ピロソピア愛知

幼年期のピロソピーかんがえる

未來の子 ピロソピア知性 未来の人類

2013-03-31 | 未来の子 ピロソピア知性 未来の人類


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『言葉と物』 第十章 人文諸科学

 ともかく、ひとつのことがたしかなのである。それは、人間が人間の知に提起されたもっとも古い問題でも、もっとも恒常的な問題でもないということだ。比較的短期間の時間継起と地理的に限られた載断面――すなわち、十六世紀以後のヨーロッパ文化――をとりあげることによってさえ、人間がそこでは最近の発見であるという確信を人々はいだくことができるにちがいない。知がながいこと知られることなくさまよっていたのは、人間とその秘密とのまわりをではない。そうではなくて、物とその秩序に関する知、同一性、相違性、特徴、等価性、語に関する知を動かした、あらゆる変動のなかで――すなわち、《同一者》のこの深い歴史のあらゆる挿話のなかで―― 一世紀半ばかり以前にはじまり、おそらくはいま閉ざされつつある唯一の挿話のみが、人間の形象を出現させたのである。しかもそれは、古い不安からの開放でも、千年来の関心事の光りかがやく意識への移行でも、信仰や哲学のなかに長いこととらわれてきたものの客観性への接近でもなかった。それは知の基本的諸配置のなかでの諸変化の結果にほかならない。人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
 もしもこうした配置が、あらわれた以上きえつつあるものだとすれば、われわれがせめてその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが十八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば―― そのときこそ賭けてもいい、・・・・



言葉と物――人文科学の考古学  ミシェル・フーコー 著  渡辺一民・佐々木明 訳  新潮社





【 ソピア知 】


  <宇宙公理を希求し、宇宙公理を認識し、宇宙公理と対話する> という人間の本性となって出現した脳本来の純粋な働き:宇宙公理そのもの同一態 〔ソピア知〕 は、― 少なくとも宇宙開闢時より、自己進化の乱流に翻弄され、幾多の変遷を経、暗中模索、試行錯誤、失敗失敗又失敗又々失敗、極々僅少貴重な成功を積み重ね、<宇宙公理を認識する同一者>今日の人間その頭脳として自らを具現化し、物体・身体という形象を保有し、感覚知覚的にも実存しうる存在者となり、 ― 現在 人類の師―ソクラテス、プラトン、アリストテレスの活躍した古代ギリシャ時代の頃から、ミシェル・フーコー (1926-1984) の現代まで、ようやく<ここまで>辿り着いた。
 表現をかえるなら、<そのとき>は、疾風怒濤の勢いで目前に迫り来ている。   
  


 * 「さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって」

 「何らかの出来事」とは、― 人類の師ソクラテス=プラトンが著作『洞窟の比喩』で説く、― 住み慣れた生活の場、つまり真実体の認識かなわず、ものの影・非実体のみしか感知認識できないでいる暗く狭い洞窟の中の生活から、陽光燦々とあまねく照りそそぎ、ものみなその正体・真実体を明晰に顕示する地上〔イデア〕世界へと(不安と恐怖に苛まれながら、全ての人間・人類がこぞって)脱出する、こと。

 人類洞窟脱出 それは、地球・人間精神世界を厚く被覆し尽くす <暗幕 フリードリヒ・ニーチェ 1844-1900 が一気に引き剥がされる激変、また、フーコ―の説く地球・人間精神世界の<地盤>が一気にくつがえされる激変等と、表現する言葉などは異なるが、内実はピタリ合致する同一の出来事である。その出来事が、パノラマを目の当たりにするかの如く、感知可能となった人々に驚愕や感動、強烈な印象を与えながら、近未来の人間人類の現象及び本体両世界において、沈着確実に粛粛として展開されていくのである。

