一昨日
古代吉備王国のあった吉備路を旅してきました
吉備王国は
学校で習った歴史には
ほとんど全く出てきませんでした
しかし
この地には
弥生時代末期から古墳時代の5~6世紀にかけて
大和や出雲と並ぶ
強大な勢力を誇る古代王国が繁栄していたのだそうです
実は
私はこの地に何か特別な縁があるような気がしてならず
一度吉備路を旅してみたいと思っていました
その思いがようやく実現しました
宝福寺
雪舟が幼い頃
涙で鼠を描いたと伝わる寺です
雪舟の像
鬼ノ城へ向かう途中の道端に置かれた鉄の釜
『鬼の釜』と呼ばれているそうです
見晴らし台から見た
鬼ノ城西門
鬼ノ城は
温羅(うら)という名の
百済の王子が
備中国の新山(にいやま)に構えた居城と言われています
総社宮
鯉喰神社
鯉に化けて逃げる温羅を
吉備津彦命が鵜となって追いかけ
喰い上げた場所と言われているそうです
拝殿の屋根瓦には
鯉の瓦がありました
備中国一宮 吉備津神社
備前国一宮 吉備津彦神社
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます