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AAN TOKYO

アジア砒素ネットワークの首都圏での活動を紹介します
http://www.asia-arsenic.jp/top/

今年も大学講義の準備

2011年09月02日 | インポート

とてもありがたいことに、毎年に数回ほど学校や大学での講義の依頼が入ります。

S大学では、2002年に私がこの仕事を始めてから連続して総合科目の講義を持たせてもらっています。特に初めのころは、何を話してよいか分かりませんでした。難しいことを逆につっこまれたらどうしよう!とそればかり不安でした。しかし、私が素人くさいためか学生さんがよく講義を聴き、質問までしてくれたたま、担当の先生から喜んでいただき、その後もつながりました。

一度、バングラデシュの事業報告のような話をしてしまったら、「大学1、2年生にはきつかったかも」といわれたことがありました。同業者相手の報告も緊張しますが、学生さんに対する話はどのような切り口にしようかとても悩みます。

私が伝えられるのは、NGOの職員として途上国とつながることの面白さかなと近頃思います。途上国の現場から、一つひとついろんなことを学べることは私の生きがいです。だから、現場の仕事でショックなことがおきても、「すべて勉強!」と乗り越えることができます。

私自身は今期待される「グローバル人材」とはほど遠いけれど、途上国の現場の面白さを伝えることで、私たちの後輩世代が海外に出て行く勇気をもってくれたらなと思う今日この頃です。さあ、今年も準備をしよう。


小市民の省エネ生活

2011年08月17日 | インポート

私は薄暗いところでボーっとするのが好きです。お産の後に習ったのです。疲れた体を休めるには薄暗いところでボーっとするのが一番だと。本当に体を休めるときはテレビも本も目を使うからだめなのだそうです。それ以来、疲れたなと思ったら薄暗くしてすごします。お風呂も電気なくて大丈夫。隣室から、隣家から、街灯からも。自分で電気つけなくてもそれなりに明かりは入ってくるので、結構見えます。借景ならぬ、借光ですね。

バングラデシュの農村にいたときは、バケツ一杯の水で沐浴をし、コップ一杯の水で歯磨きもしていました。それでも不自由を感じたことはありませんでした。寒い時期は、朝バケツに水を汲んで、日当たりの良い場所においてから沐浴しました。月明かりを頼って寝る前に歯磨きをするのもとても気持ちが良かったです。

クーラーをがまんして、電気もできるだけ使わずにすごしていたら、そんな昔のことまで思い出してしまいました。

毎日暑いですが、今年は町中クーラーを控えているから、室外機の風のせいで余計に暑いと感じることも少ないし、緑のカーテンを流行っているし、普段の夏より良いかもしれません。クーラー病も心配ないですしね。

皆さんはどんな夏をお過ごしですか?


高崎市の川で遊ぶ

2011年07月19日 | インポート

連休に家族で高崎市に行きました。2010年3月にバングラデシュの地方行政局の水担当の方を、高崎市にある若田浄水場にご案内し、その際水源の烏川の水がきれいそうで、ぜひ川遊びに連れてきたいと思っていました。

若田浄水場http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/s-jousui/shisetsu/wakata.htm

高崎に住んでいる親戚に電話をし、「子どもと水遊びをしたいのだけど、どこに行けばよいか?」と聞くと、「高崎市内で遊べるところはないよ。そんなに下水施設が発達していないから」と言われ、ちょっとびっくり。そこでレンタカーで、上流のお勧めスポットまで行くことにしました。

ところが、お勧めの場所に着いても、川に降りられる道がない。近所の雑貨屋さんに入って聞くと「最近じゃあ、川の水が汚れて、誰も遊ばないんだよ。まあ泳ごうと思えば泳げるとは思うけど」。確かに、、川へ下水(どんな水か分からないが)が垂れ流しになっている箇所が目に付くし、とにかく草が茂っていて、人が川遊びをした形跡もない。

結局、叔父がもう一つ教えてくれた少し下流の場所に行きました。そこは岩場で川におりて遊ぶことができたので、子どもたちを遊ばせました。大小様々な魚が泳ぎ、青く澄んできれいでした。

若田浄水場は、緩速ろ過の技術を使い、時間をかけて、自然も人にも優しい飲み水を作っています。取水源の烏川は、かなりきれいに違いないと勝手に期待していたのですが、私の期待ほどではなかったです。もちろん、浄水した後の水質は大丈夫ですが。

私の住んでいる埼玉県川越市は、私の子どものころは、川といえば臭くて汚くて近づく気にもならなかったけれど、そのころに比べ今はかなりきれいになりました。私が子どものころは入れなかった川で、子どもたちが遊んでいます。

一方、雑貨屋のおじさんの話や、叔父の話から想像するに、群馬では近年劇的に川の水質が改善したということはないみたいですね。日本中の川の環境が改善して、安心して遊べるようになると良いですね。


夏です!

