あるスーフィー巡礼者の日記

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ネットを通して共感と真実を広げよう 万人の豊かさと幸福を実現させるために

2010年10月31日 | 政治・経済

 【マスメディアの限界を打ち破るネット】


マスメディアによる情報操作の問題は、以前より多くの人が指摘して来たことである。だが、私たちは、それに変わる情報媒体を持たなかったがために、仕方なく主要な情報源をマスメディアに頼って来たと言えるだろう。

しかし、インターネットの普及により、その状況は大きく変わりつつある。

ブログやホームページを始めとして、個人がマスメディアに頼らない情報交換を始めるようになり、マスメディアの役割を凌駕しつつあるようだ。

確かにインターネットには、様々な影の面もある。憎しみや貪りなどの非道徳的な感情や歪んだ情報も急速に広がって行くことはその最たるものであろう。

だが、プラスの側面はマイナスの側面をやがて凌駕するだろう。では、どうすればネットのプラス面がマイナス面を凌ぐことができるようになるのだろうか。


【アダム・スミスの本意】


 

近代経済学の父アダム・スミスは、市場原理主義(自由放任主義経済)の生みの親として知られ、資本主義やその発展(あるいは堕落)形態である新自由主義の思想的源泉とされることが多い。だが、彼の政治経済思想の本質は市場原理主義ではない

彼は、市場経済が正しく機能するために絶対不可欠な条件として、万人が万人に共感を抱く道徳心を育むすべての人が真実の情報を共有する、という二つの前提条件を挙げたのである。

富の独占を推し進めるために情報操作に励む新自由主義者の多くは、そのどちらの条件も満たしていないと言えるだろう。だから、彼らの言いなりになることによってアダム・スミスが夢見た万人の幸福が達成されるはずはない。


【国民の幸福への鍵は経済体制ではない】


共感にもとづく道徳心を抱いた人々によって真実の情報が共有されれば市場原理によって万人の幸福は達成されるだろう。なぜなら、全ての人が万人の幸福を考えた経済活動を行うようになるからである。

その時初めて、政府や公的な機関による経済介入が不要となる。

だが、すべての人が共感にもとづく道徳心と真実の情報を共有するなら、自由市場経済でない国家統制経済でも公正で活発な経済活動を維持することができる。なぜなら、共感にもとづく道徳心を持った人たちは報酬の格差がなくても勤勉に働くだろうし、真実の情報にもとづく国家の公平な経済政策に対して文句を言う人はいなくなるからである。

つまり、万人の幸福をもたらす鍵は、「市場原理」や「自由経済」にあるのではなく、ひとえに「共感にもとづく道徳心」と「真実の情報の共有」にこそあるということである。


【共感と真実の共有は相乗関係にある】


そして、アダム・スミスが求めた二つの条件は、どちらが実現されても、もう一方も自動的に実現されることになる。あるいは、両者はお互いを促進する相乗関係にあると言える。

万人が真実の情報を共有するならば、何が自他の幸福をもたらし、何が自他に不幸をもたらすかが明らかになる。すべての生命が一つにつながって生きていることが明らかになるから、人は、自然に共感にもとづく道徳心を持つようになる。

共感にもとづく道徳心があるならば、人は情報操作をしなくなる。情報操作は、利己的な欲望を満たすために行われるからである。情報操作が行われなくなれば、すべての人が真実の情報を共有するようになる。


【アダム・スミスの経済思想は仏教と呼応する】


共感にもとづく道徳心とは、仏教の「慈悲」のことである。真実の情報の共有とは「正直」や「如実観(あるがままの観察)」のことであり、それによって「如実知見(あるがままの真理の理解)」がもたらされる。

アダム・スミスの政治経済思想とは、実は、「慈悲が知恵(真理の理解)をもたらし、知恵(真理の理解)が慈悲をもたらす」と言う仏教の教えと本質的に同一のものなのである。

彼が万人が育むべきだとした「(利害得失に囚われない)胸中の公平な観察者」とは、あるがままに世界を知覚する内なるブッダの意識(仏心)に他ならない。

 

【万人の幸福を達成する道】


私たちが、ブログを通した情報発信を行う時にも、共感に根ざした道徳心にもとづいて各自が出来る限り情報操作を廃した正直な情報発信を行って行けば、共感と真実の情報が広がるプロセスを力強く促進して行くことができる。

そうすれば、ネットの持つ強大な「広げる力」を通して、アダム・スミスが願った「万人の幸福」が達成されるための大きな力となるだろう。


【資本主義社会におけるマスメディアの宿命】


マスメディアは、資本主義の競争原理にもとづき、他社を出し抜くことを第一に考えて来た。大衆受けする情報を恣意的に選択するようになり、結果として大手マスメディアは、どこも同じような情報を提供する事態となっている。

そんな「似たりよったり」の中で、他社との差別化を図るため、より大衆の貪りや怒りといった情動を煽る短絡的な記事内容に偏向して行かざるを得ない傾向を持っていると言えるだろう。

そんな大勢の中では、たとえ良心的な報道を志すジャーナリスがいたとしても、利潤追求を第一とする組織の中で大きな発言力を得ることは難しい。

資本主義と民主主義が支配する道徳心の低い大衆社会では、マスメディアは堕落する宿命を背負っていると言えるだろう。


【ネットが持つ公正な情報交換の可能性】


だが、ネットを経由した情報交換は、一部を除いて必ずしも資本主義の経済原理に依存していない。著作権とそれにもとづく利益の分配が行われないWikipediaはその代表例であるし、アフィリエイトなどによってブログを飯の種にしている一部の人を除いて、多くのブロガーはお金儲けを第一目的に考えていない。だから、資本主義の経済原理に縛られない情報交換が可能となる。

その結果、政治的強者や経済的強者の思惑に左右されない多様な情報の流通が促進される。そう言ったネットの利点をさらに推し進めて行けば、マスメディアを遥かに凌ぐ公正さを実現することができるだろう。


【公正な情報交換を可能とするために】



ネットによる情報交換をより良き社会の実現のために活用する上で心すべきことがある。

それは、ネットを自己の主張を一方的に広げる場として利用するのではなく、それぞれが持っている情報を分かち合い、多様な意見に謙虚に耳を傾け、お互いに学び合う場として活用するということである。

私たちが前者に走るならばネットの弊害が広がって行き社会の歪みを助長する元となる。だが、後者を心がけるならば、ネットの弊害が取り除かれ長所が生かされるようになるだろう。

ネットを、社会を堕落させる根源としてしまうか、より良き社会をもたらす強力な武器にすることができるかは、アダム・スミスが提言した共感にもとづく道徳心と真実の共有、すなわち慈悲と正直の実践如何ということになる。すべては、私たち一人一人の心がけ次第なのである。



2 コメント

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通りすがりの者ですが (DOM)
2011-02-02 03:01:51
日々煩悩に生きておる者です。
少し記事を拝見させて頂きましたが、
共感を覚えましたので、ひと言
コメントを残させて頂きます。
私もまた (アブドゥッラー・ザ・ブッチ)
2011-02-03 01:00:39
日々煩悩に生きておる者です。
でも、皆が少しでも共感の輪を広げて行くのならば、皆が幸せに近づいていけるのではないでしょうか?
コメントありがとうございました。