あるスーフィー巡礼者の日記

唯一の真理に従い世界平和・弱者救済・真に有益な医療の普及などを目指しています。

想定すべき事態を想定できないと想定しないと原発は作れないそうです

2011年03月29日 | 原発は本当に必要なのか?

まず、地方紙の片隅に載った、次の記事を読んでみてください。

 

原子力安全委員会の班目春樹委員長は22日午後の予算委員会で、福島第一原発事故について、事故対応の想定見通しが甘かったことを認めた上で「原子力安全規制行政を抜本的に見直さなければならない」と述べた。「(原子力行政を)推進してきた者の一人として謝罪する気はある」とも語った。

 

 原子力利用の安全規制に関する国の政策や基準を決定する原子力安全委のトップが東日本大震災発生後に対応の不備を認めたのは初めて。

 

 班目氏は、地震発生時に非常用発電機が2機とも作動しなかったことに関し「(そうした事態は想定できないと)割り切らなければ原発は設計できない。割り切り方が正しくなかったことは十分反省している」と述べた。その上で「事故の想定は世界的な見直しが必要だ」と指摘した。

 

 社民党の福島瑞穂党首に対する答弁。

 

(山形新聞3月23日朝刊より)

 

【想定範囲を決める思考プロセス】

 

 「(そうした事態は想定できないと)割り切らなければ原発は設計できない」とは、本来想定すべき事態を想定したら原発は設計できないということである。

 

 原発推進関係者の想定範囲とは、このような思考プロセスによって決定されているのである。彼らに適切な想定を期待することは、はなから無理な注文である。

 

【現代社会の現実を直視しよう】

 

 だが、私たちに班目氏を非難することができるだろうか?普通の企業などの組織に身を置いたことのある者は、組織の利己的な利益を守るために、自らの良心が恥じる行為に手を染めた経験が全くない人はどれだけいるだろうか?

 

 少なくとも私自身は、そのような行為に手を染めたことがある。

 

 己の良心が恥じる行為をなせば、必ずその報いを受ける。それは企業などの組織も同じである。組織の利益のためと信じて非倫理的な活動を行っても、その行為は、結局はその組織に甚大な損をもたらす。だが、そのことを正しく理解して活動を行っている組織が、今の社会にどれだけあるだろうか?

 

【人類は原子力を扱うには精神的に未熟である】

 

 私個人は、班目氏が過去の己の過ちを告白した勇気を称賛したい。過去の過ちを反省し事故の想定の世界的な見直しが必要だとしたことは大いに評価できる。

 

 だが、原発事故は一たび起きれば甚大な被害を永年に渡って私たちにもたらすことになる。「想定が間違っていたら、それを見直す」という試行錯誤を行っているうちに、取り返しのつかない事態がいつもたらされるかわからない。

 

 今の私たち人類に、利己的な欲望を離れて正しい想定を行うことができるだろうか?理性的な想定を行える人々が社会の上層部に立ち、世界を動かしているだろうか?

 

 私は、残念ながら今の私たち人類は、原子力と言う暴れ馬を上手に乗りこなせるほど、その精神性が成熟しているとはどうしても思えない。今の人類が原子力を利用するのは、幼い子供に水鉄砲の代わりに火炎放射器を手渡すようなものではないだろうか?

 

 人類は己の分をわきまえ、身の丈にあった慎ましやかな生活を送るべきではないだろうか?