「デボーシションガイドブック マナ」「デイリーブレッド」こんな日々の祈りの助けとなる冊子があることを思い出した。どちらも、毎日、一日分ずつ書かれています。最近は自然に早朝に目が覚めて、みことばを開く日が増えたことが嬉しい。
民数記 11:9 夜、宿営に露が降りるとき、マナもそれといっしょに降りた。
ヨハ 6:48 わたしはいのちのパンです。と言われるイエス・キリストのみことばを日々、朝に夜に食べます。天から下って来た生けるパンを食べるなら、永遠のいのちが約束されています。
その約束にもとずく主の守りがあることを、オリーブ山で、ペテロがマルコスの耳を切り落としたとき、イエス様は剣をさやに収めなさいと言われ、その場で耳をいやされたという現場から知ることができました。
ヨハネ 18:9 それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした」とイエスが言われたことばが実現するためであった。
怒りなど感情にまかせて人に手を上げることは罪となるから、主はペテロが永遠のいのちを失うことにならないよう、瞬時にペテロを守ってくださったのでした。
民数記 11:4 また彼らのうちに混じってきていた者が、激しい欲望にかられ、そのうえ、イスラエル人もまた大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。 11:5 エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、たまねぎ、にんにくも。
私の心に残っている罪が、「ああ、田舎ではおいしい米や野菜、肉も魚も、夫と一緒に食べていたのに、今は独り生活。街の決まったスーパーのものばかり食べている。ああ、夫がいたら、引っ越しをしなかったら・・・」等とつぶやきの声を上げる。
しかし、私には主のパンがある。主の守りがある。主の御名によって、肉的な欲望を収めて、霊的に満たされることができる。
田舎から教会のある街に引っ越したことで主に仕える生活を始めた私です。召されるまで、または再臨の日まで、主に仕える働きを完成させてくださることを、堅く信じます。つぶやきの代わりに讃美と感謝の声を上げます。
ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。