 ―― 





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【 未来  未来の知性 未来の子 未来の人類 】


―― 人類は、 ―― 早晩、 ―― <そのとき>を迎える。

―― 人間本性覚醒による洞窟脱出。

―― それにもとづく人類進化完遂の<そのとき>。

―― 間違いなく。 

―― 



宇宙進化の必然

 ―― 真性認識の創造誕生により、〔ソピア知〕は人間・人類の本性として現実態となる。

 ―― 新旧間にミッシングリンク介在の空白もなく明々白々、人間の本性そのものでもある〔ソピア知〕に目覚めた人間〔ピロソピア知性〕が創出されるのと入れ替わり、これまでの<眠った>人間・人類は消滅する。

 ―― それに伴い、負の感情、負の心理、負の精神、それら過誤にまみれながら永永と構築されてきた、負の文化・伝統、負の文明、負の歴史もまた相伴って終極にいたる。


覚醒した人間より成る、覚醒した人類。

覚醒をもって、その進化を完遂させた人類は、新規まき直しの文化文明の黎明、―― 

真! 輝かしい! 真人類歴史の夜明け! を迎える!



進化完遂・目的をはたした〔ソピア知〕― 宇宙公理

進化完遂をはたした〔ピロソピア知性〕 ― 未来の子 未来の人間 未来の人類


ホモ・サピエンス・サピエンス・ピロソピー

未来の人類 ホモ・ピロソピー




さらに進みゆく 〔ソピア知〕 〔ピロソピア知性・未来の子・宇宙の子〕 ―――――


 

















未来の子 負の心理

2013-03-31 | 未来の子 負の心理

飛躍的な人類の進化を遂げようと、希求する未来の子。その行く手を遮る負の心理。 




【乳幼児・ 子どもたちの真に健全な心身の発達の為に 】


■ また、運動量も甚だしく不足。子ども達でごった返す室内を、定番の玩具を手にし、あてどもなく右往左往して日々を過ごす子ども達。

* 屋内屋外を問わず、日常生活を送りながら、常に、少しでも、五体を動かす自由な運動ができるよう涙ぐましい努力が。
辛うじて、たった一つの、貴重この上ない、運動用具となっていた、片付けられたベッドを出し、安全性に十分注意工夫を施したうえで使わせてあげよう。

* ベッドはその様な運動や遊びに使うものではない、との固定観念に捕われず、また危ない、見苦しい、片付けよう、との短兵急な考えではなく、せめて、よじ登る降りるの登はん運動(本能)が少しでもできるように、<子どもは何を求めているのか>を優先して考えていく。

* 児童や大人がする運動を基準に、幼児は未熟でまだ出来ないのだからこの程度でよいだろうとの短絡的な判断によるのではなく、発達を踏まえた考察の上で、他にも運動できるものを工夫し備える。





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 【 負の心理 】

 ☆ 深層でうごめく舅姑根性 村社会根性 島国根性等

 そこには、「子どもごときに、naninaniさせてなるものか!」といった子ども・弱者に対して大人・強者が抱える相手を見下す優越感情・支配心理が無意識のうちに働く。それが害されると、「我慢ならない」「沽券に関る」「メンツが立たない」と、子ども相手に気分を損ね、益々意固地になり、自分が優位に立つまでむきになって理屈をこじ付け意見を正当化し、尊大な意地を張り通してやまない大人たち。
 日本では、嫉妬にひがみ被害妄想等々絡む舅姑小姑根性、重箱の底で有象無象隅を楊枝で突っつきあう村社会根性、飛行機はおろか船の影さえ掠めもしない島国根性、などに含まれている。
 時代の変遷と共にこれらの言葉は使われなくなっている。しかし、上辺の姿は移り変わっても人の心理が変わることはない。


 ☆ 支配心理・被支配心理 馴致心理・被馴致心理等

 有史前、人間が人間以前の人間のときより、世代から世代へと継承され続け現代である今日に辿り着いてもなお、そうと気付かれない、負の心理。
 それらの心理は変様するのみで何ら変質なく、今もなお人々の心底に根強く残存する。 

