あるスーフィー巡礼者の日記

唯一の真理に従い世界平和・弱者救済・真に有益な医療の普及などを目指しています。

ジハード戦士の帰還1 原発事故が私の中に起こした聖戦復帰への呼び声 

2011年03月25日 | 原発は本当に必要なのか?
【起きるべくして起きた人災】

さて、先日、スリーマイル島、チェルノブイリに引き続き、東北太平洋沖大地震の津波による福島第一原発の大事故が起きてしまいました。

これは、不幸な偶然が重なったことによって起きた不測の事態などではなく、起きるべくして起きた事故だと言えるでしょう。原発業界の内部の事情を知り合理的な思考ができる人たちは、むしろ今まで起きなかったことが奇跡だと感じているのではないでしょうか。

今現在、状況はまさしく予断を許さない深刻な状態で進行中であり、日本国内では、とりあえず事態の(一時的な)鎮静化に向けて関係者が必死の努力を繰り広げています。今は、責任追及よりも問題解決にとにかく全力を注ぐべき時でしょう。


しかし、一つどうしても忘れてはならないことがあります。今回の原発事故は、「事態が(とりあえず)鎮静化したらめでたしめでたし」として安心できる性質の事故ではないという現実です。

これから事態がどう推移するかは未知でありますが、少なくとも日本の原発史上最悪の事故と言えるでしょう。ですが、このままではそれが「史上最悪」でなくなる日がいつ来るとも分からない(もちろんそうならないことを心から願っていますし、そのために私ができることをしようと思っていますが)、それが私の偽らざる実感です。

それを「史上最悪」の事故で済ますことができるか、それとも「あれは大したことはなかったなあ」と語られるようになってしまうのか、それは、これから私たちがこの事故をきっかけとして原発に対してどう向き合うかにかかっていると言えるでしょう。

【罪や責任を問うよりも、思考とそれがもたらすシステムの是非を問おう】

そのためには、個人や団体を指弾するための責任追及ではなく、事故の原因となった誤った思考やシステムなどの究明・それに対する治療法解明と即時実行を、起きてしまった事故への対処と同時に早急に進める必要があります。「誰のせいか」ではなく、「何が間違っていたか」という視点のもとに行うべきです。

【拮抗する二つの流れのせめぎ合いの中で】

今回の事故に対し、世界では当然の事として原発政策の大幅な見直しの動きも出てきています。

しかし、まだ予断を許さない状況が進行中であり、私たち一般大衆には事故の全貌がまだ闇の中にあると言えるでしょう。特に、大手マスメディアでは表面的な出来事や表層的な原因や一時しのぎの対処法などについてのニュースは繰り返し垂れ流されていますが、その深層にあるプロセスを掘り下げ事故の真の原因(=誤った思考)や真の解決方法を探る努力はほとんどなされていません。

大手マスメディアでは、原発の安全対策の問題を追及しても、原発そのものの是非を問う番組や記事を見かけることがないのはなぜなのでしょうか?

真の原因が明るみにされていないので、「今後も原発は必要だ」「うちの最新式原発なら大丈夫だ」「この事故を教訓として安全対策を強化すればいいだけの話だ」などという軽率な声も日本のみならず世界のあちらこちらから上がり始めているようです。

そういった多くの無思慮・無責任な声を耳にするうちに、私の心の中で「キーボードを叩け」という声が聞こえて来ました。ここしばらく私は、今私の両手にはキーボードを叩く力はないと思い込んでいましたが、キーボードが私の両手を叩き始めたようです。

②に続く