「地球の歩き方2015~16」に「ベンガル料理を上手に食べる」という食に関するコラムを書かせていただいた。「バングラデシュは好きだが食事が合わない」と悩む日本人が、元気に滞在するヒントを集めたが、同時にバングラデシュ人への食生活への警鐘を鳴らす意味も込めた。私は大のベンガル料理好きで、滞在中は選択肢があっても、ダルバート(ご飯と豆スープ)と野菜のおかずを選ぶ。それほどベンガル料理びいきだが、多くのベンガル人に、早急に食生活のあり方を見直してほしいという強い思いを抱いている。
私が働いているアジア砒素ネットワークはバングラデシュで、飲料水ヒ素汚染対策の一環として慢性ヒ素中毒患者の支援を90年代から行ってきたが、2013年からはヒ素中毒症とあわせて生活習慣病対策にも着手している。癌、糖尿病、心脳血管疾患、慢性呼吸器疾患、慢性ヒ素中毒症などは「非感染性疾患」と呼ばれるが、これらの病気のリスクを低減する目的で、予防啓発、早期発見のための健康診断、貧困問題を抱えた患者の生活支援、環境改善など、日本の外務省の支援を受け、保健サービス局など現地関係機関と連携しながら対策を進めている。
この活動を通じて私たちは、ジョソール県内の田園地帯で暮すモリオムさんという女性に出会った。35歳のモリオムさんは半年程前から体の一部に麻痺が出ている。近所の村医者は、脳梗塞が疑われるので検査を受けるよう勧めたが、経済的理由から検査も治療も受けられず、日々症状を悪化させている。3月末、私が訪ねたとき、モリオムさんは中庭の地べたに座らされていた。言葉も出ず、排泄を含む全介護の状態だという。夫はバンリキシャの運転手。農地もなく、家屋や家族の様子から、彼女の35年の人生が貧しさの中にあったことは疑いの余地がない。
モリオムさんのような、農村部に貧困ライン以下で暮す働き盛りの女性の間に、糖尿病や脳梗塞といった生活習慣病が確実に広がっている。原因は断定できないが、山盛りのご飯をジャガイモで食べるといった過度に炭水化物へ偏った食事内容、質の悪い油と塩分の過剰摂取、食品や飲料水の安全性の問題、深夜の食事習慣など、食生活のあり方がまず疑われる。栄養バランス、食事時間ともに食行動の見直しは待ったなしだ。更に女性には、経口避妊薬の誤った使用、運動不足など特有の健康課題もある。女性は病気になっても、一人で病院に行くことができず、また家事労働に従事する女性の治療費の優先順位が低いこともあり、重症化させてしまうことが多い。このような健康の社会的決定要因が、生活習慣病の発症と重症化の増加に少なからず影響を与えている。
モリオムさんの末子はまだ小学生。小さな子どもを持つ年齢の人たちが、病気を重篤化させ、医療も受けられないまま全介護になる、あるいは貧困のつけを次世代に残して命を落とす事実を目にする度に、何とかしなくてはいけないという思いに駆り立てられる。
バングラデシュは、母子保健や感染症分野で大きな実績をあげてきたが、生活習慣病対策においては大きな遅れをとっている。非感染性疾患による「死」はすでに死者全体の6割を超えている。そして糖尿病や脳梗塞の治療を原因に貧困に転落する人が多いことも課題だ。
課題は山積しているように見える。しかし、コミュニティクリニックやそれを支える住民組織に代表されるように、これまで保健分野で培ってきた物的・社会的な資源は、生活習慣病の予防対策にも必ず活かせる。地域レベルで取り組めば、経済的負担は比較的小さくて済む。逆に予防に手を付けなければ、いくらお金があっても足りない。回避可能な疾病を減らし、本来払わなくて良かった治療費が出ていかない地域づくりを進めることが何より大切だ。
日本で生活習慣病の予防対策が開始されたのは1970年代だった。多くの課題を抱える日本だが、30代40代の健康が大きな社会問題になっていないのは、日本政府の舵きりが早かったからと確信する。バングラデシュと日本人の文化的な親和性は高く、様々な分野での交流や学び合いの蓄積は厚い。「地球の歩き方」でも述べたが、日本文化を押し付けるのではなく、バングラデシュの人が健康を考える時のオルタナティブの一つとして、日本の食習慣を伝えていってほしいと、旅人にさえ望む。ましてや、バングラデシュの発展を支援されている方には、「生涯を通じた健康の実現」に目を向け、力を貸していただきたいと願う。
