どたばたWMと野球少年たち

外資系勤務の母と大食い野球少年のドタバタな日々。城島選手が大~好き♪

新井さんと新庄さん

2011-08-12 19:06:12 | 阪神タイガース

ジョーとは全然違うタイプなんですが・・・違う意味ですごく心配で思い入れしてしまう選手、その名は新井さん

 
あ~あ、昨日もやっぱり新井さんが責められてる・・・

まあ どこのチームでも真っ先に責められるのは、監督・4番・キャッチャー と、決まっているが、特にタイガースの場合は厳しいよね

 

満塁の時の打率が.1割6分とか書かれてるし・・・・

 
ああ~ またしょんぼりしてるのかなあ~ がんばれ~新井さん

 

私が新井さんを好きなところ

 

手足がバラバラな感じのサードゴロのスローイング

 

打席でめっちゃ腰をひいて避けたのにストライクと言われる時の焦った顔

 

空振りをして、バットをぺちッとたたくところ

 

投手を心配そうに励ましにいく新井さん

 

たまに見せてくれる控えめなどや顔

 
とにかく一生懸命やっている姿がいい。 そのくせちょっとどんくさいところがカワイイ!
 
悲壮感が漂っているので、失敗してもとても新井さんを責める気になれない。
 
 
この間の京セラで、目の前で新井さんが9回のピンチ時のもんどりうってキャッチングしたサードゴロ、私にとって最高のプレーでした

今日こそは新井さんの一生懸命な努力が報われますように

 
新井さんみたいに必死さがダイレクトに現れなくても、昨日↓の記事を読んで、一流の人はやっぱりそれだけ影で努力をしているなあと感じたことが。
 
 
8/11 デイリーより  新庄氏、父の棺に“相棒”グラブ  

阪神、日本ハムなどで活躍した新庄剛志氏(39)の父で、5日に食道がんのため70歳で亡くなった新庄英敏さんの葬儀・告別式が10日、福岡市中央区の福岡典礼会館でしめやかに営まれ、約150人が参列した。新庄氏は、現役時代17年間使い続けた、グラブを木棺に入れ、涙を浮かべ旅立つ最愛の父を、見送った。

出棺のために、斎場から表に姿を見せた新庄氏は沈痛な面持ちで、声を絞り出した。「これから、おやじは天国に向かいます。ありがとうございました」。遺影を大事に抱えながら、参列者に深々と頭を下げた。

最愛の父のために、自身の「魂」を木棺にしのばせた。関係者によると以前、英敏さんにプレゼントした高級ブランド・ベルサーチの洋服とともに、現役時代17年間使い続けたグラブを前夜、そっと、英敏さんの元に置いたと言う。

阪神に入団した当時、7500円で購入。阪神の主力選手となり、メジャーリーグ、日本ハムと波瀾(はらん)万丈の野球人生をともに歩んできた相棒だ。どんなにボロボロになっても、穴があいても、念入りに手入れをし、使い続けたのは「商売道具を大事にしろ」という英敏さんの教えを忠実に守ったから。自らの汗が染みこんだ「宝物」を旅立つ父親への最後の“プレゼント”にした。

葬儀中には終始涙を浮かべ、最後のあいさつでは「おやじ…俺に似て人気者やね。さすがやね。俺があと3年ぐらい野球をしていたら、もうちょい長生きできたやろね」と気丈に話したという。

 

派手でおしゃれな新庄さんだが、17年間も入団時のグローブを使い続けてたとは・・・・。 感動した

でもまだ39歳なんだよね~。 もしも今も現役だったらどうだっただろうな~?

私は元来守備(肩)のいい選手が好きだし、もちろん新庄さんのあのキャラも阪神ファンとして前から大好きだけど、彼が一番人気があった時期にアメリカに住んでたこともあり知らないことも多く、感動したので調べてみた

 

(ウィキより)

日課である自宅近くの坂道でのキャッチボールでは、新庄を坂上に立たせて父親が坂下から思い切り球を投げ、後ろにそらすと(その位置で待っていればボールは転がり戻ってくるが)「横着せずにボールが戻ってくる前に追いつけ」と言って坂の上まで走らせていた。彼は泣きながらも決して弱音を吐かなかったという。また、小学生の時から家に帰ってきてひとり黙々と何時間もかけて腕立てなどの基礎トレーニングをするなど、人前では決して努力しているところを見せない子供だった。

阪神時代途中までは「ジーンズがはけなくなるから」と下半身強化トレーニングをしていなかったと告白し、打撃練習も手に豆さえできないくらいで片付けていると報じられてきた。しかし、幼少期から努力している姿は人には見せない子供であったと新庄の父親は語っており、プロ入り後も同様の同僚からの証言や「人に個人練習している姿を見つかると、練習をやめてしまう」といったエピソードも聞かれる。 (中略) また、ランナーとしての瞬発的なスピードを維持するために、あえて長距離走の訓練を避けていたとのこと。アメリカで太股に肉離れを起こして以降は、故障箇所をカバーする筋肉をつけるため、好きなジーンズの着用も止めてハードな筋力トレーニングを続けており、日本ハム時代の同僚である岩本勉は、鬼気迫る表情でバーベルを担いで片足屈伸を続ける姿を目撃した時には、圧倒されて声をかけられなかったと証言した。

すごく天才で器用そうに見える人でも、努力してるんだなあ~
もちろん努力してもみながスーパープレーヤーになれるわけではないけど、努力もしないと何もはじまらない・・・
 
でも、↓ これって、マンガみたい! 凄いよね~
 
小学6年の時の町内対抗ソフトボール大会では、サヨナラ負けした時の判定をした審判に泣きながらひとり食ってかかり、なだめる監督にも誤審を訴え続けた。こんなにも負けず嫌いな子供は見た事がないと驚き、その様子を見るに見かねた監督が、そんなに悔しいのなら自分が監督を引き受けるから少年野球チーム(軟式)を創ってその悔しさを晴らそうと持ちかけると、新庄は2日でメンバーを集め、ユニフォームのデザインやチーム名命名も行い「長丘ファイターズ」というチームが誕生した[出 1]キャプテンエースで4番打者の新庄は走・攻・守ともズバ抜けていて、目立ちたがり屋でノーステップでのジャンピングスローをよくやっていたという。チームのコーチを買って出た新庄の父親はここでも手加減なしで、至近距離の猛ノックを浴びせ、新庄は泣きながらも最後までこれについていき、その様子は、監督が「子供がかわいそうなくらい厳しく見ていられない時もあった」と語るほどであった。猛練習の甲斐あり、ファイターズは結成わずか1か月余りで福岡県大会64チーム中3位入賞を成しとげた。
 
久々に、もっと話を読んでみたいと思った 新庄さんの本でも買おうかしらん?