今日の午後、を教会の中高生が学校の友達を何人か招いて、手打ちうどん作って食べて、その後、メッセージを聞くイベントが企画されています。
一昨日、私に台所にいて、サーブや片付けを手伝って欲しいとの依頼を副牧師から受け、快諾しました。四国出身のご夫婦が材料を準備し、教えてくださいますから、私はただ、その場にいれば良いのか・・・・と、軽く考えていたことを、聖書通読から、悔い改めました。
出エジプト記26章には、あかしの箱とあがないの蓋を、至聖所に運び入れる幕屋の構造が書かれていた。神様に祈る至聖所に至るまでには、聖所との間の垂れ幕を通っていかなくてはならず、それは大祭司が年に一度だけ入ることができた。そこに至るまでには、その前に祭壇にいけにえをささげなくてはならなかった。
イエス・キリストが十字架について、私達の身代わりのいけにえとなってくださったので、もう動物犠牲は必要がなくなった。イエスが死なれた時には、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地震が起こって岩が裂けた。
それで、今は万人祭司と言われるように、ただイエス・キリストを救い主、主と信じる信仰によって、主の前に出て、とりなしの祈りをすることがゆるされている。
そこで、副牧師は準備などで忙しいことと思い、中高生の教会学校の先生をしている姉妹に尋ねた。現在、教会の外からは3人の参加予定。
★英会話の生徒さんの中学生の女の子が友達を連れて出席。どんな子かな?
★教会の中学生の女の子の友達。礼拝や教会学校に時々出席している落ち着いた可愛い子。
この三人の子どもと、友達を誘ったクリスチャンホームの子の四人のために祈り、
その他の出席するかと思われる子供のために、その名前等を名簿で確認しながら祈り、
それから、お手伝いに教会に行くことにする。通読により、寝ぼけていた私は、まるで揺り動かされたような気分。とりなしの祈りによって、自分自身の姿勢も正される
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