不意に、変化はある。
「国益に成らない事はしなくて良い」
それはそうだ。ただ、そこには不安もある。
国益、とは果たして、どんな利益と内容を意味するのか。
意識の方向その物は、悪い変化では無い。
ともかく借金しても”働く”べきだろうか、そんな気分には…不意に成る。
「SEGAはどうした?」とか、今までの色々も有って混沌だが。
でも昨日までの「奴隷に成らない奴はいらない」それは今の所、”そこ”には無い。
また借金その物は、社会的な利益を考えると、悪い行為では無い。
その利子の支払いが無ければ、「預金は増えない」のだ、利息が付かない。
大分、利益性に見通しが付いた?と言う事もあるかもしれない。
投資に理由がある、それは大事な話。
ただ、つまり大きな借金をしているほど、「国家の為に働け」その強制を強く感じる、訳だ。
その為に借りていたお金だろうか?それを考えると何となく、そこには重さもある。
一応、内容は汎用的だ、どの国だろうと、国の一員で有るなら何の為に?だ。
投資の理由と目的、そしてその具現性に道筋は付いた、そう言うのは、ある。
国を、その社会を主体として考えると問題なさそうにも思うがしかし。
国粋主義、ナショナリズム?それはあまり、いい表現をされない事もあって。
そしてその「国益」に対して、自身は必要か否か?それも重い話。
もっとも、この感覚は、永続し得るモノか?だ。
実際には、夢も希望も無い未来、かもしれない。
企画書を立てて銀行に行っても、「誰の企画ですか?」貴方の?じゃあダメです。
自分の理解が正しいなら、或いは銀行は今後、そんな態度をする、のだ。
仕事として他者から依頼された訳じゃないなら、そこには”確実性が無い”訳で。
その時、不意に自分の状況が意識され、そこには、何かの絶望が有るのかも。
眼鏡の?死刑執行人が、不意にそこに居る様な気も、する。
凶悪な独裁性を放ち始める”それ”を狩らんとする、そんな狩人の存在だ。
ゴブリンは殺します。
国益に成らない事はしなくて良い。
邪は消えた、かもしれない。
ただ残った城の残骸は、希望だろうか。
「邪は居る」その証拠でしかないのかも。
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