あげちうのブロマガ

無限という成果の先

今現在の「現象」というかに納得は、確かに今も難しい。

「これが売れないというのはおかしい」その先に、今も混沌は淀んでいる。

今も、「美鶴さんの長い妄想」これが売れなかった?という事に関して、重い疑念はある。「おかしい」その、原理としてある訳だが…一応、自分の中では、「では幾らが適当?」という時、確かに返答がない。重い疑問と共にあるが、「100%」の達成、その結果か、数値は∞にまで拡大し、そして支払い限界を超える。

∞=0,というのが自分の理解ではあり、結果、この創作への支払いは「無理」として消えてしまう。

この辺は、”相手”のそれでも同じではある、100%を得る、という時、逆に言えばその”相手”も同じ価値観かの中にいる、という事にも成る。感じ方が変わらないなら、その帰結も上のそれと等しい。結果、不意に、これは「売れなかった」という、微妙な混沌と共に失敗扱いになる、訳だが。

”この”理解は今も、変わっていない。なので、今もこのゲームはどうも、表現し難い疑問を宿しつつ残って居る、訳だ。この辺はその後の経緯もあって、「問題ない仕事をした結果で全く換金が無い、というのもおかしい」それも正論として、逆に言えばそれで、”雅”市場、それを形成する「権利」を得た、感じではある。

”雅”市場、その中にも記述はあるが、一つのシンボル、”そこ”に集う意識が「神」となり、要求される理想、それを描く事に対して、或いはその具現に対して”働く”事で価値は「発生」し、結果で対価を得られる、というそれ。”この”領域に居る人々は最終的には”雅”市場の統制を受ける、という事にはなる、訳だ。それは、理想論としてはもちろん、自分も、だ。

つまり?シンボルに対して集う意識、”神”に対して働く事で、安定した収入は確保される、という事には成る。「働く」とは、他者の要求に対して応じる、という行為であり、最終的には人は「社会」を問題なく健全に維持する為に働く事になり、「利益」とは、そこを基幹として”発生”する。お金持ちとは、或いは高い収入とは、より大きな「社会的責任」も同時に背負う事になるので、それを避けるなら?低所得でも我慢せねばならない。何を目指すか?その選択は自己責任だ、ともかく社会の中にいる限りは、糧を得ないと暮らせないが、逆に社会に必要とされる事なら、それは如何なる形でも、そこに利益は発生する。

…ちょっと、表現に不足感はあるが。

という、「安定した収入」を”創作行為に”求める先に、今の”雅”市場というか、この道理がある訳だが。どんな下らない、或いは低俗な創作だろうと、需要があるならそれは立派な仕事、ではある。エロ漫画だろうがヌードモデルだろうが、その人にとって費用対効果が合致してるなら、そこに問題はない、この範囲なら職業に貴賤は無い、のだが。ただ売春はダメだ、費用対効果が合わなすぎる。

と、そんな理想社会を提示する事にはなった、訳だが。

「利益を得ていない」というのは、言えば間違いだ。ドラゴンボールを集めて神龍を呼び出した、位の「対価」は発生してる、”理解”は出来る、のだが。その帰結は妥当か?と言われると、今も何だか謎ではある。就職氷河期世代と言われる、”それ”が発生した理由は”ここ”の存在、ではある。世界が”ここ”を否定した時、この切り捨て世代は発生してしまった、訳だが。

もちろん同時に、社会が衰退し始めた原理もまた、”そこ”にはある。その根幹が「”雅”市場」への支払いを、恭順を拒んだ、という感じ、だろうか。それは数多の天変地異を呼び、コロナ禍を起こし、そして今も戦争を続けている…原理はそれかもしれない。

「売春」それがない世界、”それ”が侵略してくる。

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