2011年07月12日 | インポート

関東地方に夏が来ました。クーラーなしでがんばっています。

きゅうりを2本、苦瓜2本。朝顔いっぱい。バングラデシュへの出張前の5月に植えました。3週間不在の間にどれだけ育ったか、楽しみに帰国しました。きゅうりも苦瓜もならなくて良いから早くカーテンになってくれ!忘れていた風鈴も探し出して2つつるしました。

昨日はお休みをいただき、『100,000年後の安全』を川越のスカラ座に見に行きました。(スカラ座は、NHK連ドラでラジオポテトがあった「川越キネマ」のモデルになった、昭和を感じさせる小さな映画館です)

原発は危険。そう、電気がなくても、エアコンがなくても、がんばれる体にならなくては。。。

(無理な節電はやめましょう、と放送が流れていますが)


フリマが広がる?

2011年03月31日 | インポート

今朝、先週のフリマを一緒にやった友人からメールが来ました。

すごいネ!本当にあんなに売り上げがあるなんて!企画運営ありがとう。今日会社でも提案するつもり。会社では2ヶ月に1度不用品交換会をしているので下地はあるのよ!

と書かれていました。

そうそう、これを期待していたんです。一回だけやっても金額的にはたいしたことにはならない。でも他の人が真似をしてくれれば、広がっていくから。良かった

また新しいことを考えよう!


「とうほくかんとうおうえんフリーマーケット」開催

2011年03月28日 | インポート

3月26日、地域の人たちと一緒に「震災被害にあって川越市に避難されてきた人たちへの支援を目的とした」フリーマーケットを開催しました。私の子どもが通っていた家庭保育室の在室生・卒室生や町内の人たち、その他関心を持ってくださった人たちが集まりました。小学生の子どもたちもポスターを書いたり、当日は小さな子が飽きないように、昔遊びコーナーを担当してくれたり、おお張りきりでした。(ブログのタイトルもポスターから抜粋)

最初に、寄付先が川越市であること、目標金額は川越市が受け入れる予定が550人なので1人100円として5万円、このお金は50人の方が1000円ずつ買い物をすることで捻出できること、などを伝えておきました。多くの方が1000円を目安に購入してくれて、ほぼ目標金額を集めることができました。

「自分では動けないけど、やってもらえると助かる」

と皆理解を示してくれました。実際、超お買い得な掘り出し物がたくさんあって、チャリティを超えても喜んでもらえました。

お金を預かったので、責任を持ってお役に立てなくてはいけません。川越市の窓口が開いたら早速電話します。

今回準備期間は5日程度でしたし、それほどの負担はありませんでした。目的や目標を明確にすれば協力者が確実に増えることがわかりました。機会があれば色々なところで同じような取り組みをして、募金活動の輪を広げていければと願っています。


放射能、どうとらえたらよい?

2011年03月25日 | インポート

福島原発からの放射線物質の汚染のニュースが毎日飛び込んできます。聞きなれない単位。周りの反応も、とても深刻にとらえている人、全然大丈夫と楽観視している人と様々。

自分で正確な情報を更新し、勉強して判断し、判断に基づいて適切な行動をとる。このことが求められているけれど、とても難しいことです。

そんな中で忘れてはいけないと思うことがあります。放射能なり様々な環境汚染のリスクは、皆に平等に行くのではない、ということ。今回の事故で、関東地方を含む福島原発周辺の住民が、皆一律に寿命が3日ずつ短くなる、ということなら、極端な話、騒ぐこともないと思うのです。しかし、そうはなりません。お金がない人、頼れる知人・親戚がいない人、正確な情報をつかみ判断する力のない人、肉体的に弱い人、職や住まいを変えることが容易でない人、いわゆる「弱者」がより高いリスクにさらされることになる、ということです。

埼玉県民の私も特に子どもの健康を考えると不安はあるけれど、私たちよりもずっと高いリスクにさらされている人たちがいて、その人たちの安全確保を優先できるような環境を作っていかなければならない、自戒の意味をこめて思います。

飲料水の汚染の報道を受けて、スーパーにミネラルウォーターは1本もありませんでした。でも原発周辺の屋内退避の地域では未だに断水しているところがあると聞いています。ボトルの水はこの地域に優先されるべき、そうした判断を市民ができるような情報をテレビは流してほしいと思いました。


フリーマーケットをやります

2011年03月25日 | インポート

地震から1週間たった3月18日の金曜日。一人の友人からメールが届きました。

「親戚が福島原発の近くから着の身着のままで逃げてきました。3人の子どものための服を探してもらえませんか」

私はすぐ他の友人にメールで協力を呼びかけました。メール後30分以内に家の玄関は子供服の山になりました。その服は次の日に友人の親戚に送られたそうです。

もう一つ同じ日、別のNGOで勤める夫から「明日被災地へ向けて車が出るが、防寒着や食料がすぐ集められるか」という連絡が入りました。それにもやはり近所の友人が応えてくれて、次の日夫に大きなスーツケースいっぱいの荷物を託すことができました。

