ハガイ書
この書は預言書の中でも短い書ですが、旧約聖書の物語の中で非常に重要な意味を持っています。旧約時代の預言者たちは何世紀にもわたって、偶像礼拝と不正によって神との契約を破ったイスラエルの民を糾弾してきました。そして神はバビロン帝国を遣わしてエルサレムとその神殿を滅ぼし民を捕囚にするだろうと警告していました。 それは紀元前587年に現実のこととなりましたが、話はそれで終わりではなかったのです。預言者たちはまだ希望があると信じていました。神がいつの日か生まれ変わったイスラエルの残りの民を、神が共に住む新しいエルサレムに連れ戻してくださるという希望です。このハガイ書が書かれたのは紀元前520年で、捕囚から約70年後バビロン帝国が滅んだすぐあとで、支配者がペルシャに変わった頃でした。エルサレムはまださびれたままでしたが、そこに帰りたいと願うイスラエル人には、ペルシャは帰還を許しました。そこで大祭司ヨシュアとダビデの子孫であるゼルバベルの指導のもと、捕囚されていた一団はエルサレムに戻り、街を再建し生活を立て直し始めたのです。このことはエズラ記1章から6章に書かれています。希望に満ち将来は明るいものに思えました。しかしハガイはそうは思っていませんでした。
1:1-15 非難と応答
ハガイ書は4つのセクションから成り、その内容は、ハガイが4か月にわたってエルサレムの民に述べたメッセージの要約です。
彼はまず優先順位を間違えている 人々を非難します。彼らはエルサレムに戻ってきましたが、自分たちの贅沢な家を建てることに時間と資源のすべてを費やしていたのです。その間神殿は70年前に破壊されたままの状態で、ほったらかしにされていました。
ハガイはあなたたちの家は神への忠誠よりももっと大事なものなのかと問いかけ、神殿を打ち捨てておく行為は先祖たちが契約を破った罪にも等しいと言います。そのため民は不作と飢饉と干ばつに苦しめられました。ハガイはこのことを申命記にある契約に反した場合の呪いの言葉を引用して述べています。
この非難のことばに続いて、民が応答した様子が記されています。このことはエズラ記5章にも書かれています。それによるとゼルバベル、ヨシュア、残された民たちはハガイの言葉を聞いて奮い立ち、神殿の再建に取り掛かりました。
2:1-9打ち砕かれていた期待
次のセクションでハガイはそれから一か月後に、人々の打ち砕かれていた期待について言及しています。彼らが再建していた神殿はまるでさえなかったのです。500年前にソロモンが同じ場所に建てた荘厳な神殿とは比べ物になりませんでした。そのためこの事業をやり遂げようという士気が下がってしまっていたのです。
そこでハガイは彼らに来るべき神の王国とこの神殿についての大いなる約束を思い出させました。神がエルサレムから世界を贖い、すべての国々がそこに集って神の王国に加わり、平和の時代が訪れるという先の時代の預言者、特にイザヤとミカの言葉をここで引用しています。このようにこの神殿は神の計画の中で大切な役割を果たすのです。だから今の状況に落胆せずに希望をもって働くようにとハガイは彼らを励まします。
2:10-19 契約に誠実であること
3つめのセクションで、ハガイはそれから2か月後に、契約に誠実であるようにという 呼びかけをしました。彼は祭司たちを相手にレビ記にあるようなきよさを保つための律法について問答をしました。もし誰かが死体に触れて汚れた状態、つまり死がついている状態になった場合、その人が触った食べ物も汚れるかとハガイが聞くと、祭司たちはレビ記を知っていますから汚れると答えました。
するとハガイはこれをたとえに用いてこう言いました。イスラエルもそれと同じことであり、彼らが再建している神殿もまた然りだ。もし彼らがへりくだって不正から離れ、神への無関心を改めないなら、彼らが着手するものはすべてこの新しい神殿も含めて汚れている。彼らの神殿再建の努力が、神の王国と祝福をもたらす結果につながるためには、彼らの真の悔い改めと契約への誠実さが必要不可欠なのです。つまりイスラエルの未来はある意味で彼ら次第であり、神はご自分の民が誠実な者になるのを待っているのです。
ハガイがここで捕囚になった世代に語っていることは、約束の地に入る前に荒野をさまよった世代に向けてモーセが語ったことに似ています。つまり主に従うなら祝福と繁栄があり、不誠実なら破滅に至るということです。
2:20-23 神の王国の将来の希望
この書は神の王国に関する将来の希望を短くまとめて終わっています。神はご自身の栄光に満ちた王国の真ん中に新しいエルサレムを据えて、そこから国々にはびこる悪と対決して勝利します。
ここで出エジプト記でファラオの軍隊の滅ぼしたことを例として挙げています。神は約束を果たし、ダビデの子孫の中から王を立てます。そしてハガイの時代においては それがゼルバベルでした。このように明るい未来の選択肢を残したままハガイ書は終わります。ハガイの時代の民は神に誠実になれるでしょうか。彼らは約束の成就を見ることができるでしょうか。ゼルバベルはどうでしょう。彼こそが誠実なメシアなる王なのでしょうか。それを知るためには預言書の最後の二書 ゼカリヤ書とマラキ書を読まなければなりません。ハガイ書には、すべての世代の神の民に対する非常に重要なメッセージがあります。それは私たちの選択は重要であること、そして神の民の誠実さと従順さが、神がこの世界に対する目的をどのように成し遂げられるかを左右 するということです。この驚くべき事実は、私たちをへりくだらせ、神の王国の到来を待ち望む行動へと駆り立てます。これがハガイ書です