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未来の子 負の心理

2013-03-31 | 未来の子 負の心理

飛躍的な人類の進化を遂げようと、希求する未来の子。その行く手を遮る負の心理。 




【乳幼児・ 子どもたちの真に健全な心身の発達の為に 】


■ また、運動量も甚だしく不足。子ども達でごった返す室内を、定番の玩具を手にし、あてどもなく右往左往して日々を過ごす子ども達。

* 屋内屋外を問わず、日常生活を送りながら、常に、少しでも、五体を動かす自由な運動ができるよう涙ぐましい努力が。
辛うじて、たった一つの、貴重この上ない、運動用具となっていた、片付けられたベッドを出し、安全性に十分注意工夫を施したうえで使わせてあげよう。

* ベッドはその様な運動や遊びに使うものではない、との固定観念に捕われず、また危ない、見苦しい、片付けよう、との短兵急な考えではなく、せめて、よじ登る降りるの登はん運動(本能)が少しでもできるように、<子どもは何を求めているのか>を優先して考えていく。

* 児童や大人がする運動を基準に、幼児は未熟でまだ出来ないのだからこの程度でよいだろうとの短絡的な判断によるのではなく、発達を踏まえた考察の上で、他にも運動できるものを工夫し備える。





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 【 負の心理 】

 ☆ 深層でうごめく舅姑根性 村社会根性 島国根性等

 そこには、「子どもごときに、naninaniさせてなるものか!」といった子ども・弱者に対して大人・強者が抱える相手を見下す優越感情・支配心理が無意識のうちに働く。それが害されると、「我慢ならない」「沽券に関る」「メンツが立たない」と、子ども相手に気分を損ね、益々意固地になり、自分が優位に立つまでむきになって理屈をこじ付け意見を正当化し、尊大な意地を張り通してやまない大人たち。
 日本では、嫉妬にひがみ被害妄想等々絡む舅姑小姑根性、重箱の底で有象無象隅を楊枝で突っつきあう村社会根性、飛行機はおろか船の影さえ掠めもしない島国根性、などに含まれている。
 時代の変遷と共にこれらの言葉は使われなくなっている。しかし、上辺の姿は移り変わっても人の心理が変わることはない。


 ☆ 支配心理・被支配心理 馴致心理・被馴致心理等

 有史前、人間が人間以前の人間のときより、世代から世代へと継承され続け現代である今日に辿り着いてもなお、そうと気付かれない、負の心理。
 それらの心理は変様するのみで何ら変質なく、今もなお人々の心底に根強く残存する。 

 人々を我欲達成のために役立てる道具と、徹頭徹尾そう見做す支配者の根本にとぐろを巻く、傲慢不遜極まりない支配者の心理、それとは裏腹に、元始 他よりいち早く支配欲に目ざめたその征服者・支配者による元始制圧、統治のため、疑いも抗う意思もその術も全く皆無、幼児同然の未成熟な原始頭脳のまま、瞬く間に制圧、馴致され、従順な隷属化の挙句、課せられる元始奴隷元始家畜の労役、元始不当であり過酷な労働の日々であるに関わらず、家畜のように為されるがままを安んじて受入れる他に道はなく、当の支配者に征圧され馴致され奴隷化されたことにも、我が身に何が起こったかさえも意識できず、ひたすら恐れ多くして、ひたすら貴く有難く、ひたすら恭順の意を表し続ける元始の人々・私たちの祖先、被馴致者・被支配者、その心理。
  
 大は、神(自然の脅威)にたいする人々の畏怖畏敬の念を巧みに弄し、― 神の威を図々しくも狡猾にちゃっかり素早く確りと着服、<神の衣を身に纏い>(ニーチェ)、わが身を神格化し、民衆以前の民衆・民以前の民・人以前の人々を威嚇し、<電光石火>の勢いで、目論み通り恐怖に怯え震え慄く人々をいとも容易く制圧し、馴致し服従隷属させ、統御、君臨する東西問わない征服者、古代酋長・専制君主における支配欲、および両者、神の威を借り何食わぬ顔をして神に成済ます者とそれを畏れ敬い盲従させられる者との関係から、 小は、支配欲、詭謀が他に先んじて突出したそれらの者に恐怖心を掻き立てられ、いとも簡単に元始奴隷狩りされ馴致・制御され、人間本性の芽が、芽吹く先から先へと完膚なきまでに殲滅された惨禍に起因する、太古の昔より現在に至るまで普く人々の真髄に遺伝・相承され続けてきている、繋縛され”頭をめぐらす”ことも身動き一つとることもできず無論逃れることも避けることもできないできている、意識に昇ることさえも絶無できている、被圧殺感、その現存し続ける被圧殺感、・・・等々をもって、強者が弱者を、弱者がより弱者を、より弱者がよりより弱者をと類同の仕打ちをもって弱者を甚振る・苛めいびり賎しめ貶め遣り込め痛め付け打ちのめし叩き潰す、何が何でも人間の本性人間の尊厳を殲滅しようとせずにはいられない、負の感情連鎖― 親子間、兄姉弟妹間、保育教育者と被保育教育者(子供達)間、大人同士、子ども同士、また動物の虐待等々、それらにおよぶまで。


 神・自然の脅威に恐れ慄き、
その前に平伏し、額ずき畏まり、崇め奉ろうとする、人間精神根源に由来する、― 
すべての人間の真髄に巣食い蔓延っている、負の感情、負の心理、負の精神。





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■ 学習の即刻中止

 「小学校の授業を参考に、国語・算数・体育・生活・(英語まで)など、それぞれ時間割りを組んで幼児に学習させている。子どもたちも喜んでやっている。これで良し」―得々と自画自賛、自己満足に終始しているのみの自分に気付こう。

百害あって一利なし。保育幼児教育が、学校教育の物真似であってはならない。――

☆ 将来、学校教育もまた、幼児教育と共に遷移する仕儀となる。


 子どもたちは、自然を見たい! 自然を知りたい! 自然を考えたい! 考えさせて欲しい! 邪魔立てしないで!!考えさせて欲しい!! と、脳の内奥より純粋に切望し懇願している。
 地球の自然、 生物・非生物、 自然現象、 太陽・月・星々など天体の運行、 等々に触れさせ関心を向けさせ探究心を引き出させていく。

 子ども・人間が望むすべての物が自然の中に潜在・顕在している!