 人々を我欲達成のために役立てる道具と、徹頭徹尾そう見做す支配者の根本にとぐろを巻く、傲慢不遜極まりない支配者の心理、それとは裏腹に、元始 他よりいち早く支配欲に目ざめたその征服者・支配者による元始制圧、統治のため、疑いも抗う意思もその術も全く皆無、幼児同然の未成熟な原始頭脳のまま、瞬く間に制圧、馴致され、従順な隷属化の挙句、課せられる元始奴隷元始家畜の労役、元始不当であり過酷な労働の日々であるに関わらず、家畜のように為されるがままを安んじて受入れる他に道はなく、当の支配者に征圧され馴致され奴隷化されたことにも、我が身に何が起こったかさえも意識できず、ひたすら恐れ多くして、ひたすら貴く有難く、ひたすら恭順の意を表し続ける元始の人々・私たちの祖先、被馴致者・被支配者、その心理。
  
 大は、神(自然の脅威)にたいする人々の畏怖畏敬の念を巧みに弄し、― 神の威を図々しくも狡猾にちゃっかり素早く確りと着服、<神の衣を身に纏い>(ニーチェ)、わが身を神格化し、民衆以前の民衆・民以前の民・人以前の人々を威嚇し、<電光石火>の勢いで、目論み通り恐怖に怯え震え慄く人々をいとも容易く制圧し、馴致し服従隷属させ、統御、君臨する東西問わない征服者、古代酋長・専制君主における支配欲、および両者、神の威を借り何食わぬ顔をして神に成済ます者とそれを畏れ敬い盲従させられる者との関係から、 小は、支配欲、詭謀が他に先んじて突出したそれらの者に恐怖心を掻き立てられ、いとも簡単に元始奴隷狩りされ馴致・制御され、人間本性の芽が、芽吹く先から先へと完膚なきまでに殲滅された惨禍に起因する、太古の昔より現在に至るまで普く人々の真髄に遺伝・相承され続けてきている、繋縛され”頭をめぐらす”ことも身動き一つとることもできず無論逃れることも避けることもできないできている、意識に昇ることさえも絶無できている、被圧殺感、その現存し続ける被圧殺感、・・・等々をもって、強者が弱者を、弱者がより弱者を、より弱者がよりより弱者をと類同の仕打ちをもって弱者を甚振る・苛めいびり賎しめ貶め遣り込め痛め付け打ちのめし叩き潰す、何が何でも人間の本性人間の尊厳を殲滅しようとせずにはいられない、負の感情連鎖― 親子間、兄姉弟妹間、保育教育者と被保育教育者(子供達)間、大人同士、子ども同士、また動物の虐待等々、それらにおよぶまで。


 神・自然の脅威に恐れ慄き、
その前に平伏し、額ずき畏まり、崇め奉ろうとする、人間精神根源に由来する、― 
すべての人間の真髄に巣食い蔓延っている、負の感情、負の心理、負の精神。





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■ 学習の即刻中止

 「小学校の授業を参考に、国語・算数・体育・生活・(英語まで)など、それぞれ時間割りを組んで幼児に学習させている。子どもたちも喜んでやっている。これで良し」―得々と自画自賛、自己満足に終始しているのみの自分に気付こう。

百害あって一利なし。保育幼児教育が、学校教育の物真似であってはならない。――

☆ 将来、学校教育もまた、幼児教育と共に遷移する仕儀となる。


 子どもたちは、自然を見たい! 自然を知りたい! 自然を考えたい! 考えさせて欲しい! 邪魔立てしないで!!考えさせて欲しい!! と、脳の内奥より純粋に切望し懇願している。
 地球の自然、 生物・非生物、 自然現象、 太陽・月・星々など天体の運行、 等々に触れさせ関心を向けさせ探究心を引き出させていく。

 子ども・人間が望むすべての物が自然の中に潜在・顕在している!

