日本の領土、沖縄県・尖閣諸島が危機的状況を迎えている。武装した中国船が尖閣沖の接続水域に居座り続け、さらには領海に侵入して日本の漁船を追い回すまでになった。だが、日本政府は中国への配慮なのか、なにか裏で取引をしているのか、尖閣を守るための具体的な行動を一切とろうとしない。

 8年前、その尖閣諸島・魚釣島に単独で上陸し、山頂に上って日の丸を掲げた人物がいる。元海上自衛官の伊藤祐靖(いとう・すけやす)氏だ。

 海上自衛隊では「特別警備隊」の創設メンバーに加わり、先任小隊長として隊員たちを鍛え上げた。特別警備隊は、1999年の「能登半島沖不審船追跡事件」をきっかけに創設された特殊部隊である。

 
『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)
 
© JBpress 提供 『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)
 
© JBpress 提供 伊藤 祐靖(いとう・すけやす)氏1964年、東京都に生まれ、茨城県で育つ。日本体育大学から海上自衛隊に入隊。防衛大学校指導教官、護衛艦「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事案に遭遇した。これをきっかけに全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設に携わった。2007年、2等海佐の42歳のときに退官。後にフィリピンのミンダナオ島で自らの技術を磨き直し、2020年6月現在は各国の警察、軍隊への指導で世界を巡る。国内では、警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら私塾を開き、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著作に『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』『自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由』などがある
 
 
 
 
『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)
© JBpress 提供
『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)

 その伊藤氏が、6月に小説『邦人奪還 自衛隊特殊部隊が動くとき』(新潮社)を上梓した。実際に特別警備隊を立ち上げ、自らも隊員として訓練を重ね、さらには尖閣に泳いで渡った経験をもつ伊藤氏にしか描けない迫真の「ドキュメント・ノベル」である。

 

『邦人奪還』は一体どこまで自衛隊や日本の国防の現実を反映しているのか。同書のリアリティについて、伊藤氏に聞いた。(JBpress)

意識をコントロールする隊員たち

──『邦人奪還』には、特別警備隊の隊員同士がテレパシーみたいな感じで意思疎通をする場面が出てきます。本当にあんなことができるんですか。

伊藤祐靖氏(以下、敬称略) できますよ。サッカーとかバスケとか球技スポーツをしたことがある方ならわかると思うんですが、たとえばサッカーなら、ゴール前で誰がどこにパスを出すのか、あのスピードでサインなんて出してないですよね。だけど選手は「あいつは絶対ここにパスを出してくる」ってわかる。バスケだって、サインなんか出しているよりも早く、意識を合わせてパスしますよね。

──ずっと一緒に練習しているからこそですね。

伊藤 オリンピックのドリームチームを見ればわかる通り、一流になればなるほど、一緒にいる時間というのは必須というわけではありません。ですから、コミュニケーション、意思疎通というものではなく、発想が同じという感じでしょうか。特殊部隊では、さらに隊員同士が長く、濃い時間を一緒に過ごしますので、もっと深い部分まで意識を共有することができるようになります。

──そこまで互いに理解して意思疎通を図っていると、端から見るとテレパシーみたいに見えてしまうのかもしれないですね。

伊藤 スポーツでは「ゾーン」という言葉がありますね。1人のゾーンもあるし、緊密に意思疎通の取れたチームとしてのゾーンもある。意図的にその状態にできるようトレーニングをするわけです。それは、そんなに難しい話じゃありません。

──特別警備隊では、チームとしてゾーンに入るための訓練を積んでいるのですね。だけど、そういうことを本に書いてしまっていいんですか。

伊藤 スポーツに限らず、チームで真剣に何かを成し遂げようとした人であれば誰でも知っていることですから。

──北朝鮮軍とか人民解放軍に知られたらまずいのでは。

伊藤 ですから当然彼らだって知っているでしょう。実際にやっているかどうかは知りませんよ。でも、知らないんだったらあまり大したことはないですよね。

──隊員が「マインドセット」を平常時用と非常時用に切り替える話も出てきますね。あれも意識的に切り替える訓練をしているわけですか。

伊藤 マインドセットは、そんな難しいことではないので訓練というより習慣ですかね。

──ゾーンに入るのも、マインドセットの切り替えも、最初はやっぱりできないですよね。

伊藤 最初はできませんが、いったんゾーンに入ることを体験すると、できるようになります。スポーツと一緒で、訓練を重ねていると「あっ、通じたね」という瞬間が現れる。すると意識的にできるようになっていくんです。マインドセットについては、反復演練をして技能を身につけるという性質のものではなく、言葉で説明をすれば、最初は「本当にそんなことできるの?」と思うでしょうが、やってみればすぐわかるもので「ああ、切り替わりました、わかりました」となります。

