歴史と自然への訪問記

福岡を中心に探索・活動しています。歴史と自然が好きです。日々感じるまま綴っていきたい。

九州国利博物館~馬 アジアを駆けた二千年 を見てきました

2010年07月17日 | 散歩

今日は、朝から大宰府にある九州国立博物館に行ってきました。
とてもいい天気で暑い日だったですが、館内は涼しくゆっくり鑑賞することができました。

今日の展示は、『馬 アジアを駆けた二千年』です。

展示は、馬っていつどこからきたの? から展示が始まります。
馬の祖先の話や、古墳から発掘される馬の埴輪や、馬を装飾する馬具、馬の競走絵、神馬など馬にまつわる展示が数多くありました。



◆九州国立博物館です

馬が日本に渡ってきたのは四世紀、応神天皇の時代で朝鮮半島から九州へと人の手により渡ったきたそうです。しかし馬が渡ってきても人が必要だと思わなければ、そこで終わってしまうわけで、馬が人にとってとても役に立つ動物だったから身近な存在になったと思います。馬を装飾品で飾り権威の誇示するために使われたり戦争の道具として、農耕や運搬に使われたことで身近な存在になったのでしょう。

ただ、馬といっても競馬でよく見る体型のスマートなサラブレッドではなく木曽馬のように背はやや低く、足は太く強く、中型の馬です。九州も在来馬の産地で、都井岬では御崎馬という種が放牧されています。私も以前、都井岬には行ったことがあります。広い草原に馬がたくさん放牧されていました。

在来種の馬は、背の高さが110~130cmとやや低く、足が太く強いので、人が鎧や兜を身につけて体重が重くなっても乗りやすく大丈夫だったのでしょう。

展示されている馬具は、金色の輝きが、とても千数百年も前のものとは思えないほどに輝き、繊細かつ緻密なデザインが施され、当時、すでに高度の工芸技術を持っていたことに驚きました。また、それを作らせた当時の権力者の富と力が伺い知れるようです。

馬具は、馬面(ばめん)、轡(くつわ)、鞍(くら)、鐙(あぶみ)、帯飾り(おびかざり)、杏葉(ぎょうよう)、雲珠(うず)、辻金具(つじかなぐ)などがあります。

馬面(ばめん)とは、馬の顔の部分につける装飾品。
轡(くつわ)とは、馬の口の中を通すもので、馬を制御するのに使う。
鞍(くら)とは、馬の背につけ人が座るもの。
鐙(あぶみ)とは、馬に乗った際に足をいれるもの。
帯飾り(おびかざり)は、杏葉を下げるために帯を交差させて使いますが、その帯の交差点をとめるための金具・装飾品です。
杏葉(ぎょうよう)とは、馬の背後ろ側に帯をかぶせ、その末端に吊り下げる装飾品です。
雲珠(うず)とは、馬の背後ろ側に帯を放射状に6本程かぶせ、その中心で留める金具・装飾品です。
辻金具(つじかなぐ)は、帯の交差点で帯を固定するための金具・装飾品です。

馬具の展示品の写真をいくつか掲載します。
写真は、九州国立博物館さんから提供されたものです。




◆国宝。鞍(くら)の後輪(しずわ) 鞍の背面に取り付ける飾り 当時は創造の動物だったろうと思われる「象」がデザインされています。想像でここまで正確に象が描けるのかと驚きました。



◆国宝。杏葉(ぎょうよう) 柊の形をした飾り金具で馬の背(鞍の後ろの辺り)に多くの枚数を吊り下げて使用する。

展示品の上には、馬具を取り付けた馬の絵があり、展示されている装飾品が馬具のどの部分なのかがわかるように展示されています。絵と展示されている馬具を交互に見て、頭の中で絵と展示品と置き換えて想像しながら見てまわりました。
また、それらに飾りつけされた馬に、冠をかぶり得意満面の時の権力者の姿を想像してしまいました。

次が、競馬です。最近始まったものとばかり思っていましたが、
古式競馬というのが古来あったようで、西暦701年に文武天皇が臨席して競馬が行われたと記録にはあるそうです。これは神事のひとつで、赤の衣装の騎手と黒の衣装の騎手で行われ半ば格闘技でもあり力で馬から引きずり落としてでも先にゴールするのが勝ちというものです。さぞ見ごたえのあるレースだったでしょう。



◆神馬飾り 讃岐一ノ宮 田村神社で実際に使われたもの



◆賀茂競馬の競馬衣装 競争時、左方が赤色を着けました。

このように馬は古代から現代にいたるまで人々の生活に溶け込んで共生してきたことが展示をみてよくわかりました。たのしい1日でした。

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