その自然を <自力で見させ、 自力で考えさせ、 自力で発見させ、 自力で明晰確実に知覚認識化させる> 覚醒・目覚めさせていく導きが最も大事である。

<自分が見る> <自分が考える> <自分が発見し、自分が明瞭で確実な認識をする> 本物である自然を介して基礎概念覚醒に基く <思惟及び認識> を最重要視し、そのための指導を主軸とする。



■ 基本的生活習慣を身につけることは勿論大事。しかし、これは一般的な社会生活をしていれば自然に身についていく類のものである。また、自己確立ができれば自立もするし、自律もする。
おしっこが言えない、ご飯をこぼす、服が着れない。― 心配して、しつけ躾けと神経質にならなくてもいいのですよ~。



■ 平面画像、映像等の視聴厳禁

 子ども達のためとの思いを込めて作られた玩具や知育用具などの人造品。特に、視覚に依存したグッズ、絵本雑誌、アニメ・ゲームなどの動画、生活雑貨や必需品にプリントされたキャラクター・略画、等々。
 たとえそれが視聴覚用教材であろうと、名画であろうと、画像は、幼い脳の真性な活動 〔人類の師ソクラテスの思惟と認識・人類の師プラトンの思惟と認識・人類の師アリストテレスの思惟と認識、と同じ、エネルゲイアと協働の脳活動。 これは、『洞窟』の外の世界・イデア世界での脳活動となる〕 を阻み、止めを刺す。

 それら画像を通じて生ずる概念・認識は、仮性(疑似)概念・仮性(疑似)認識であり、仮性概念・仮性認識が先行すれば、脳の真性な働きによって創出される真性概念・真性認識は、燦燦と煌めきふりそそぐ陽光を浴びる空きもなく暗闇に葬られ、黙然として無念の涙を呑むばかりである。



■ 脅しで、子どもの恐怖心を煽る。

 年中行事や、日常生活をおくるなかで一般的慣習として深く根付いている子どもに対する脅し。

・伝統を伝えていくのは大切だから ・怖がる様子が面白いから ・言うことをきかないから、 
・絵本から ・動画から ・玩具から 等々のグッズから、垂れ流し状況で、与えつづけている恐怖。

常日頃より疑問一つ抱かず、子どもに投げかけ続ける様々な脅し文句。脅し。

 一たび恐怖心が起こると「コワイこわい」と頭のなかは恐ろしさで溢れかえる。恐怖に脳を占拠されると、大人であっても子どもであっても、茫然自失<なにも考えられない情態>思考停止に陥る。

 また、脅されて、大人の言うことをよく効くいい子になったとしても、恐怖によって自分の思考・判断・言動は遮られ、その一挙手一投足が操り人形として踊らされているにすぎない様相となってくる。

ここに、自分は存在しない。存在するのは自分ではない自分。もぬけの殻、虚空が広がる。 ・・・ 自己喪失

* 威嚇し、恐怖に怯え震え慄く原始の人々をいとも容易く馴致し、服従隷属させ、統御する古代征服者を丸ごとコピーする大人たちの態、また、コピーされる・焼き付けられる子どもたちの態がここにもある。
 文化伝統を大義に謳い。


何かにつけて脅されている子どもたち。恐怖来襲、また来襲。それが、日常化して・・・

 その悪習も世界的視野の立場より改めていこう。


■ その他、多々。




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 保育の目標として掲げられている信条が、本質的な誤りであり、望ましい方向を捻じ曲げている為、育つ子!育つ子!が皆!発達障害児!発達異常児!発達不全児!精神不全児!になっている。 

 根本原因は、人間本性に背反した生活を子ども達にさせている。― 良かれと信じ込んでの行いではあるが、結果として、背反した生活を強要し、強制し、否も応もなく強引に実践していること。
 それにより、乳幼児期に伸びるべき心身の発達、感覚機能も運動機能も・・・精神も・・・、伸びるべき芽を全く伸ばしてもらえない・壊滅状態での子ども達の発達成長。

そうして育てられてしまった子ども達(人間)。

 子ども達(人間)の本性は、鋼鉄の手かせ、足かせ、くび木を、一つガチャリ、また一つガチャリ、・・・ 
次から次へと嵌め込まれ、桎梏の時空に掛けられていく。― 人間本性の極刑。


子どもたち(人間)皆が、無惨極まりない犠牲児となっている。

 無念。なんと無念であることか。

子どもたちにとって。人間にとって。人類にとって。― 地球にとって。宇宙にとって。




 改めるにあたって、まずは、
 自己の経験、自己の認識からくる偏狭矮小で浅薄頑迷な信念に拘泥することなく、また自分にとって何かと都合の良い意見に相乗的に陥り固執することなく、乳幼児のその折その折の心身の状態、発達の状態を乳幼児に学び、外部の識見ある専門的な見解を含めた良識ある周囲の意見・本音に、本心より真剣に広く大きく目を見開き耳を傾ける真摯な内省が求められる。教育面に限らず保育全般にわたり。
 それから、 ――




