ピロソピア愛知

幼年期のピロソピーかんがえる

苛め、苛められ、その心理の消滅

2013-03-16 | 苛め、苛められ、その心理の消滅

 いじめ心理の消滅。いじめられ心理の消滅。 変わる子ども(人間)たち。 



 長い歴史の中で、<子どもは悪戯をするもの>との社会通念が定着している。

 この無邪気で片付けられている幼年期のいたずら、ちょっかい、からかい、わがままかって、悪ふざけ、いじわる、嫉妬心、好奇心、排他性、・・・等が増長して陰湿な苛めに進展していく。(叱責や説教では問題解決につながらない)



● Rくん(5歳3ヶ月)

 一人の子を標的に「くせぇー」などと叫び攻撃し大声で皆を扇動する。皆も図に乗りはやし立てる。
このまま進めば、紛れもなく社会的な苛めになっていく。


 しかし、蟲・自然を見始めて態度は変わり落ち着いてきました。

 始めて、生きたナメクジを間近で見て。「?!」「!」「!」「!」・・・・・・・・「かわいい!」「すんげぇーかわいい!」
「つのが! ある!」「1本!2本ある!」「これも!」「ちっさいのが!ある!」「2本ある!」ぜんぶで「4本ある!」

「さわりてぇ~!」 ナメクジは、寄生虫の心配もあるのでむやみにさわれません。とはいえ、

「さわりてぇ~!!」「さわりてぇ~!!!」

さわれないのはわかっている―、でもさわりたい―。

むしんにさわりたい―。

こらえても、おさえても、さわりたいおもいが、にじみみなぎりほとばしる―。


「つのを、ちょんとさわってごらん」

「わっ!ひっこんだ!」「でてきた!」ひっこんだ!でてきた!ひっこんだ!でてきた!

部屋中がRくんパワーでみなぎっている~!~!


 彼の熱中さに圧倒された周りの子たちも、こわごわの引っ込み思案はどこかに素っ飛んで、引き込まれ、緊張し、固唾を呑んで一緒に魅入っている。



見終わったRくん、「まめくじ!みてェー!」「ひゃっぴき、みてえー!」と瞳も声も活き活きと、真底から叫んでいる―。


 もっと! もっと! 自然に触れていたい! 自然を見ていたい! 自然を吸収したい! ・・・・との希求です。




二回目のかんさつで、かれが気付いたことの一つ。


「色がちがう!」「ここ!ここ!」「これ!これ!」「ちゃいろ!」ナメクジの背に茶褐色の筋が通っていることに気が付きました! 


大人には何でもないこと。「それがどうした」「なんになるくだらない」いわゆる「はらのたしになるのか」としか思われないのですが、

幼児期の脳にとって《それを、そうと、気付く》、モヤモヤの混沌概念が明晰確実な概念(真性概念 即 真性認識)となって自己の中で認識化できた!大発見!なのです。

 自分が本当に知りたいと未意識に切望いしている(宇宙公理によって知らしめられている)ものを蟲・自然の中に見つけ・気付き・発見し、気持ちがそれに向かって集中し始めました。
<注意力に目覚め、観察する、及び思考する・本当の考える、そして発見!認識!する>探究への入口を見つけました。



 また、周りに他の子・友達がいることに、改めて気付き、友達を気遣う!優しさ!思いやり!もでてきました。


● 自己中心で我欲の塊りSちゃんも、友達を気遣う!優しさ!思いやり!が出てきています。


● 園随一の問題児、との名をほしいままにしているというSくんも。

また、Sくんに限らずGちゃんもそうですし、他の子もRくん同様に変わってきている様子が窺えます。



★ どんなに優れた名作であっても、アニメ等人造品から探究心や優しさ思いやりなどが誕生することは決してありません。
その<影>は、眼前を掠め去るばかりで心の真底・脳真髄・脳内奥に届くことはないからです。
しかし、蟲・自然観察からこれほど直接的に誕生するとは驚き。


★ ぞくぞくと連なっている発達障害児また問題児等は、反面、その精神が社会のシガラミ:社会通念・既成概念観念等に健常児ほど縛られていません。

それは、それだけ自由で純粋な発想・思考が可能なことを意味しています。

問題を抱えている子ども達は、心身ともに落ち着きなく、探究心も集中力等も現われていませんが、無い訳ではありません。
それは、一つの切っ掛け-導き方で現れてきます。

その純粋な探究心に伴なう<真の思考>を真っ直ぐ伸ばして遣れたなら・・・。

 蟲から始まる<真の自然観察>により、健常児を超えた健常児=真性概念に目覚めた子・イデアの人になっていく―。

― 健常児も異常児も、 ― 世界中すべての子が ―


★ 将来、人間生来の希求 『知るを欲する』 をかなえる育児教育が生誕時より行われる様になれば、苛めっ子も苛められっ子も、問題児も、発達障害児も異常児も、そして、いわゆる健常児も作り出さなくて済むことになる。





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<子どもは悪戯をするもの>との社会通念は、見かけ上からの臆見に過ぎない。

 すべての子ども達は、<本当に求めているもの>が見つけられず、止むを得ず、恣意の赴くがまま、翻弄されるがまま、悪戯をしている。幼年期の苛めもその一つである。


 大人の理解と手助けにより、すべての子に、

自然の中に顕然と潜在する宇宙公理・宇宙秩序・コスモスを知ろうとする気持ちに目覚め、

自ら考えよう、自ら知ろうと無心に没頭し邁進できる、物的環境・人的環境が与えられるなら、

その結果の一つとして、苛め心理も苛められ心理も根底から消え去り、

その、歪められた心理から発生する犯罪も消え失せる。



それは、戦争消滅にも繋がっていく。



――いじめ、いじめられ、その心理がなくなれば、戦争もなくなる――

――宇宙戦争。仮想すら成り立たない――





・・・・・ これら尽くが、人間本性の覚醒に副次する結果である。