
ちょっと、状況か立場の変化故か、自身本来の方法論から少し逸脱している感じは、ある。
「異世界はある」その時そこに介入し得るのは、物語だけだ、というのが物語の需要ではあり。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
見ている時代がズレている、感覚はまあ、不意にあったり。
どうも意識が、「フィードバック」そっちを優先しちゃってる、感じは重くある。その物語は”現実の”何処を、どう変えようとしているのか?に、論調を合わせすぎ、というか…。本来?ともかくASP同梱の”雅”市場、そこにある「異世界理論」の適用としては、それはほぼどうでもいい話、だ。本来は、”向こう”の異世界を「物語の介入によって救う」事で、こちら側はまずそれに対して「良かった」の同意を得る、そこにこそその物語の価値がまずある。
もちろんその時?その覗いた異世界が「ある」と言える様な絵で無ければ意味も感じにくい、訳で。その視点で設定というのは大事には成る、訳だが。しかし現状で、現在の外の世界が戦争中だから、というのは深刻に重い部分はあるだろうか。「今必要な弾をくれ」それは、必ずしも今の日本が?求める物語ではない、かも。
エロ漫画だろうが基本は一緒である、が。その時不意に、立場か状況か、もちろん自分も幾分か窮乏する感覚はある訳だが…そこへの打開に意識が向きすぎてる部分、それはあるだろうか。”今”自分の状況を打開する為にその物語は重要なのか?は、価値の生成、という視点ではあまり、いやむしろ忌避される感覚ではある。それを何かの権力が言う、というのは、ちょっと問題がある。本来必要な物より、”その個人が必要な物”の方が優先される事に成る訳で。
良くも悪くも今、「牢陽帝」その立場?は、安全と安定の上では最善かも知れない状況ではあるが、ただ視点では独房に一人、そんな光景でも或いは、ある。マクロ的な理解?では、「作者」それだけを”特別扱い”すれば後は全て平等な環境が構築し得る、それが良くも悪くも昭和の理想だった、可能性はまあ、あり。期待し得る「完全」ではない、その牢陽帝を「大賀さん」に預けられない限りは、誰かは牢陽帝に成っている現実はまあ、ある。それでも天皇家が世界最古の王族として日本に有り続けてそして今もある、という事は。それは何かの物理かも知れない訳だが。
とは言え、”その”権威性が民間にプレッシャーを与える、それはそれとしてある、話。
希望は、その「市場管理者」それは、windowsかMacintoshか、それともLinuxか?という、そんな差で良い。解りやすいかの例ならファミコンかPCエンジンか、それともメガドライブか?の差だ。”その中で”動くアプリは、あくまでもその環境に用意されたモノしか使う事は出来ない、その上で必要な能力を得ねば成らない、訳で。ただその時、その環境その物が、ソフトの方向性や内容にまで口を出してくる?それは期待される世界じゃない、訳だ。
常に”そう言うの”が脅威としては存在する、そしてその打開は常に、需要としても或いは、ある。
自分が面白いと思わなくても、必要な作品それは、有るのだが。
”そこ”にある人間の衝動それが、まあ今の最大の脅威だろうか。
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