 <未来を担う子ども達のために!>






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原始テクノロジー ハイテクノロジー

2013-03-31 | 原始テクノロジー ハイテクノロジー
 洗濯ばさみ遊び 洗濯遊び



このとき、子どもが真に求めているのは、

ハイテクノロジーではなく、原始的なテクノロジーでの、洗濯遊び、水遊び、ここに歴然として潜在する水の本質等である。

それを求めていけば、地球にあるもの宇宙にあるもの様々なものに、自ずと関り合ってくる。

導き方により、生活用品の小物ひとつからも、幼い探究心は限りなく広がり展開していく。

 *今はたまたま洗濯ばさみから、自然探究に進もうとしているに過ぎない。

導く大人側はそれを観取し、子どもが必要としている物(物的環境)を整え、必要としている言葉(人的環境)を与えていく。





● 現実を窺うと、商業主義に作り手も買い手もみんな揃って踊らされている社会の一面がある。

 「最新型の車や洗濯機等々を、子ども向けにコンパクト化した玩具として売り出そう」「これは良い物ができた!」「おとなも納得するに違いない」「こどもも喜ぶぞ!」「自信作だ!」と心からそう思ってやまない送り手側の大人たち。(今に始まったことではないですね)

そうして作られ店頭に並べられた商品や、カタログやテレビCMを目にし、「これは、良い物が見つかった!」「誕生日のプレントにしよう」「こどもも喜ぶぞ!」と心底喜んでいる買い手側の大人たち。

「これ欲しい!あれ欲しい!買って!買って!」と子ども達。
「ガマンすることを、教えなくては」と大人達。・・・



● 子どもが真に欲しているものには遠くおよばない大人達の思惑。

大人の思惑によって、善し悪し関係なく与えられるものすべてが決定付けられてしまう子ども達。

思惑によって選ばれ与えられた、ハイテク玩具に取り囲まれ嬉々として遊ぶ子ども達。



 すでに大人である我々は、人類の頭上を覆う暗霧、『洞窟』『暗幕』、巨大なマインド・コントロールの間隙を縫い、鳥瞰し、冷徹な慧眼をもってその光景を透視しなければならない。


そして、気付こう!ハイテク玩具の奴隷となり、精神発達障害・脳機能不全への路上を虚ろい彷徨っている、哀れな幼い姿に!

子ども達は、本心からそれらを欲しがっているのではない。気付いてやろう!



● 幼児期の脳が望んでいるのは、原始テクノロジーである。

 洗濯機に汚れたタオルを入れスイッチオンにしておけばタオルは綺麗になっているミニ判。リモコンポチポチ、くるくるパッパッ入れ変わり行く目前の画像。最末端の機器に成り果て、身じろぎもしない・幼い脳が縛り付けられ身じろぎもできないでいる子どもたち。
子どもが望むのは、そうした現代のテクノロジーではない。


 原始テクノロジーの原理原想起を飛び越え、いきなりハイテク玩具を与えられた幼い脳は混乱するばかりで、<原理・公理を探究するぞ!>の強い気持ち(未意識)には結びついていかない。


混沌カオス渦巻きただよう子どもの脳内。秩序コスモスは遥か彼方に佇み、陰も見えない。



育てる。子どもが真に望む原始テクノロジーを基盤に据え、おのずと関わりあっている自然へと広く大きく門戸を開き、育てる。


ここから、子どもは<真に考える>思惟の門をくぐり、イデアに向け真直ぐに伸びて行く。




! ! 目覚めよう! 目覚めてやろう! 未来の子ども達・次期人類のために!