伊藤 祐靖(いとう・すけやす)氏1964年、東京都に生まれ、茨城県で育つ。日本体育大学から海上自衛隊に入隊。防衛大学校指導教官、護衛艦「たちかぜ」砲術長を経て、「みょうこう」航海長在任中の1999年に能登半島沖不審船事案に遭遇した。これをきっかけに全自衛隊初の特殊部隊である海上自衛隊「特別警備隊」の創設に携わった。2007年、2等海佐の42歳のときに退官。後にフィリピンのミンダナオ島で自らの技術を磨き直し、2020年6月現在は各国の警察、軍隊への指導で世界を巡る。国内では、警備会社等のアドバイザーを務めるかたわら私塾を開き、現役自衛官らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著作に『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』『自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由』などがある

 

人が保身に走るのは当たり前

──本書には、出世や自己保身に走る自衛隊の上官や政治家が出てきますね。政府が重大な意思決定を下す裏側で、世俗的な生々しい人間ドラマが繰り広げられている。あれはリアルなんでしょうか。

伊藤 登場人物には基本的にみんな実在のモデルがいます。

──本書では、そういう人たちへの批判を込めているのですか。

伊藤 そんなことはありません。この本を読んだ人は、そういう登場人物を「保身に回って汚い」と思うかもしれない。けれども私はそんなことは全然思っていないんですよ。人間が保身や出世に心が動くのは当たり前のことです。逆にそういう人じゃないと社会生活は難しいと思います。それが、何かを抑制したり、働く意欲にもなるわけですから。普通の人は、必ずああなると思います。

 読者からは、主人公や特殊部隊の隊員、陸自特殊作戦群長らは正反対の人物のように見えるでしょう。では、彼らこそが人としてあるべき姿なのか、そういう生き方を目指すべきなのか? 私は決してそんなふうには思っていません。なぜなら、そういう人たちは、実は社会のお荷物にもなってしまうんですよ。平時においては、一般常識やルールを遵守しようとしないただの邪魔者かもしれない。でもそういう人たちの一部は、非常時にはとても役に立つわけです。

 つまり、世の中にはふた通りの人間がいます。平時の社会を成り立たせる常識的な人と、非常時に役立つ常識外・ルール外の人。世の中には両方が必要だということです。その両方の面を併せ持つ人というのは、私はこれまでの人生で1度も会ったことがありません。だから、まだまだ人間は完成されていない、理想的な人なんていない、ということも、私がこの本で言いたかったことの1つです。

──国家とはルールでありシステムであると言うことができると思います。国家を守るには、ルールに縛られないところにいる人が必要だということでしょうか。

伊藤 国家がルールなのではなくて、国家が、自ら目指す姿を実現するために、平時に全員に守らせているのがルールです。まずはルール以前に「国家が目指しているもの」があるべきで、そこがものすごく大事だと思います。『邦人奪還』では主人公がそれを「国家理念」と呼んでいます。

「あのとき」の自分を恥じている

──特殊部隊をはじめ自衛隊の存在、活動は「国家理念」があること大前提だということですね。『法人奪還』には、国家理念をはっきりさせない政治家への怒りを込めているのでしょうか。

伊藤 政治家への怒りというよりも「自分を恥じる気持ち」が大きかったですね。

──自分を恥じる気持ちとは。

伊藤 特別警備隊を創設するきっかけとなったのが、1999年の能登半島沖での不審船追跡事件です。私はイージス艦「みょうこう」航海長としてその現場にいました。そして、信じられない命令を受けました。絶対に任務も達成できず、確実に隊員が死亡するような命令でした。