その自然を <自力で見させ、 自力で考えさせ、 自力で発見させ、 自力で明晰確実に知覚認識化させる> 覚醒・目覚めさせていく導きが最も大事である。

<自分が見る> <自分が考える> <自分が発見し、自分が明瞭で確実な認識をする> 本物である自然を介して基礎概念覚醒に基く <思惟及び認識> を最重要視し、そのための指導を主軸とする。



■ 基本的生活習慣を身につけることは勿論大事。しかし、これは一般的な社会生活をしていれば自然に身についていく類のものである。また、自己確立ができれば自立もするし、自律もする。
おしっこが言えない、ご飯をこぼす、服が着れない。― 心配して、しつけ躾けと神経質にならなくてもいいのですよ~。



■ 平面画像、映像等の視聴厳禁

 子ども達のためとの思いを込めて作られた玩具や知育用具などの人造品。特に、視覚に依存したグッズ、絵本雑誌、アニメ・ゲームなどの動画、生活雑貨や必需品にプリントされたキャラクター・略画、等々。
 たとえそれが視聴覚用教材であろうと、名画であろうと、画像は、幼い脳の真性な活動 〔人類の師ソクラテスの思惟と認識・人類の師プラトンの思惟と認識・人類の師アリストテレスの思惟と認識、と同じ、エネルゲイアと協働の脳活動。 これは、『洞窟』の外の世界・イデア世界での脳活動となる〕 を阻み、止めを刺す。

 それら画像を通じて生ずる概念・認識は、仮性(疑似)概念・仮性(疑似)認識であり、仮性概念・仮性認識が先行すれば、脳の真性な働きによって創出される真性概念・真性認識は、燦燦と煌めきふりそそぐ陽光を浴びる空きもなく暗闇に葬られ、黙然として無念の涙を呑むばかりである。



■ 脅しで、子どもの恐怖心を煽る。

 年中行事や、日常生活をおくるなかで一般的慣習として深く根付いている子どもに対する脅し。

・伝統を伝えていくのは大切だから ・怖がる様子が面白いから ・言うことをきかないから、 
・絵本から ・動画から ・玩具から 等々のグッズから、垂れ流し状況で、与えつづけている恐怖。

常日頃より疑問一つ抱かず、子どもに投げかけ続ける様々な脅し文句。脅し。

 一たび恐怖心が起こると「コワイこわい」と頭のなかは恐ろしさで溢れかえる。恐怖に脳を占拠されると、大人であっても子どもであっても、茫然自失<なにも考えられない情態>思考停止に陥る。

 また、脅されて、大人の言うことをよく効くいい子になったとしても、恐怖によって自分の思考・判断・言動は遮られ、その一挙手一投足が操り人形として踊らされているにすぎない様相となってくる。

ここに、自分は存在しない。存在するのは自分ではない自分。もぬけの殻、虚空が広がる。 ・・・ 自己喪失

* 威嚇し、恐怖に怯え震え慄く原始の人々をいとも容易く馴致し、服従隷属させ、統御する古代征服者を丸ごとコピーする大人たちの態、また、コピーされる・焼き付けられる子どもたちの態がここにもある。
 文化伝統を大義に謳い。


何かにつけて脅されている子どもたち。恐怖来襲、また来襲。それが、日常化して・・・

 その悪習も世界的視野の立場より改めていこう。


■ その他、多々。




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 保育の目標として掲げられている信条が、本質的な誤りであり、望ましい方向を捻じ曲げている為、育つ子!育つ子!が皆!発達障害児!発達異常児!発達不全児!精神不全児!になっている。 

 根本原因は、人間本性に背反した生活を子ども達にさせている。― 良かれと信じ込んでの行いではあるが、結果として、背反した生活を強要し、強制し、否も応もなく強引に実践していること。
 それにより、乳幼児期に伸びるべき心身の発達、感覚機能も運動機能も・・・精神も・・・、伸びるべき芽を全く伸ばしてもらえない・壊滅状態での子ども達の発達成長。

そうして育てられてしまった子ども達(人間)。

 子ども達(人間)の本性は、鋼鉄の手かせ、足かせ、くび木を、一つガチャリ、また一つガチャリ、・・・ 
次から次へと嵌め込まれ、桎梏の時空に掛けられていく。― 人間本性の極刑。


子どもたち(人間)皆が、無惨極まりない犠牲児となっている。

 無念。なんと無念であることか。

子どもたちにとって。人間にとって。人類にとって。― 地球にとって。宇宙にとって。




 改めるにあたって、まずは、
 自己の経験、自己の認識からくる偏狭矮小で浅薄頑迷な信念に拘泥することなく、また自分にとって何かと都合の良い意見に相乗的に陥り固執することなく、乳幼児のその折その折の心身の状態、発達の状態を乳幼児に学び、外部の識見ある専門的な見解を含めた良識ある周囲の意見・本音に、本心より真剣に広く大きく目を見開き耳を傾ける真摯な内省が求められる。教育面に限らず保育全般にわたり。
 それから、 ――




 <未来を担う子ども達のために!>






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