そのことがきっかけになり、近所の方から私に支援物資を受け取ってほしいという申し出が続きました。しかし、被災地・避難された方のニーズはどんどん変わっていくので、物をお預かりすることは難しくなりました。ならば、フリーマーケットをやって現金に換えようと思いついたのが3月21日(月)でした。26日(土)にすぐ近所のお稲荷さんでフリマをすることに決めました。

で、問題は寄付先です。私の住んでいる埼玉県川越市でも福島原発から避難された方を中心に550名の方を受け入れる準備をしています。支援にあてたいと思ったのですが、川越市に寄付すると、そのまま共同募金会に行ってしまうとのことでした。それは悪いことではないですが、地元で集めたお金を地元で行う支援に役立ててほしいと思いました。どうしようかと悩んでいると、友人が知恵を与えてくれました。「川越市は支援物資も募集している。これは川越で受け取り川越で使われる。寄付金を物に変えて、支援すればよい」と。

なるほど!早速川越市のHPを確認。カップ麺やカンパンなどの保存食、タオル、ティッシュなどの生活必需品が、受け入れ対象物として並んでいました。「何?ここまで来てカンパンは必要ないのでは?もうあきていらっしゃるのでは?」と思い、担当課に電話をしました。

まだ実際避難している人も少ないのでニーズが良く分からない。今日行ってみて枕がないことに気がついた。避難所は畳だが、一人あたり毛布二枚だけで眠らなければいけないので枕がないときついと思った。

とざっくばらんに話をしてくれました。フリマが終わってからもう一度電話をして、そのときに必要なものを相談して決めましょう。と言って電話を切りました。

とりあえず、寄付先が決まって一安心。後はいくら集まるか、集めるかです。目標金額は5万円かな?炊き出しも1人分1食100円弱とのことなので、550人なら一回ずつ。直接食料にならなくても、約500人の避難者に100円ずつ使ってもらうことを目標にしましょう。

川越は大きな災害に見舞われたことがありません。行政と市民が災害というテーマで連携関係を築くこと、いつか川越を襲うかもしれない災害に備えることにつながると期待しています。バングラデシュで長年やってきた、砒素対策のための行政と住民の関係強化。日本でも同じですね。


バングラデシュ・インドからのエール

2011年03月21日 | インポート

AANのバングラデシュ人スタッフたちが、東北関東大震災の被災者支援のために寄付を集めてくれることになりました。スタッフたちは、「日本人がこれまでバングラデシュにしてくれたことへの恩返し」として何かしたいと考えてくれていたようなので、こちらからお願いしました。

国際協力は、先進国から途上国への一方通行ではもうなくなった。

困った地域へ助け合いをする。

あの時、誰は(どこの国)は自分たちにこんなことをしてくれた。

そんなふうに思いあえる関係を作ることは財産だと思います。

もう一つ、私に20年近く前にベンガル語を教えてくれていたダス先生と、Facebookを通じて連絡が取れるようになりました。Facebookの使い方が良く分からず、使いこなせないでいた(いる)ある日、

"I am finding same name of you who was my student before long time"

というメッセージが届きました。先生はバングラデシュ出身ですが、今はコルカタにいました。

先生も日本のことをとても心配してくれて、自分の職場で声をかけ、寄付を集めてくれると言っています。

金額は多くないかもしれません。でも、バングラデシュ・インドの市民が日本を心配して、お金を集めてくれる、このことはかけがえのないことです。絆を感じられる寄付先を探したいと思っています。


埼玉アリーナ

2011年03月20日 | インポート

私が住む埼玉県にも、福島原発周辺からの避難者がたくさん来られています。双葉町の役所機能ごと引っ越したアリーナに行ってきました。

埼玉県のHPでは、ボランティアは足りている、救援物資も新品箱詰めだけと書かれていましたが、実際行ってみると、様々なニーズがあることが分かりました。

ボランティアは受付終了と書いてありましたが、何せアリーナが広いので、荷物を運ぶだけでたいへん。ボランティアの人たちだけでは足りていなかったので、少しお手伝いさせてもらいました。

救援物資もカップめんなどの食品、衣料品(下着は新品、他はクリーニングor洗濯済みのもの)を時間を区切って受付、避難されている方に配布しているとのことでした。

ダンボールを毛布の下に敷くとクッションになるとのことで、ダンボールを運んでいる人が多く見られました。

私は原発の問題は、アジア砒素ネットワークが扱っている砒素の問題と共通項があると思っています。まず、人間の便利を追求した結果起きた環境問題である面において、そして、中央をささえるために地方に犠牲がいっている面において。

できることを見つけて協力していきたいと思っています。