AAN TOKYO

アジア砒素ネットワークの首都圏での活動を紹介します
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バングラデシュでのホームステイ 2015年9月

2015年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム
9月10日、バングラデシュ人の女性スタッフのシャハナズの家に泊めった。彼女の家は、近くに小さなバザールがあるものの、田園風景の中にある。夫は材木の商売をしており、夫の両親と弟と一緒に暮している。

夕飯を食べてから、近所にたくさんいるという糖尿病患者の家を数件回りました。私より年齢的には若いお母さんたちが、糖尿病になっています。どこの家も裕福ではなく、話を聞くと生活は苦しそう。

8時くらいだったが、どこの家も男性がいないことに気づく、
「この時間、どこの家も男はいないのよ。バザールに行っているから。10時くらいにならないと帰ってこない」という。
バザールで何をしているかと聞けば、仕事ではなく、お茶屋に座り、甘い紅茶を飲みながら、おしゃべりをして、テレビ観賞しているそう。日本の飲み会と同じ時間の使い方。

各家で多少の差はあるようだが、総じて男たちの関心はバザール(町)に向けられており、子どもの勉強や妻の健康といった家庭には向けられていないよう。都会を見る限り、子どもの教育に熱心なお父さんが普通と思っていたが、ここはまだまだ昔の価値観が根強いのだろう。

本当は夜のうちに、バザールに行って、男性に話を聞きたかったが(それに村中の男が座れるほど椅子があるのかも気になったし)、シャハナズの夫に止められたので、翌日の朝バザールを見に行き、夕べの話を聞いた。
「夜遅くまで残っていて、一体、何杯お茶を飲むの?」
「夜だけで5~6杯は飲むね。一日15杯くらい飲むんじゃないかな」との回答。
あの激甘ミルクティを15杯?うそ!考えただけで辛い…

私たちがNGO(アジア砒素ネットワーク)の活動として生活習慣病対策を始めて2年半になるけれど、村の生活や価値観ってそんな簡単に変わるもんじゃないない。男性の社交場であるバザールにしか関心のない男性が、子どもや妻の将来に意識を向けるようになるのは、どんなきっかけなんだろう。(日本で,私たちの親の世代に聞けば回答がもらえそうでもある)

もう10年以上前になるが、バングラデシュの吟遊詩人や旅芸人の人たちの取材をしていたことがある。その時、彼女・彼らの立場からNGOを見ると、「風紀委員が来るときは優等生の答えをしとこ」みたいな空気を感じたものだった。久しぶりにその感覚を思い出した。

でも、シャハナズはどこまでも真剣。家族にも、近所の人にも、相手が健康で幸せになれるように、本気でぶつかっていく。それは彼女が結婚するまで、町に住んでいたからかもしれないし、彼女自身が様々な苦労を乗り越えて「今」を迎えた苦労人だからかもしれない。
糖尿病の人に出会ったら、「生活習慣変えないとダメよ。病院に行かないと大変なことになりますよ」。最後に必ず「ショッティ、ショッティ!」。ショッティは「本当に」の意味で、「ホントに、ホントに、守ってよね」と切なくなるほど訴える。
彼女のような人がバングラデシュを変えていくのだと思う。

ホームステイから一か月後、2015年10月初めに、農業分野の協力でバングラデシュ北部の農村に入っていた邦人男性が射殺され、直後に「ISIL(イラク・レバントのイスラム国)バングラデシュ」を名乗る組織が犯行声明を発出し,イスラム諸国における外国人に対するさらなる攻撃の可能性を示唆した。一日も早い事件の真相解明、世界的な治安の安定を祈るが、当分、ホームステイどころではなくなったことは確かだ。

シャハナズの家のベランダからのぞく景色は、サタジット・レイの映画のシーンを思い出すほど、静かで、熱帯植物の緑がまぶしかった。
「自分の人生は、人より遅れて、ゆっくりゆっくり良いことが訪れるのよ。チャンスや幸運を与えられた分、自分にできるだけのことをしたい」とシャハナズが話してくれたことも、ずっと大切に覚えていたい。