地震から1週間たった3月18日の金曜日。一人の友人からメールが届きました。
「親戚が福島原発の近くから着の身着のままで逃げてきました。3人の子どものための服を探してもらえませんか」
私はすぐ他の友人にメールで協力を呼びかけました。メール後30分以内に家の玄関は子供服の山になりました。その服は次の日に友人の親戚に送られたそうです。
もう一つ同じ日、別のNGOで勤める夫から「明日被災地へ向けて車が出るが、防寒着や食料がすぐ集められるか」という連絡が入りました。それにもやはり近所の友人が応えてくれて、次の日夫に大きなスーツケースいっぱいの荷物を託すことができました。
そのことがきっかけになり、近所の方から私に支援物資を受け取ってほしいという申し出が続きました。しかし、被災地・避難された方のニーズはどんどん変わっていくので、物をお預かりすることは難しくなりました。ならば、フリーマーケットをやって現金に換えようと思いついたのが3月21日(月)でした。26日(土)にすぐ近所のお稲荷さんでフリマをすることに決めました。
で、問題は寄付先です。私の住んでいる埼玉県川越市でも福島原発から避難された方を中心に550名の方を受け入れる準備をしています。支援にあてたいと思ったのですが、川越市に寄付すると、そのまま共同募金会に行ってしまうとのことでした。それは悪いことではないですが、地元で集めたお金を地元で行う支援に役立ててほしいと思いました。どうしようかと悩んでいると、友人が知恵を与えてくれました。「川越市は支援物資も募集している。これは川越で受け取り川越で使われる。寄付金を物に変えて、支援すればよい」と。
なるほど!早速川越市のHPを確認。カップ麺やカンパンなどの保存食、タオル、ティッシュなどの生活必需品が、受け入れ対象物として並んでいました。「何?ここまで来てカンパンは必要ないのでは?もうあきていらっしゃるのでは?」と思い、担当課に電話をしました。
まだ実際避難している人も少ないのでニーズが良く分からない。今日行ってみて枕がないことに気がついた。避難所は畳だが、一人あたり毛布二枚だけで眠らなければいけないので枕がないときついと思った。
とざっくばらんに話をしてくれました。フリマが終わってからもう一度電話をして、そのときに必要なものを相談して決めましょう。と言って電話を切りました。
とりあえず、寄付先が決まって一安心。後はいくら集まるか、集めるかです。目標金額は5万円かな?炊き出しも1人分1食100円弱とのことなので、550人なら一回ずつ。直接食料にならなくても、約500人の避難者に100円ずつ使ってもらうことを目標にしましょう。
川越は大きな災害に見舞われたことがありません。行政と市民が災害というテーマで連携関係を築くこと、いつか川越を襲うかもしれない災害に備えることにつながると期待しています。バングラデシュで長年やってきた、砒素対策のための行政と住民の関係強化。日本でも同じですね。