログの続きです。

翌朝(3月12日),屋上から気仙沼の市街地を見渡すと,昨日とは一変した光景が・・・



 

避難してきた方々に,「救援が来ますから,安心してください」と職員総出で声をかけ,励ましあうことに。



昨夜のうちに記入していただいた名簿を確認し,また,健康状態の確認に努め,様子のすぐれない方には比較的過ごしやすい所長室や副所長室へ移っていただきました。



水が引いて相当の時間が過ぎ,自力(徒歩)での避難を希望する方々がみられましたが,余震や津波の可能性が残る現時点での避難は危険と判断。

念のため,職員を出入口付近に配置して・・・



しかし,「体力のある間にさらに避難したい」という声が次第に多くなり,できる限り安全な避難を開始することに決定。

職員により歩行ルートの確認を行い,安全確保の目途がついたため,体力に自信のある方々を誘導しながら気仙沼小学校を目指すことに。

約80人の方々が徒歩による避難を開始。



 

夕方,待ちに待った自衛隊のヘリコプターが飛来。

自衛官によると,ここより過酷な箇所で孤立している方々がおり,まずそちらを救助しているとのこと。

「具合の悪い人がいれば,別のヘリコプターをよこすので少し待って欲しい」と言われました。

 



しばらくすると,別のヘリコプターが飛来。

具合の悪い方や身体が不自由な方,高齢の方を優先的に救助してもらうことができました。ありがとうございます。





しかし,合同庁舎4階からヘリコプターまでといっても,津波により足場がとても悪く,介助しながらの移動。

  
(合同庁舎1階の様子)

この日の救助は10人のみでした。

残された方々約100人と,震災後2回目の夜を迎えることに・・・

肝心の明かりは,懐中電灯とロウソクのみ。

精神的にかなり辛くなってきたものの,救援の手が差し伸べられつつあることに期待を寄せて夜を過ごしました。

 
(職員が待機していた部屋)

食堂で玉ねぎとカレールウを見つけ,ストーブで炊き出しを行ったものの,最後の方に行き渡るまで3時間を要しました,すみません。

蓄えのわずかな水と食料も底をついてきました・・・


続きは,明日お伝えします。 (Y.N)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
祈り (長谷川)
2011-04-21 18:08:35
お疲れ様です。
何も出来ませんが、一日も早い復興を祈ります。
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Unknown (Y.N)
2011-04-23 16:56:26

ご声援ありがとうございます。

再び,南三陸・気仙沼に足を運んでもらえるよう,一日も早いを復興を目指して頑張ります。

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