私の生活の全ては神からの賜物であり神によって支えられている。自分のいのちを捨てて、復活の力で主に従う姿勢で生活する者は、本来すべてをささげなくてはならない。
それで、いったんすべてをささげて、その後、改めて預からせていただいている。
夫は召される前に税理士に頼んで、すべてを私に譲る遺言状を準備してくれた。
内容は現金以外のものもあったが、とりあえず総額の十分の一以上を献金した。
当り前なのですが、ケチることなく、すぐに、大胆にささげられたことは祝福でした。
なぜなら、その後も、さらに多くをささげようという気持ちになり、さらに祝福されたから。
日常は年金生活ですが、大胆に献金をしている。貯金通帳の金額は減ったが、全く心配はしていない。神様がちゃんと、心配しなくても良いように、取り計らってくださるはずですから。
教会の会計係りの兄姉は、誰がいくらの献金をしたのかを、牧師にはもちろん、いっさい口外しない。私達は、ただ週報で項目と金額の報告と、年度末に総合的な会計報告を聞くだけです。
私がそこにも載せないでと言って大きな献金したものも、どこにも数字は出て来ないが、私は全面的に会計担当者を信頼し、彼らのその信仰を尊敬しています。
自分の経済のことを考えるより、教会の会計が満たされるように祈り、どのように献身するか、どの働きに身をささげることができるか、そんなことに祈って気を使って生活できることは、本当に祝福です。