「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

幼少期の私

2010-01-11 | 日記
私は6人兄弟の3番目で、一応長男では有るが、少し年のはなれた姉2人の影響が強かったのだろう、遊ぶ相手は姉たちの同級生が殆どで、小学校に上がるまで自分のことを「あたし」と言っており、入学式の日に周りから哂われて恥ずかしい思いをしたことも覚えいる。
当時の私は非常に弱虫で、5歳くらいの頃だったと思うが、歩いて5分くらいのところに出来た教会の中の幼稚園に入れられたのだが、神父さんが怖くて5日後には泣き叫んで行く事を拒んだのである。
この頃の事は結構覚えているのだが、私の人生を狂わせる事になる「大事件が起きた小学3年生」の頃の記憶は殆ど残っていないのである。
今でも1年生の時の担任の先生の顔も、2年生の時の担任の先生の顔も思い出せるのに、なぜか3年生の時の記憶だけが希薄で、アルバムで確認しても「こんな先生だったんだ・・・・」と言う程度でしかなく、余程思い出したくないことが起きていたのだろう。
そして、父の姿も、記憶に無い3年生の頃を境に激変していたのであるが、この事に気が付いたのは、未だずっと後のことなのである。
それでは2年生の頃までの父はどうだったかと言うと、後になって思い返してみると「子煩悩な優しいお父さん」であり、私が少しくらい悪戯をしても全く怒らなかったことを思い出すのであるが・・・・、記憶が残りだした4年生の頃には激変していて、夜になってお酒を飲むと毎日のように母と口論になり、、そのとばっちりで、毎日と言ってよいくらい殴る蹴るの暴行を受け、一度は、雪の降る夜の庭に寝巻き姿で放り出された事も有るのだが、何故か母は助けてはくれなかったのであるが、その原因が「私のうまれた日」にあることはずっと後にならなければわからなかったのである。


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1 コメント

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いくらなんでも… (百合)
2010-01-20 18:01:01
寝巻きのまま、雪の降る中放り出して平気なんて無茶苦茶じゃない。母性本能さえも働かなかったなんて…。百合じゃ耐えられないな。おじさんは精神的にタフだね。
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