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あげちうのブロマガ

背負った荷物が重く成り続ける

「70代」と言う年齢が、”普通に働いている年齢”に感じる様になって…少し重さは感じた。

「いつまで働かねば成らないのだろう?」やっぱり、実感的にそう言うのは、有るのかも。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

「萌え~」とか?無責任に見ているこの子らにも、親は居るのだ。

 

ちょっと、自身の立場を失念している、というのは有るのかもしれないが。「働いていない」のは80代前後でしかなく、”その”頃に成っても働かなくていいか?それはかなり不透明な状況、ではある。前回の話の続きかもしれない、現状、「働く」に先が無い、というか…経済を好転させる感覚が無い、むしろ失業者を増やすだけ、的な感覚が少し膨らんでいて。働けばお金が貰える、それは家を発展させる、それに説得力がまあ、無い。ただ身銭をすり減らす、様なそれが「働く」ではあり。つまり確かにこの先も続く訳だ、何かの鎖付きの生活は。

何をどう直せばいい?という、”それ”が見えないのも、意識を曇天させていく何かではある訳だが。

自分も不意に、「要求」し過ぎている、というのは有るのかもしれない。気持ち、「社長」感覚はこの状況で”そこ”にはある。ただ、マクロで言えば零細企業以下かの”それ”ではある?収支はプラスなのか否か、現状でも判断付かない中での「労働」は、ちょっと何かの苦痛?それを背負っているのは確かではあり。ともかく「現場」に発破を掛けてる様な?その結果が現状だ、とするなら。少し意識か何かは変えるべきか或いは。

しかし、働く事を止めたら、それはそれで「ただ、止まるだけ」ではある訳だが。

「面白い話」それは何だろう?少し、考える。現状で「売れる」作品それは、他者への侵害をしない、そう言う作品ではある。誰かが提案し、”それ”に周囲から「良いね」が集まり「価値」が出来る。”それ”を創り換金する時、換金された側は「お金を買っている」のと等しいので?「お金が減った」感覚が無い、というのが「お金が増えた」状態、ではある訳だが。その際に結局、「侵害しない、否定しない、関与しない」と言う様な絵に成っていく。美味しい饅頭は、世界を変えろと訴えるか?だ。必要なのは”それ”であり、ただその時、その大ヒットした作品はやっぱり、世界に対して?何も言わないのだ。

ただ、静かに、お金だけが増える。

街の中に不意に、饅頭屋が開店し。周囲には他に競合も無く、暫くすると評判で客が集まり?店は順調に利益を伸ばしている。昔は何も無かった、だからこそ「こういうのが普通」だった、のだが。インターネットの登場か、それは常に激戦区に店を出すような、そんなイメージに成ってしまっている、それはまあある。

不足がどんどん埋まっていく、そう言うのが「発展」だった時代は過ぎて、今は維持か補修、それが需要の大半ではあり。停滞と言えばそうだ、その先は同じ話が繰り返されるだけではある。

肯定と否定、それがせめぎ合ってる、そんな状態だろうか。

「テレビゲームでクリアするべく奮闘する」先に有るのは、実はそんな感覚なのかもしれない。激戦区へ攻め入らん、出来ればその場での頂点を目指す!為にする事は、とにかく。

それに対してストレスを感じる時しかし、そのヘリを操舵しているのは、

…それは、自分じゃないのか?

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