認識の道 普遍の道

2013-03-31 | 認識の道 普遍の道

 認識と普遍について極簡単に。

 〔認識〕は。 わかること。 <それがそれである>と、気付くこと、見つけること、分かること、知ること。
<そのもの>が持つ本質的な特徴を捉え、その共通点、相違点に気付いていく。
<犬が犬である>とわかる。  「これ、な~に?」「わんわん」  「これは?」「わんわん」 
これが幼児期初期の〔認識〕です。
・・・・
 〔普遍〕は。 シェパードも犬、チンも犬、他の種類の犬も<犬が犬である>点で共通しています。
その、犬が持つ<犬が犬と分かる共通性>が分かる―さらに分類する、―<認識能力>で人間は共通しています。これが、〔普遍〕です。
・・・・




楽しく洗濯 : 通し作業^^でなくても出来ないときは ― 洗うだけ。ロープに止めるだけ。― などのように、部分部分の動作にとどめて楽しんでね。どうぞ臨機応変に。


 洗濯ばさみを玩具に、並べたり、なが~くつないだりなどして、子ども達を自由に遊ばせたなら(発展性が見つからないので、子ども達はすぐに飽きてくる)、次につなげていきましょう。

洗濯ばさみは、なんといっても洗濯物が風に飛ばされないようにはさむ物ですね。

そうです。洗濯をさせていきましょう。


● 用意するもの *実物 (プラスチック製ではなくできるだけ自然物)  

容器(桶・洗面器)大きいのは子どもたち複数で使える。 洗濯板、なければ木の板など。(なぜ溝がはいっているのかな?大きい子には彫刻刀で筋を入れる練習をさせても) 洗濯ばさみ 洗濯ロープ・竿 

ハンカチ タオルなど。 靴下、下着、普段着などの子供服や大人物も徐々に加える。


● 洗濯しよう

せんたくしましょう♪ よごれたハンカチをあらってきれい~にしましょう♪
オノマトペもつかってたのしみましょう^^

大きい子も小さい子も、最初のうちは容器や板やハンカチを持って好きに遊んでいる状態でしょうね。

次に、気づかせながら、両手でゴシゴシ、チャぷチャぷ。

次に、容器に板を入れ、ハンカチを洗う仕草に、気付かせながら入ります。

水は入れたつもりでもOK・止むを得なければ。
  水が十分に使えない託児所などでの保育を受けている子には、家でほんものの水を十二分はおろか二十分に遣わせるようにしよう。 
  本物の水を使い、水はどうなった?布はどうなった?・・・他にも色々と試していこう。

次に、よ~く洗ったハンカチを、絞って。

ロープに干して~

ハンカチを洗濯バサミで止めて~。

「うん。やったね。」 

そう。そうなのです。 

〔太陽サンサン、風にはためく〕洗濯物を見上げて、達成感!満足感!に思いっきりひたろう。

・・・・

乾いたハンカチを取り込んで~ (✡まだ、濡れている。✡まだ、湿っている。✡もう乾いた)

手でしわを伸ばし~ 角を合わせて~ たたみ~ます。

アイロンかけをしても良さそう。小さな火傷から熱さも知ろう。(脅して臆病な子にしないよう。熱についてからも、フー?フッ?と考えられる子にしていくこと!が大事です)

棚か箱か袋に仕舞って、取りあえず、おしまい。


 ★ 取り出して使おうね~ 汚れたらまた洗濯しよう~






* くれぐれも、子ども達を、ままごと、ごっこ遊び、ふり、見立て、等に陥らせないよう。
   くれぐれも、子ども達を、ポエム、メルヘン、ファンタジー、夢の世界、花鳥風月の世界、等に駆り立てないよう。

  ― 先走り勝ち誇った表象は、真性認識の道・イデアの道・エネルゲイアの道、を閉ざす。



* 「おこられるぅ」

雨だぁー!水たまりピチャピチャ。水道水ジャアジャア。「ダメッ」「ダメッ」
お風呂の中だって「ふざけるな」「いい加減にしろ」と叱られる。

      
 子ども達は、水遊び一つするにしても、「は~い、みずあそびをするじかんです」「はじめー」「わ~い!わいわい」「キャッキャ!キャッキャ!」 
「は~い、おわりにしましょう」「やめー」「ほら!いつまでやっているー。いいかげんやめなさい」

