がん戦争 ~ポケットの中の2年戦争~

余命1年と言われたしがない28歳が綴る、放蕩と堕落に
充ち満ちた末期な日常。
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死を受容するには、小難しい理屈が必要なのか?

2005-08-10 | 闘病
さて、件の女史が書いたエッセイ、批評を読んでみた。

ふむふむ、なるほどね・・・こりゃひどいわw
すごいこき下ろされてますな、漏れら。

なんつーか、全体を通しての感想なんだけど、小うるさい小姑の小言の
ような感じだ。
わかってるよ、そんなことくらい、何を今更感が漂うな、あの文章・・・。

死に直面したら、他人にその経過を公表することなく、ストイックに孤高な
精神で独り考えることこそ、大切であると説いているみたいだけど、「自分自身で
あること」は様々な他人と交わってこそ、認識出来うるものなのではないのかな?


私はむなしかった・・・ってあったけど、漏れはそんなあなたこそむなしいと
思ったよ。
多様な価値観を受け入れ、時代の潮流を上手に取り入れながら進化してしくことが
必要な感じがするのだが、哲学とはどうやら、そうじゃないらしいw


じゃあ、人間は死に直面したとき、何に救われるのだ?
結局、自分自身だけなのか?