──『自衛隊失格 私が「特殊部隊」を去った理由』(新潮社)に書かれていますね。北朝鮮の工作母船に乗り込んで立ち入り検査しろ、という命令ですね。

伊藤 そうです。そのとき我々には装備もなかったし、訓練したこともなかった。北朝鮮の高度な軍事訓練を受けた工作員が待ち受けている自爆装置を装備している工作母船に乗り込んでいって、立ち入り検査、なんてできるわけがない。絶対に任務は達成できないし、生きて帰ってくることもない。

 でも、そのとき私が何をしたかというと、私におりてきた命令をそのまま部下に命じてしまったんです。できなかろうが、生きて帰ってこれなかろうが、自衛隊ですから、それはいいんです。でも、なぜそれをする必要があるのか、誰がそれを決断したのかを、私は聞くべきだった。それを確認して、「これが国家の理念を貫くための、国家の意思だ。だから行く意味がある。行く価値がある。行ってこい」と命じるべきだったんです。それをしなかった自分を恥じているんです。恥じながら生きていきます。だから政治家への怒りなんかではないです。

尖閣に上陸したときの気持ち

──2007年に自衛隊を辞められ、2012年に沖合の船から魚釣島に泳いで渡って上陸して国旗を掲げられました。そのときの感情は? 政治家への怒りはなかったんですか。

伊藤 そのときはありました。2010月に、海上保安庁の一色正春さんが、中国の漁船に衝突されたときのビデオ映像を匿名で公表しましたよね。あの映像を見て、衝撃を受けました。あんなぶつかられ方を目の前でされたら、私ならたぶん血液が一瞬で沸騰するだろうと思いましたよね。

 現場の海上保安官も同じだったと思います。自分の感情を抑え込むのが大変だったはずです。でも、彼らは冷静に職務をこなしました。中国船に乗り移って逮捕して、書類送検した。相手だって素直に逮捕されるわけじゃありません。抵抗してくるわけです。それをちゃんと逮捕して連行して、立派に職務をこなしたんです。

 ところが政府は、その中国人たちさっさと返してしまった。確信を持って言いますけど、あの巡視船に乗っていた保安官たちは全員悔し涙を流したと思います。あんなに苦労して逮捕して、書類送検まで持っていったのに、政府は、はいどうぞどうぞ帰って帰って、ご苦労さんでしたと中国に送り返してしまった。一体、何をしているんだと。自分も似たような仕事に就いていた国家公務員として、彼らの悲しさや虚しさは計り知れないものだと思いました。

 その後、2012年の8月15日に香港の活動家がまた魚釣島に上陸しました。そうしたら政府はまた同じことをした。あっけなく帰してしまったんです。そうした出来事を見ていて、私は海上保安官のみなさんに「ご苦労さまです。政府の対応はさておき、国民はあなた方がちゃんと職務を果たしていることを知っている」と伝えたかった。

 そして思いついたのが、魚釣島に国旗が掲揚されていたら悔しい思いをした海上保安官も沖縄県警の警察官もほっとするんじゃないかということです。それで揚げようと思い立ったのが理由ですね。

──ブログに書かれていましたけど、海上保安庁による取り調べのあと、帰ろうとした伊藤さんを保安官が呼び止めて、魚釣島に掲げられた日の丸を指さして親指を立てたそうですね。

伊藤 あれは嬉しかったですね。実は間抜けな話しなんです。自分はよかれと思って国旗を揚げたんですけど、考えたら結果的に海上保安庁に多大なご迷惑をおかけする形になってしまってですね。でも、少なくともあの保安官は喜んでくれていたようなので、凄く嬉しかったです。

──それから8年経ちましたが、中国船の侵攻は収まるどころかますますエスカレートし、ついには領海に侵入してきています。それでも日本政府に領海・領土を守ろうという意思はなかなか見えません。

伊藤 意思以前に、そもそも日本は「国家として目指すところを明確に公表して、国民のコンセンサスを得る」ということができていない状態がずっと続いていますよね。

 現場の自衛隊員は、どんな職務でも「行け」と言われたら行きます。命を失うかもしれないけど、命じられたら行くんです。みんな、それをわかったうえで自衛隊に入隊しているんです。でも、だからこそ納得させてほしい。「我々には国民のコンセンサスを得ている国家の理念があり、その国家理念を貫くためには、これが最善の策なんだという結論に達した。きわめて危険な作戦だが、行ってこい」と言ってほしいのです。『邦人奪還』にはそういう思いも込めました。