いつまでも遣っていては;;; 当然のことの様に;;; 叱られる。よねぇ;;;


 家庭でも園でも学校でも、子ども達は何事も決められた枠に沿って遣らされる。
自分が遣りたいときに遣りたいように自由にできる。指導してもらいながら。―大事な本物の自発性・主体性を発揮することは少しも許されていない。

― 揺るぎようもないがんじがらめの繋縛…  負の感情・負の心理・負の精神。

≪・・・人間達はこの住まいのなかで、子どものときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ていることになって、縛めのめのために、頭をうしろへ・・・≫
 『洞窟の比喩』プラトン




怒らない。説教しない。命令しない。押付けない。脅さない。(これも難しい・・・ね)



【 認識と普遍 】


 すべての子どもは、〔水〕の本質に限らずありとあらゆるものの本質を自ら掴もうとしている―。概念化即ち認識化。
すべての子どもは、個々の概念、それら全てを収斂する統合概念〔ある・存在そのもの〕、を自ら掴もうとしている―。統合概念の認識化。
すべての子どもは、知らしめる宇宙公理の力に導かれ―、知らしめられよう知らしめられたいと希っている―。しりたい!しりたい!しりたい!しりたあーーい!! 公理を!!―自然の仕組み!地球の仕組み!全てを勿論小宇宙人間をも包含する大宇宙の仕組みを!!
(人造品より、公理に辿りつくのは至難の業、というより不可能)

 知らしめる宇宙公理〔能動態〕、知らしめられるすべての人間の脳〔受動態〕。
存在する個々のものの本質を知らしめられ知ろうとする。〔受動態であると同時に能動態である〕
すなわち、考える・思惟思考。 発見する・認識化。 認識の道。
統概念〔存在概念(自己を含む)・ある〕の認識。あまねく人間は、人類は、認識の道を歩む。それは、普遍の道と折り重なっている。



≪ われおもう 故に われあり ≫ ルネ・デカルト(1596年-1650年)

 師デカルトは、

――宇宙公理によって、私の脳は思惟・考えさせられ、私は考える。

そして、私の脳は、エネルゲイアとの協働により、私がいる・ある(存在する)ことを、パッ!と瞬時閃き、ハッ!と気付く(発見認識する)。間髪を入れず、私の脳は、その存在する私を見詰め認識する私、を凝視認識する。

故に、私はある(存在する)。

つまり、<われおもう>と<われあり>の間に<認識‐存在‐認識>が入る。

自己存在認識のみでなく、

全ての概念の真性認識:イデア:エネルゲイアは、大きく <思考> <認識> <存在> の段階を有し創出される。――

 そう語っている、と解釈する。








大人は黒子に徹した主導権を、に・ぎ・っ・て・おこう。


 家庭生活、園生活、学校生活など実生活の中で、子ども達がしぜんに実生活を実体験できるよう、
単に遊ばせるのではなく、子ども自身が実際に生活するなかで、実物・自然物に触れさせながら実際に遣らせ、<そのものがあること>を明瞭確実に気付かせていきます。

 実体験を通し、自然物〔水〕の存在性、同一性、科学性等に気付かせ、水があらゆるものに関っていること・あらゆるものがあらゆるものに関りあっていることに気付かせ目覚めさせていきます。 



 「そんなことぉ―、学校に上がれば習うのに、なにも家でさせなくても」
 「幼児にさせることではない―し」 


学ぶのではなく、


幼少期に幼児自身が、《考える。根源から根源を考える。そして気付く・認識する。また、考える。・・・》


宇宙開闢時、宇宙公理によってプログラムされた法則、に導かれ、

すべての子が、人間が、人類が、これに気付きたい!これを知りたい!認識化したい!と希っている。


人類普遍の道である、真性認識の道、イデアの道、エネルゲイアの道、に踏み込む。

幼年期に、主体―自分で、自分が。

大人の助力を背にして。





『 認識の道を歩む 』 『 普遍の道を歩む 』

―― 歩みは、すくなくとも、人間生誕時にはすでに始まっている。