(文責:石山民子)
※本稿は、日本バングラデシュ協会のメールマガジン2015年5月号に掲載させていただいたものです。
私が働いているアジア砒素ネットワークはバングラデシュで、飲料水ヒ素汚染対策の一環として慢性ヒ素中毒患者の支援を90年代から行ってきたが、2013年からはヒ素中毒症とあわせて生活習慣病対策にも着手している。癌、糖尿病、心脳血管疾患、慢性呼吸器疾患、慢性ヒ素中毒症などは「非感染性疾患」と呼ばれるが、これらの病気のリスクを低減する目的で、予防啓発、早期発見のための健康診断、貧困問題を抱えた患者の生活支援、環境改善など、日本の外務省の支援を受け、保健サービス局など現地関係機関と連携しながら対策を進めている。
この活動を通じて私たちは、ジョソール県内の田園地帯で暮すモリオムさんという女性に出会った。35歳のモリオムさんは半年程前から体の一部に麻痺が出ている。近所の村医者は、脳梗塞が疑われるので検査を受けるよう勧めたが、経済的理由から検査も治療も受けられず、日々症状を悪化させている。3月末、私が訪ねたとき、モリオムさんは中庭の地べたに座らされていた。言葉も出ず、排泄を含む全介護の状態だという。夫はバンリキシャの運転手。農地もなく、家屋や家族の様子から、彼女の35年の人生が貧しさの中にあったことは疑いの余地がない。
モリオムさんのような、農村部に貧困ライン以下で暮す働き盛りの女性の間に、糖尿病や脳梗塞といった生活習慣病が確実に広がっている。原因は断定できないが、山盛りのご飯をジャガイモで食べるといった過度に炭水化物へ偏った食事内容、質の悪い油と塩分の過剰摂取、食品や飲料水の安全性の問題、深夜の食事習慣など、食生活のあり方がまず疑われる。栄養バランス、食事時間ともに食行動の見直しは待ったなしだ。更に女性には、経口避妊薬の誤った使用、運動不足など特有の健康課題もある。女性は病気になっても、一人で病院に行くことができず、また家事労働に従事する女性の治療費の優先順位が低いこともあり、重症化させてしまうことが多い。このような健康の社会的決定要因が、生活習慣病の発症と重症化の増加に少なからず影響を与えている。
モリオムさんの末子はまだ小学生。小さな子どもを持つ年齢の人たちが、病気を重篤化させ、医療も受けられないまま全介護になる、あるいは貧困のつけを次世代に残して命を落とす事実を目にする度に、何とかしなくてはいけないという思いに駆り立てられる。
バングラデシュは、母子保健や感染症分野で大きな実績をあげてきたが、生活習慣病対策においては大きな遅れをとっている。非感染性疾患による「死」はすでに死者全体の6割を超えている。そして糖尿病や脳梗塞の治療を原因に貧困に転落する人が多いことも課題だ。
課題は山積しているように見える。しかし、コミュニティクリニックやそれを支える住民組織に代表されるように、これまで保健分野で培ってきた物的・社会的な資源は、生活習慣病の予防対策にも必ず活かせる。地域レベルで取り組めば、経済的負担は比較的小さくて済む。逆に予防に手を付けなければ、いくらお金があっても足りない。回避可能な疾病を減らし、本来払わなくて良かった治療費が出ていかない地域づくりを進めることが何より大切だ。
日本で生活習慣病の予防対策が開始されたのは1970年代だった。多くの課題を抱える日本だが、30代40代の健康が大きな社会問題になっていないのは、日本政府の舵きりが早かったからと確信する。バングラデシュと日本人の文化的な親和性は高く、様々な分野での交流や学び合いの蓄積は厚い。「地球の歩き方」でも述べたが、日本文化を押し付けるのではなく、バングラデシュの人が健康を考える時のオルタナティブの一つとして、日本の食習慣を伝えていってほしいと、旅人にさえ望む。ましてや、バングラデシュの発展を支援されている方には、「生涯を通じた健康の実現」に目を向け、力を貸していただきたいと願う。
(文責:石山民子)
※本稿は、日本バングラデシュ協会のメールマガジン2015年5月号に掲載させていただいたものです。